可憐な王子の騒がしい恋の嵐

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13

 バルトス山には新雪が積もっていた。
 最初はおそるおそる、といった感じてシェリスネイアは雪に触れ、その柔らかさに思わず微笑んだ。


「……すっかり取られたな」


 女三人で和気藹々と話しているのを遠めに、ウィルザードが少しふて腐れたアドルバードに話しかける。
 もともと二人は同行者というよりは見栄えのいい護衛のような役回りで一緒に来たのだが――護衛の一人であるはずのレイはリノルアースとシェリスネイアに独占されている。彼女の主人を無視して。
「……レイはああ見えて人の懐に入るのが得意だから。すぐに懐かれるんだよ」
 口数はむしろ少ない方だが――ここぞという時にびっくりするくらいにぴったりな、その時に欲しい言葉をくれる。
 どこか一線を引いていたシェリスネイアが心を開くとしたら、リノルアースでもアドルバードでもなくレイだろうとは思った。ただこれまで接する機会が少なかっただけだ。
「誰も手に負えなかったおまえら双子を手懐けたんだもんなぁ」
「人を野生動物みたいに言うな」
「むしろ肉食獣の子供? 見た目は可愛いのに凶暴」
 凶暴なのはリノルアースだけだ、とアドルバードは心の中で抗議する。小さい頃は二人で悪さをしていたりもしたから、強く否定はできない。
 二人に囲まれながらレイがちらりとアドルバードを見る。主人を放置していることに少なからず罪悪感を抱いているのだろう。
 目だけで気にするな、と合図すればかすかに微笑んだ。


 ――だから。


「……そういうの不意打ち……」


 赤くなった顔を隠そうとアドルバードは俯く。
 意識が他に移ったからだろうか――どこか空気が違う気がする。殺気――? 視線を感じる? しかしいつもなら一番に察するであろうレイは何も気づいていないようだ。
 分厚いコートの下に隠している投げナイフに触れる。
「…………ウィル。何か感じないか?」
 暇そうに女性陣を眺めていたウィルザードが眉を顰める。
「――不覚」
 気づかなかったと言いたいのだろう。二人の様子に気づいたレイも、周囲の異変を感じ取ったようだ。




 放たれた矢をレイが素早く切り落とした。


 それが合図になった。


「アドル様!!」
「来るな! そっちにいろ!」
 命じなければすぐにでも駆けつけて来てしまいそうなレイにそう言い放つ。そんなことはない、彼女はリノルアースと――国賓であるシェリスネイアを守るだろう。心の底で望んでいることとは異なっていても。
 一、二、三――――全てで七人。どれもが雪に隠れるように白い服装だ。木や岩陰に隠れていたんだろう。
 馴染んだナイフを投げる。それは想像していたとおりの線を描いて刺客の首に命中した。
 アドルバード、リノルアース、ウィルザード、そしてシェリスネイア。狙いになりそうな人物ばかりでどう行動すればいいのか判断を鈍らせる。
 ただ人を殺すことに躊躇する暇がないということだけは容易に分かった。躊躇ったら最後、屍になるのは自分だ。運が良くて捕らわれ、国に身代金が要求される。
「きゃああああぁぁ!!」
 シェリスネイアの悲鳴が耳を貫いた。目の前の惨劇に彼女は身体を震わせている。その身体を抱きしめているリノルアースの顔も蒼白で、唇を噛み締めていた。
 二人に危険は及ばない。レイが乱れぬ剣捌きで誰も、何も彼女達には近づけさせないから。
 ウィルザードも足手まといになるほど弱くない。一人を切り伏せ、もう一人と剣を結ぶ。
 これなら勝てる――アドルバードがそう油断した時だった。
「きゃあ!」
 いなかったはずの八人目がシェリスネイアに剣を向けていた。
 狙いは彼女か――そう判明したと同時にアドルバードは舌打ちした。咄嗟に短剣を投げ、見事刺客の背中に命中したのにも関わらず動きを封じるまでには到らなかった。
「シェリスネイア様!」
 一番近くにいたレイが走る。
 切り結んでいた敵に左腕を斬られた。
「レイ!!」
 出血からしてそれほど深くは無い――レイは振り向き様に相手の胴を斬り倒す。
 けれどもう間に合わない。
 剣は今にもシェリスネイアと、それを守ろうとするリノルアースに振り下ろされる――。
「――ルイ!!」
 こんな時にリノルアースが助けを呼ぶのはやはり彼女を守る騎士だった。


 それは悲鳴にも似た声で。
 それはもう劇的に。


 黒い何かがリノルアース、シェリスネイアの前に立ちはだかり、二人を斬ろうと下ろされた剣を弾き飛ばした。
 得物を持たない敵を容赦なく切り捨て、顔すらも隠した黒衣の男――ルイ・バウアーは主に問う。
「お怪我は」
 ちらりと見えたその緑色の瞳は間違いなく彼のもので。
「……ないわ」
 まさか本当に助けに来るなんて思わなかった。そもそも彼はここにいないはずなのに。
 幻でも見ているのだろうかとリノルアースは呆けたような間抜けた声しか出なかった。
 他の刺客も三人によって倒されていた。
 真っ白な雪を染める血の赤に眉を顰めつつ、ルイを見上げる。
「……あまり、無茶はなさらないでくださいね。今俺は都合よく側にいないんですから」
 ルイらしくない、少し怒ったようなその声に負けて素直に頷きながら「ごめんなさい」と子供のような返事をしてしまった。
 そんなの、私らしくもない。
「では仕事に戻ります」
 そう言ってろくに顔も見せないままにルイは去っていく。


 そんな、お伽噺か何かの王子様じゃないんだから――タイミング良く助けて、そんなにすぐ立ち去らなくてもいいでしょう?





「大丈夫か?」
 本来ならすぐに駆けつけてくるであろうアドルバードではなく、嫌そうな顔を隠しもしないウィルザードにそう問いかけられた。
「平気よ」
 アドルバードは敵を一掃してすぐにレイのもとへ駆けつけた。こちらの唯一の負傷者だ。
 リノルアースに寄りかかったままのシェリスネイアはまだ顔色が悪い。狙われたのはほぼ間違いなく彼女だった。一番可能性が高いだろうとは思っていたが。
「ここはまだ危険だ。城に戻るぞ」
 レイの手当てを終えたアドルバードが彼女に寄り添いながらそう指示する。
 誰もそれに異論を唱えず、馬を繋いだ場所まで戻る。
「シェリスネイア様、申し訳ありません。帰りはウィルザード様の馬にご同乗願えますか」
 レイがそう切り出すと、シェリスネイアの顔色が一層曇る。
「……怪我は、そんなに深いの?」
 怯えた表情のシェリスネイアに、レイはいいえと答える。
「そう深くはありません。私は騎士ですからこの程度の怪我には慣れています。けれど帰りまた刺客に襲われるようなことがあれば――自分の身を守ることは出来ても、シェリスネイア様を守りながら戦うことは難しいかもしれません。ですからより安全な方法を」
 低い評価だと誰もが思うだろう。レイは片腕を負傷していたとしてもこの中で一番強い。けれどシェリスネイアが狙われていると分かった以上は彼女を守る為の陣形でなければいけない。
「ウィルザード様も、お辛いかもしれませんがご辛抱ください」
 レイが丁寧に頭を下げる。
 女嫌い(しかもシェリスネイアはどちらかと言えば嫌いな部類)のウィルザードにとってはなかなか苦痛だろう。
「気にするな」
 しかしここで駄々をこねるほど子供でもない。
 ウィルザードは丁寧にシェリスネイアをエスコートして、自分の馬に乗せた。
 その厚い上着の中で鳥肌がたっていたことは本人しか知りようが無い。



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