可憐な王子の騒がしい恋の嵐

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33

 リノルアースを追いかけて、ルイが走り去るのを見送った四人の間には、妙な沈黙が漂う。
 誰も呼んで来いと言わないのはやはり、誰も馬に蹴られたくはないからだろう。


「…………シェリスネイア様、紅茶のおかわりはいかがですか?」
 何とも言えない沈黙の中で、レイが静かに問いかける。
「……け、けっこうですわ。もう充分」
 色々なことでお腹がいっぱいだわ、とシェリスネイアはカップを置きながら答える。
 ウィルザードはどこか居心地悪そうにきょろきょろしているし、アドルバードにいたってはリノルアースを追いかける役をルイに譲ったのが果たして正解だったのか否かぶつぶつと自問自答している。
「ていうかいくらなんでも遅すぎだしあいつまさかリノルに手ぇ出してないだろうなんなことしてたら問答無用でぶっ飛ばしてやる……」
 最近はまともだと思っていたが、アドルバードの兄馬鹿ぶりはやはり尋常じゃなかったな、とレイは冷静に判断を下す。久しぶりにあんなに弱ったリノルアースを見たからかもしれない。
「では、そろそろ解散しましょう。待っていても戻ってこないと思いますから」
 そうだな、とウィルザードは同意して、立ち上がる。
 シェリスネイアも頷いたので、レイはウィルザードにシェリスネイアを送ってくれるように頼んだ。分かったとやけにあっさり承諾する。
「――なんていうか、俺はここに呼ばれた理由はあるのか?」
 正直完璧に部外者なんだが、とウィルザードが頬を掻きながらレイに問う。
「どうせ後で知られることでしょうから、初めからお話しておく方が面倒がないでしょう? 色々とご協力もいただきましたし、アドル様やリノル様のご親戚でもありますし」
「まぁ、そっちの都合が悪くないならどうでもいいけど。口は軽くないから安心しろと後ろの馬鹿に言っといてくれ」
 話ができるような状況じゃないみたいだしな、とウィルザードが笑う。
「確かにお伝えします」
 レイがそう答えて二人を見送り、扉をゆっくりと閉めて振り返る。目線の先には――かなり情けない姿の主が一人。






「――戻ってこないってまさかあいつ本気でリノルに手ぇ出してたりして!?」


 レイのセリフが脳内に届くまでに時間がかかったのだろう。今更にアドルバードが過剰反応を示して、レイは呆れたようにため息を吐き出す。
「そんな甲斐性はないと何度言えば分かるんですか。今行けばリノル様に恨まれますよ」
「妹の窮地を救って何が悪い!?」
「窮地に陥ってもいませんから。今が良いところなんですから、大人しくしていてください」
「大人しくなんてしてられるか! あいつを一発殴る!!」
「純粋に力勝負なら負けますよ。アドル様」
 あれでも騎士ですからね、とあくまで冷静にレイは切り返す。
「まだ早い! やっぱりリノルに愛だの恋だのはまだ早すぎる!!」
「どの口が言うんですか、それは」
 今にも走り出しそうなアドルバードの腕を掴みながら、レイが冷静に止める。
 じたばたと暴れる主を見つめ、どう止めたものか、と思案し――


「――――アドル様」


 なんだ、とレイに呼ばれれば律儀に答えたアドルバードが悪かった。
 ふわりと、甘い香りが鼻腔をくすぐる。花に囲まれているみたいだとアドルバードは考え――レイに後ろから抱きしめられていることに、数秒後に気づく。
「行かないでください」
 それは惚れた女の口から吐かれればかなりの威力を持つ兵器になるのだと、アドルバードはこの場を持って思い知った。
「レレレレ、レイ!?」
 崩壊寸前までに脈打つ心臓の音が頭にまで響く。ここまで密着することがいまだかつてあっただろうか。しかも彼女の方から。
 いやしかしセリフはともかく立ち位置は逆じゃないかとアドルバードは思うが――レイよりも身長の低いアドルバードが同じことをしても、これほどまでに絵にはならないだろう。


 ああごめんリノル。おまえの危機も大事だけどお兄ちゃんとしてはこれはかなり見逃せないチャンスなんですけど。


 心の中で可愛い妹に懺悔する。
「――落ち着きました?」
 その声と共に、吐息が耳にかかる。
 アドルバードは顔だけではなく首筋まで真っ赤に染まり、こくこくと頷く。
 その反応を確認して、そうですか、とレイはゆっくりと身体を離す。ぬくもりが離れていくことを惜しく感じながら、アドルバードは首を傾げた。
「……もしかして、これは、罠ですか?」
 何故か敬語で、アドルバードは振り返りながらレイに問いかける。
「罠とは失礼ですね。……でも、頭は冷えたでしょう?」
 いや別の理由で頭に血が上ってますけど!?
 レイの微笑に、アドルバードは悲しくなったらいいのか怒ったらいいのか。
「……おまえ、俺以外にこんなことするなよ?」
「するわけがないでしょう」
 そうやって即答するところも男としてはかなりくるんですけどね。
 はぁ、とアドルバードはため息を吐き出して、肩を落とす。レイの行動は天然なのか計算なのかさっぱり分からない。
「あー……リノルは大丈夫かな?」
 意識を別に移そうと、とりあえずアドルバードは話を変える。
「ルイが追いかけましたから、あの二人なりの妥協点を見つけるでしょう」
「……妥協、ねぇ」
 あの我儘な妹が折れるだろうかと不安になるのは仕方ないことだろう。
「もう子供ではないんですから、リノル様も理解していると思いますよ?」
 苦笑しながらレイは不安そうなアドルバードに言う。
「そうだろうけど――ごめん、レイ。俺は、個人的にリノルの味方をしたかった」
 ルイ本人から頼まれたから、仕方なく協力したけど、とアドルバードが俯く。
 リノルアースは我儘で、自分勝手だけど――本当に欲しいものを欲しいと言えない、人間だったから。それを今まで共に育ってきたアドルバードが誰よりも一番よく知っていたから。
「分かってますよ……分かっていたけど、私は味方になれなかったんです」
 少しだけ悲しそうにレイが呟き、アドルバードの肩に額を押し付ける。アドルバードはその肩を抱きしめようかと手を伸ばしかけ――止めた。


「だから、あなたはそれ良いんです。あなたはリノル様に優しくしてください」


 私はたぶん、無条件にはそれができないから。
 そう辛そうに呟くレイが愛しくてたまらなかった。
 彼女がアドルバード以外のものを――例えばそれがリノルアースでも――犠牲にして守ろうとするのは、たぶんアドルバードとの繋がりだから。
 そして今、レイは繋がり以上のものも手に入れようとしてくれているから。
 それを求めたのはアドルバードだ。彼女が頑なに引いていた一線を無理やりに越えたのは自分だ。
「おまえは悪くない」
 そっと、レイの髪を撫でる。
 さらさらとした触り心地に、少しだけ目を細める。




「俺が悪いんだよ、全部」


 誰よりも我儘なのは――他ならぬ自分だ。







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