可憐な王子の騒がしい恋の嵐

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29

「…………ルイ?」


 暗闇の中で人の気配を感じて、リノルアースは目をこすりながら、わずかに差し込む月光を頼りにその人を探す。
 こんな真夜中に、ルイが自分の部屋にいるわけがないと分かっているのに、一番最初に名前が浮かんだのが彼だった。
 人影が動く。
「……ルイではなくて、申し訳ありません」
 苦笑するような、涼やかな声。
 その声には、幼い頃から馴染みがある。付き合いだけならルイよりも長い。
「レイ――どうしたの?」
 暗闇に慣れ始めた目が、レイの表情を読み取る。珍しい顔をしている。
「今夜は、お一人では心細いかと思いまして。ルイの方が良かったみたいですが」
「べ、別にそういうわけじゃ――大体あの男がこんな時間に部屋にいたらいくらんでも叩き出すわよ」
 そもそも寝顔なんて――そんな無防備な顔を、ルイにそうそう曝すわけにはいかない。
「つい先ほどまでは隣室にいましたが」
「んなっ……どうして!?」
 寝顔を見られたという羞恥心と、その時に目を覚まさなかった自分に対する憤りが交じり合ってリノルアースは思わず声を荒げる。
「いえ、少し奇襲に遭いまして」
「奇襲?」
 首を傾げるリノルアースに、レイは「明日説明しますよ」と答え、再び眠るように促す。
「……わざわざ来たんだもの、ここで寝るんでしょ?」
 甘えるような声になったのは、やはり今日はどこか疲れたからかもしれない。
 レイは優しく微笑んで、もちろんと答える。大きな寝台に、二人眠ることはたやすい。
「こんな風に寝るの、何年ぶりかしら。小さな頃はアドルと三人並んでお昼寝とかもしたわね――夏に、芝生の上で寝たりして、レイがディークに叱られたこともあった」
 懐かしいですね、というレイの声が、まだ眠い脳に心地よく響く。
 プライドの高いリノルアースが甘えられる人は、そう多くない。兄でさえ素直に甘えることは滅多にない。
 その中でレイという人は――昔から立ち位置が変わらない。こうして甘えたい時に、そっと側にいてくれる。
「こんな毎日が、ずっと続けば良いのに」
 それは大人になりたくないという、リノルアースの本音を零していた。
「そうすれば――ずっと、一緒にいられるのに」
 政略とか、そんなもの関係なかった小さな頃のように、何も気にすることなく、未来を憂うこともなく。
「……リノル様」
 レイが優しく、リノルアースの髪を撫でた。
 その手が嬉しい。けれど同時に、その手じゃないとも思う。本当に触れて欲しいのは、違う人だ。
「本当は国政とか、どうでもいいわ。アドルがいて、レイがいて――ルイがいてくれれば、いいのに」
 立場がそれを許さない。
 ただ状況に流されてしまえば、リノルアースはどこかの国に嫁ぐことになるだろうし、アドルバードは美しい姫君を娶るのだろう。
 それが嫌だった。
 嫌だったから――あらゆる手を使って掴もうとする未来に手を伸ばしたのに。
「ルイが」
 リノルアースは耐え切れずにレイにしがみつく。
 その声が震えて、大きな瞳から綺麗な雫が落ちたのは――たぶん気のせいじゃない。



 ――ルイが、いっちゃう。


 遠くへ。


 その切ない声に、レイは何も言えなかった。
 ただ優しく抱きしめてあげることしか出来ない。ついさっき、ルイに言った言葉ばかりが頭の中で繰り返される。
 欲しい未来を手にするには、そうするべきだと、そう思った。
 しかしそれしか道がないわけじゃない。
 道を選ぶのはルイだ。彼が選ぶ道を、姉として応援するだけだ。
 そしてたぶん、レイはもう分かっていた。ルイがどの道を選ぶのか、その結果誰が傷つくのか――。


 レイはただ、リノルアースを抱きしめる力を強めた。
 それしか、出来なかったから。







■   ■   ■




「――――では、確認はできなかったのね?」

 ふぅ、というため息と一緒に、シェリスネイアが失望の色を含んで呟いた。
「申し訳ありません。その、邪魔されてしまって――」
「仕方ないわ。あの騎士は一番手ごわそうだもの。その反応を見れただけでも良しとしましょう……明日あたり、王子かリノルに、それとなく探りを入れればいいのよ」
 王子あたりは顔に出るでしょうしね、とシェリスネイアは微笑む。
 そして無意識に自分の右肩に触れた。
 アヴィランテの王族である証。それはアヴィランテの王族の象徴である鷲が描かれた王印――生まれて間もなく、刻まれる痛み。
 兄なんてどうせ見つからないと思っていた。
 嫁ぐ前の最後の悪あがきだった。
 なのに――どうしてだろう。もしかしたらという人を見つけただけで、こんなにも自分は躍起になっている。


 この北国にきて思い出されるのは仲の良い双子――その傍らに立つ、綺麗な騎士。普段ならおそらく、その輪の中にあの騎士も加わるのだろう。
 思い描いてきたような幸せな光景。
 温かな日差しの中で微笑む人々。他愛ない語り。


 どうして?


 どうして自分が望んだものが、こんなにもここは溢れているんだろう。
 欲しいと切望して、今まで叶わなかったものが。


「ずるいわ、リノル……」


 同じように王族として生まれ。
 同じように大陸でもてはやされてきたというのに。
 手にしているものはこんなにも違う。
 アヴィランテはいつも寒い。この北国のような温かさなんてどこにもない――あるはずの、母親の側でさえ、シェリスネイアにはなかった。


「わけて、くれてもいいでしょう?」


 その呟きは闇の中に溶けていく。
 だって、あなたは他にもたくさん持っているじゃない。
 私にないものを、私が欲しくてたまらなかったものを、そんなにたくさん持っているじゃない。
 ならば――本来私のものだったはずの人くらい返して。







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