可憐な王子の騒がしい恋の嵐
18
何も考えない。
何も思わない。
あらゆる可能性をこの脳から排除する。
それでもなお思考しようとする脳をどうにか制御する。
――知りたくない。
気づきたくない。
リノルアースは明かりを消し去った部屋の中――寝台の上で膝を抱えながらじっとしていた。
女官は皆下がらせた。リノルアースを気遣う彼女達の存在は時に鬱陶しい。一人になりたい時もある。
否、本当は一人でいたくない。ただ一人の人に側にいて欲しい。たぶん彼はリノルアースが黙ったままでこんな暗い部屋の中にいたら大いに動揺して、右往左往するのだろう。そんな光景が容易に想像できて少しだけ笑えた。
そして彼に仕事を言いつけていた自分に感謝し、同時に恨んでしまう。
「……ルイ」
呼んでも返事なんてあるわけがないのに、何故かリノルアースの唇は騎士の名を紡ぐ。
闇がリノルアースの鈴の音のような声を吸い取る。小さな声は飲み込まれたままだ。
当たり前かとリノルアースはため息を吐き、膝に頭を預ける。
「呼びました?」
いつもの低い声を聞いても、空耳だろうと思った。いるわけないという意識がそれを幻として処理した。
「……リノル様?」
暗闇の中、彼の緑色の瞳と目があって――現実だと認識される。
「ル、ルイ――どうしてここにいるの!?」
仕事しなさいよとリノルアースはつい照れ隠しでいつもの憎まれ口を叩いてしまう。
「いえ、その……一応リノル様の安全を確認しておこうかなと」
「怪我なんてしてないわよ。昼間も確認したでしょう?」
「……そうですけど、呼んだでしょう?」
柔らかな微笑みを浮かべてルイが言う。
ああ、もう――まさか本人がいて聞かれているなんて。一生の不覚だ。
「……何よ。呼んだら悪いの?」
リノルアースが照れ隠しに睨み付けると、ルイは優しく微笑んだまま、いいえと答える。
「いつ、どんな時でも俺を呼んでください。あなたの声が聞こえたなら、何もかもを投げ出しても参上します――俺はあなたの剣であり、盾ですから」
こんな時にそんなこと言わないでよ。思わず縋りつきたくなるような。
「……聞こえないほど遠くにいたら?」
返事は分かっていた。けれどリノルアースはふて腐れたようにそう呟く。
「命令でもない限り、そう遠くには行きませんよ」
即答するルイを見つめてリノルアースは黙り込む。
迷いなくきっぱりと言い切ってくれる彼が好きだと思う。本人には決して言わないけど。 ルイにしてみればなんの含みもない言葉だったんだろう。リノルアースが密かに不安に思うことにも鈍感な彼は気付いていないに違いない。
――なんとなく、嫌な予感はしていた。だからルイをシェリスネイアには会わせなかった。
分かってしまった。
こんな時は自分の回転の早い脳を恨みたくなる。
どんなに考えないようにしても自分の頭は答えを導き出す。
――たぶんルイは、シェリスネイアの兄だ。
アヴィランテの王子だ。
ハウゼンランドなんて小国の姫では手も届かないほどに遠い――。
「――なら今ここで誓いなさい。いつまでも、私の側にいて私を守ると」
真剣なリノルアースに若干の違和感を感じつつ、ルイはリノルアースの足元に跪く。剣を掲げて頭を垂れた。
「誓います。いつまでもあなたの側で、あなたの剣となり盾となると」
――ああ、なんてズルイんだろう。
彼に選択の余地も与えずに忠誠という見えない鎖で縛り付ける。
不意に零れそうになった涙を堪えた。
差し出したリノルアースの手の甲に、ルイは自然な動作で口づける。唇が触れた部分が甘くて痛い。
「……誓いを破ったりしたらどうなるか分かってるわよね? タダじゃすまないわよ」
「破りませんよ、命は惜しいですから」
そう言いながらルイは苦笑する。
「――報告を。その後で仕事に戻りなさい。客人に変わった様子は?」
「他国の方々には特に目立った動きはありませんよ」
そう、とリノルアースはひとまず安堵した。
ルイには少し前から隠密にも似た仕事をしてもらっている。国賓の動向などを探ってもらっていたのだ。万が一にも面倒事が起きないように。
「では、ハドルスとルザードは?」
リノルアースの悩みの種はむしろそっちだった。
随分昔からアドルバードが座るべき王座を狙う従兄弟達。野心家で自信いっぱいでけれども実力を見誤っている比較的凡人。それに気づかずにいるということも愚かな証拠なのだが。
「そのことでご報告が」
低いルイの声がいっそう低くなる。
――話なさい、とリノルアースは小さく命じた。人払いが済んでいたのは幸いだった。
■ ■ ■
「――シェリスネイア姫が嫌がらせに?」
城に戻った途端にウィルザードから話を聞かされてアドルバードは重い息を吐き出す。
「……どうしてこう次から次へと問題が起きるかな」
「誰が犯人かまだ分からないが、まぁ目障りな敵だったんだろうなぁ」
報告しにきたウィルザードが暢気に呟く。
シェリスネイアのことをなぜウィルザードが知っているのか問いただしたいところだったふが、聞くタイミングを逃してしまった。
「それで、姫のご様子は?」
やはり少しは心配なのだろう、レイがウィルザードに問いかける。
「まぁ、強がれるくらいには平気みたいだったぞ。嫌な話だが、慣れるんだろうな、ああいう人は」
女の世界で美人は敵を作りやすい。それは本人の性格関係なしだ。
男も美醜を気にしないわけではないが、女は特に敏感だ。何よりこういう王族貴族の世界は顕著に現れるだろう。女性にとって美しさだけが己の武器だから。
つまりリノルアースやシェリスネイアのような絶世の美女は格好の的なのだ。徒党を組んだ女性達によって徹底的に叩かれる。
「……そういう生き物ですから」
苦笑交じりに呟くレイを見上げ、アドルバードは控えめに問いかける。
彼女も的になりそうな美人であったことを今更思い出して、少なくとも自分の記憶には彼女が攻撃されていることはなかったような気がする。あったにも関わらず気づかなかったのだとしらよほど馬鹿だ。
「…………おまえもあったのか? そういうこと」
「――まぁ、小さな頃に少しだけ」
やっぱりあったのかとアドルバードは自分を殴りたい衝動に駆られる。誰よりも一番側にいて気づかない俺は何様だ。
「ごめん」
気づかなくて。助けてやれなくて。支えてやれなくて。
いろんな意味の謝罪が混じり混じって結局そんなことしか言えない。
「アドル様のせいではありませんよ、本当に幼い頃だけですし」
貴族のお嬢様からすればレイは目障りな存在だったに違いない。
特に高い地位の貴族でもないのに王子と誰よりも親しい。ましてこの外見だ。小さな頃から男の格好をすることもあったが、髪は長かったし普通にドレスを着ていることもあった。
「むしろ十歳を過ぎた頃の私にそんな真似をするような勇敢な方はいないでしょう」
おどけたレイの言葉にアドルバードは思わず笑う。
「ホント、女の世界は黒いよなぁ」
心底嫌そうにウィルザードが呟いた。
存在をすっかり忘れていて「まだいたのか」と口から零れてしまった。
ウィルザードはアドルバードの言葉に気分を害した様子もなく立ち上がる。
「そろそろ出てくよ。いちゃつくならそれからにしてくれ」
ひらひらと手を振ってウィルザードは部屋から出て行き、彼の言葉を飲み込むのに若干時間のかかったアドルバードが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「いちゃついてないんかない!!」
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