可憐な王子の騒がしい恋の嵐

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15

 ――兄のことは覚えていない。


 生まれる前に行方知れずになった人のことを知るはずもない。母も兄に関しては口を噤んでしまって、シェリスネイアに話してくれることはなかった。呟く言葉といえば、兄さえいればの一言だけだ。
 リノルアースやアドルバードのように、家族に対する絶対的な愛情があるわけではない。むしろシェリスネイアの中にあるのは冷めた感情だけだ。
 それでも――自分がいなくなった後に母が生きていけるだけの手立ては用意しようと。それが自分を産んでくれたことに対する恩返しだと――そう思ってシェリスネイアは生きているかも分からない兄を探しにきた。


 もしかしたら――それすらも言い訳かもしれない。
 閉鎖的な王宮から少しだけ出てみたかった。外を見てみたかった。空から降る氷の結晶はどれほど美しいものだろうか――。
 だから目的という目的も存在しなかった。兄を探しているなんて、そんなことを口にしてしまったのはたぶんきっと。


「――……少しだけ、羨ましかったのよ」


 お互いがお互いを思いあうあの双子が。
 妹を見つめる優しいあの兄の瞳が。
 それがもしかしたら自分にもあったものだったかもしれないと、そう思えて。
 らしくない――本当に自分らしくない。
 家族の愛情なんて、とうの昔に望まなくなっていたはずなのに。







『ああ――あの子さえいてくれれば、こんな生活送っていなかったのに』
『陛下は今でも私を愛してくれていただろうに』
『どうせ生まれるなら王子であれば良かった。いくら美しくても姫では意味が無い』
『どうしてあの子はいないの』


 物心がついた頃には、呟かれる毒を持ったその言葉たちに慣れてしまっていた。
 母に心のそこから愛されていないことに気づいたのも早くだ。
 それでもシェリスネイアには後宮の中で生きていけるだけの美しさがあった。自分の武器がなんであるのか幼い頃から知っていた。
 家族なんてただ血が繋がっているだけの他人だと――そう考えてきたシェリスネイアの生き方をこの北国の人間は悉く潰してしまった。
 同じ王族なのにどうしてこうも違うのだろう。
 あの二人はあんなにも両親に愛されて、周囲から守られているのに、自分の惨めさといったらなんだろう。
 羨ましい。
 そんな感情を、シェリスネイアは今まで知らなかったのに。






■   ■   ■




「――それで、シェリスネイア姫の兄君が本当に生きていると思うか?」


 古い資料を掘り出しながら、同じ作業に文句一つ言わず淡々とこなすレイに問いかける。
「さぁ、どうでしょうね。まるで望みがないわけでもないと思いますが――なにしろ随分昔のことですし、生きていたとしても本人がアヴィラの王族であったことを覚えているとは思えないので」
 なにしろ行方不明になったのは話すこともできない赤子の頃だ。
「砂漠で行方不明ねぇ……確かにうちの南の方は中央砂漠との行路もあるし、近隣の国に比べて国境の警備も厳重じゃないから入りやすいかもな」
「国境の警備がなってないということに少しは危機感を覚えたらどうですか」
 ため息と共に吐き出されたレイの忠告をアドルバードはさらりと聞き流す。
 ハウゼンランドは攻め入ってもそれほど利益のない小国で、今では大国アルシザスの後ろ盾もある。まして冬になれば他国の人間では凌げないだろう大雪の壁があるのだ。攻略しにくい国ではあるだろう。
「えーと……十五、六年前か? 俺達が覚えているわけないしなぁ」
「アドル様もリノル様も生まれてませんよ――ああ、確かに中央砂漠で大きな砂嵐が相次いだみたいですね」
 手元の資料に目を落としながらレイが呟く。彼女も幼すぎて記憶にはないのだろう。
「どれ。ああ、ホントだ。これのどれかに王子が巻き込まれて、行方知れずになったってことか。それにしたって何の情報もないけど」
「……亡命であった、ということは考えられませんか?」
「――――亡命?」
 アドルバードが眉を顰めた。
 他国からの侵略の心配もないような大国、アヴィランテの王子が?
「アヴィランテには既に何人かの王子がいます。どれも生きているかもしれないシェリスネイア姫の兄君より年上です。確か王子は皆年齢は近かったと思います……当時たくさん生まれた王子は邪魔者であったとしても排除するのは難しかったでしょう。しかし、その後何年かして生まれた王子は……先に生まれた王子、または王子の後ろ盾によって暗殺されていたとは考えられませんか?」
「しかも送り込んでくる敵は王子の数だけいるってことか?」
 ごくりと、アドルバードは息を飲んだ。
 王家というものはけっこう血生臭いものだと――知識として知っていてもやはり実感がない。自分がどれだけ優しい世界で生きてきたかを思い知らされる気がした。
「おそらくは。シェリスネイア姫に聞いて確かめてみましょう。生まれてすぐ死んだ王子はいないか、いたとしたらそれは何人か」
 レイは持っていた資料を閉じて、脇に置いて、必要のなくなった資料だけ片付け始めた。
「推測として、シェリスネイア姫の兄君はそういった人間から逃れる為に――いや、逃がされて、たぶんハウゼンランドあたりを目指していた。そして中央砂漠を越える際に砂嵐に巻き込まれた?」
「それほど無理のある仮説ではないと思います。シェリスネイア姫もここまで辿り着いて、ハウゼンランドへやって来たのではないでしょうか」
 頭の切れる人みたいだからな、とアドルバードは呟く。
「じゃあ、シェリスネイア姫のとこへ――」
「今日はそっとしておいたらどうですか。行っても会ってもらえないかもしれませんし」
 行こうかと言おうとしたアドルバードの言葉をレイが遮る。
「それよりも、行きたいところが」
 話しながら出した資料をほとんど片付けたレイは、何冊か目ぼしい資料を手に取り立ち上がる。
「ああ、別にいいけど―― 一体どこに?」
 立ち上がりレイの後ろに続いて部屋を出る。
 思い出したんです、というレイの呟きにアドルバードは首をかしげた。
「十五年くらい前に、父は中央砂漠まで調査に向かっています。おそらく多発した砂嵐の件でしょう。行けば何か聞けるかもしれません」
「ディークが?」
 当時はまだただ王妃の騎士であったはず――今は騎士と共に王宮騎士団長まで兼任しているが。
「ええ。今頃はたぶん団長室にいると思いますから」
「ああー……じゃあ俺も一緒に行くよ」
「……嫌なら別に部屋で待っていて下さってもかまいませんが?」
 アドルバードの空気の変化に敏感に気がついたレイがちらりとアドルバードを見て言う。
「嫌ってわけじゃやないけど。ディークは会うたびにやれ肉を食えだの牛乳を飲めだの稽古をつけてやるだのうるさいから……」
 小さな頃から好き嫌いだのには両親よりもうるさかった。ディークに稽古をつけてもらった次の日には筋肉痛で一日中動けなくなる。
「あれでもアドル様を心配してるんですよ。稽古はむしろつけてもらった方がいいんじゃないですか? 最近怠ってますよ」
 ばれていないと思ったが、やはりレイには隠し通せるはずもなかったか――とアドルバードはしどろもどろに言い繕う。
「いやそれはホラ、ちょっといろいろ忙しくて」
「適度な運動した方が身長は伸びると聞きますけど」
「筋肉が悲鳴を上げるまでの運動は適度なのか?」 
 さすがにそのアドルバードのぼやきにはレイも苦笑する。
 最近はなおさら――彼の一人娘に手を出してしまったことが後ろめたくて顔を合わせずらい。親馬鹿というわけではないのが救いだろうか。
「いざとなったら助けますよ。たとえ父からでもね」
 そう微笑むレイが心強い。さすがに剣聖と讃えられる男に立ち向かうほどの勇気はアドルバードにはなかった。




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