可憐な王子の騒がしい恋の嵐

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26

 耳に甘い吐息がかかる。


 ああもう、またこの人は、自分をからかって――そう思っていた。




「あなたは、アヴィランテの王子なのよ」



 静かな声。
 真剣な声。
 それはいつものリノルアースのそれではなく――。


「なにを、言ってるんですか」


 動揺がそのまま声に出た。
 アヴィランテなんて大国、自分には縁のないものだと思ってきた。自分はこのまま、ハウゼンランドで、騎士として、穏やかに生きていくと、そう思いこんでいた。
 自分の出生なんて気にしたことはなかった。
 気にしなくてもいいくらいに――恵まれた人生を歩んでいたから。
「……私個人で、随分前から調べていたわ。確証はなかったけど……あのね、ルイ。シェリーはたった一人のお兄さんを探しに来たんですって。十五、六年前、中央砂漠で消息を絶った、まだ赤子だったお兄さんを」
 偶然に思える? とリノルアースが微笑む。
 その笑顔がどこか悲しげで、ルイは何も言えない。
「アドルとレイがディークにも確認をとったらしいわ。誰もがあなたが王子じゃないなんて否定できないくらい、状況証拠はそろってるの」
 自分がまるで知らないところで、随分と大きなことが動いていた――。
 確かに、外見の特徴といい、ディークに保護された状況といい――出来すぎたくらいにぴったりだ。
 何も言えなかった。
 何を言えばいいのか分からなかった。
 ずっと、ただの騎士として生きてきたのに――ある日突然大国の王子だったなんて。
「……まだシェリーには話してないわ。でももう、限界ね。会わせないようにしてたのに、遭遇しちゃうんだもの」
 呆然と、話を聞いているうちにリノルアースの部屋まで辿り着く。
 淡々としたリノルアースの声が、ただ耳に入ってくる。そこには寂しさも、悲しさも、感じられない。
「アドルのところで詳しく話をきいてくるといいわ。レイもいれば、もっときちんと説明してくれるでしょう――」
「……リノル様」
 そっとリノルアースを椅子に座らせ、ルイはその顔を見つめて言う。
「その前に、お茶を」
 淹れると約束した。
 いつも不味いと言いながらきちんと最後まで飲み干してくれていることくらい、ルイも知っている。
「……本当に、アヴィランテの王子だったなら、私なんかにそんなことする必要はないのよ?」
 あなたの方がずっと偉いんだから、とリノルアースは俯きながら呟く。
「そうかもしれません、でも――今ここにいるのは、ルイ・バウアーですから。あなたに仕えてきた、ただの騎士です」
 説明を聞きに行くのは、お茶のあとでもいいでしょう? とルイは微笑む。
 なぜか今のリノルアースを一人にさせたくなかった。





 結局リノルアースが就寝するまで、ルイは側から離れなかった。
 いつもなら追い出されるが、リノルアースが寝台に入って眠りにつくその時まで、そっと傍らに立つ。
 暗くなった部屋をそっと出て、ルイはアドルバードの部屋に向かった。まだ二人とも起きているだろう。
 案の定、部屋の前まで行くと中から話し声が聞こえた。


「――失礼します。アドルバード様」
 ノックと共に、ルイは入室すると、夜着に着替えたアドルバードと、未だに騎士服を着た姉のレイがいる。
「ルイ? どうしたこんな夜遅く」
「こんな夜遅くに姉さんを部屋に入れてるアドル様にお聞きしたいことが」
 この人に限って問題はないと思うが――姉も妙齢の女子であることをたまには主張しておかなければ。
「な、なんだよ」
 厭味を言われていることに若干押され、アドルバードはルイを見上げた。


「――俺が、アヴィランテの王子かもしれないと、リノル様から聞きました」


 しん、と部屋の中が静まり返る。
 アドルバードなんて全部顔に出ている。レイは何を考えているか、まるで読めないが。
「……リノル様が、おっしゃったのか」
 レイが静かにルイに問う。
「ええ、アヴィランテの姫君に会った直後に、もう隠しきれないからと」
「そして、説明を聞きに来た」
 リノルアースが話さなかったのは――たぶん、辛いからだろうと、アドルバードもレイも推測する。
「リノル様がそうするのが良いだろうと。父上からもすでに話を聞いているそうですね?」
 こくりと、レイが頷く。
 そしてちらりとアドルバードを見てから、説明役を買って出た。正直上手く説明する自信がなかったアドルバードとしては感謝だ。
 説明といっても、おおよそが憶測に過ぎない――しかしそのあまりにも合致しすぎる状況に、ルイもため息を吐き出す。




「――黙っていてすまなかった」


 すべてを説明し終えてから、申し訳なさそうにレイが呟く。
「気にしてません。俺にはどうでも良いことですから」
「どうでも良いって――けっこう大事だぞ? おまえ本当にアヴィラの王子なら一生苦労しないで生きていけるだろ」
 黙っていたアドルバードが思わず口を開く。
「楽に生きろなんて教育受けてないので。このままアヴィラの姫君が帰るまで素知らぬ顔をしていれば良い話でしょう? 証拠はないわけですし」
「いやー……ばれたら国際問題に」
「十年以上も前に行方不明になった王子のことなんて、アヴィラの人間でも忘れているでしょう」
 確かにそうだが、とアドルバードは口籠もる。
「一応、妹かもしれないんだぞ?」
 シェリスネイアのことだ。ルイの反応はあまりにも淡白すぎる。
「俺の家族は両親と姉だけです。俺はこのままハウゼンランドに骨を埋めるつもりなんですから」
 そのきっぱりとした言葉を、リノルアースにも聞かせてやりたいな、とアドルバードは思う。
「……それが、許されれば良いけれど」
 レイが静かに不吉な言葉を呟く。
「レ、レイ? そんなこと言うとさ、ほら、悪いことが――」
「起きるでしょうね。シェリスネイア様はリノルアース様並みに頭の回る方ですから。ルイと顔をあわせた段階で、ルイが兄である可能性を考えるでしょう。そしてルイはもう養子であることを言ってしまった」
 決定打を言っていないのが幸いですが、とレイは付け加える。
「遠からず、探られるでしょう。その時上手く隠し通せるとは思いません」
 顔に出やすい人がいますから、と誰かは言わなかったが、誰のことかはその場にいる者なら分かってしまった――不幸なことに本人でさえ。





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