可憐な王子の騒がしい恋の嵐
34
シェリスネイアを部屋まで送り届けることに異論はない。
彼女と友好的な関係でないことは確かだが、それを理由にシェリスネイアをないがしろにしたことは一度もないとウィルザードは断言できた。
――だから、この沈黙はキツい。
アドルバードの部屋から出て、二人でただ黙々と歩いているだけだが、空気が明らかに重い。シェリスネイアは床を見つめたまま顔をあげないし、女性との付き合いが苦手なウィルザードでは声をかけていいのかさえ判断できずにいる。
――いつもの威勢はどこにいった。
リノルアースにしろ、シェリスネイアにしろ、いつもの覇気がないとこちらの調子が狂わされる。
「……いったい何が不満だっていうんだ?お姫様」
気を遣うことができる力量もないので、ウィルザードは素直に問い掛けた。
シェリスネイアの黒い瞳が揺れて、ウィルザードを映した。
「……あなたは本当に嫌な男ね。ここはそっとしておいてくださるところでしょう?」
ああ、やはりそちらが正解か――と内心では苦笑しつつ、ウィルザードはシェリスネイアを見つめた。
「俺にそんなこと期待されても無駄ですよ。言いませんでしたか?俺はあんたに好かれたいと思って行動しているわけじゃありませんから」
そこらへんの男と違ってね、と答えるとシェリスネイアは微かに笑う。
「そうでしたわ。あなたは例外ですものね」
それはどういう意味だと一瞬問いただしたくなり、ウィルザードは口を閉ざした。
こんなわがままなお姫様苦手なはずだろう? ともう一人の自分に問い掛ける。
「――不満は、ないのよ」
シェリスネイアの声が耳まで届く。
「ただ、自己嫌悪で身動きがとれなくなっているだけで」
「――自己嫌悪?」
ウィルザードが繰り返す。その言葉を他人の声で聞いてやっと、シェリスネイアは自分の中の感情が整理できそうだった。
「……汚くて、本当に嫌になる」
シェリスネイアの静かな呟きは、確かにウィルザードの耳にも届いた。
彼女としては、ウィルザードに愚痴を零しているつもりでもないのだろう。ただ言葉にして、誰かに聞いてもらいたいだけなのだ。
「自分の為に、他人から大切なものを奪いとるなんて野蛮人のすることだわ。それでも前言を撤回するつもりもないのよ。だってリノルは私がずっと欲しかったものをたくさん持っているんだもの」
友人だと思う。気の合う人と巡り会えたことに感謝している。けれど同時に妬ましい。境遇は似ているのに、環境はまるで違う。
「私だって、誰かに守って欲しかった。誰かに側にいて支えてもらいたかった。アヴィラなんて華々しいのは外面だけよ。中身はもう腐敗して、人間の汚い部分しか見えない。そしてその中には私も含まれているのよ」
ウィルザードはただ黙ってシェリスネイアの言葉を聞いていた。彼女は返事も、相槌も求めていないはずだ。
ただ傍らに、当たり前のように誰かに居て欲しいだけなのだと。
――間違えて、いたかもなぁ。
自分の中のシェリスネイアのイメージを、否定したくなる。
目の前にいるこの少女はただのか弱い、守ってあげたくなるようなお姫様だ。
ほんの少し前から垣間見せる彼女の弱い部分に、目を逸らせずにいた自分は確かにいた。放っておけないと、そう思っていたことも事実だ。
「あんな人間にはなりたくないと、ずっとそう思っていたはずなのに、結局私は骨の髄までアヴィラに染まっているんだわ」
痛々しい声に、思わず手が動いた。
細い、力を込めれば折れてしまいそうなほどに細い腕をに触れる。一瞬だけ、シェリスネイアの身体がびくりと震えた。
「――月並みな言葉だし、あんたは俺に慰めて欲しいなんて考えてないんだろうけどな。本当に性根が腐っている人間は、自分のやったことに対して後悔はしない。そして苦しむこともしない」
ウィルザードを見上げてきたシェリスネイアの黒い瞳濡れていた。その瞳から一滴でも涙を零さないのは、たぶん彼女の意地なんだろう。
その意地を、崩したいと思ってしまった。
「つまらないプライドなら捨てた方が楽だぞ。泣ける時には泣いとけ」
彼女の腕を捕らえた手は離さず、空いた手で頬を撫でた。
かぁ、と赤くなったその顔を見て、失敗したかなとウィルザードが内心苦笑する。これは照れたのではなく、どちらかといえば怒りで頬を染めている。
「あ、あ、あ、あなたなどには死んでも泣き顔なんて見せませんっ! ええ、絶対にです!
屈辱以外の何ものでもありませんわ!」
可愛くない女に逆戻りだ。やっぱり女は分からない。
はぁ、とウィルザードがため息を零し、シェリスネイアの腕を放す。
「人が親切にしてやってるっていうのに。可愛げのないお姫様ですねホント」
「あなたからの親切なんていらないと言っているんです!」
「はいはい。分かってますよ」
まぁ、落ち込んでいるよりは怒っている方がいい。その方がずっと彼女らしい。
なおも怒りながらウィルザードに怒鳴り散らすシェリスネイアを軽くあしらって、ウィルザードは頬が緩むのを感じた。
「――リノルアースは思っているほど弱くはないですよ。あなたが心配することでもない。すぐに浮上します」
シェリスネイアの部屋について、ウィルザードが別れ際にそう残す。
普段通りの丁寧な言葉遣いに、シェリスネイアは少しだけ胸に痛みを覚えた。「あんた」から「あなた」に。大きな違いなどそれだけなのに。
「女は須らく強い生き物ですけど――恋は人を弱くさせるものでしてよ?」
リノルアースはあの騎士に――自分の兄かもしれない人に、恋をしている。そんなことはあの場にいた誰もがわかった。
「そうですか? 俺の説としては逆ですけど?」
ウィルザードが笑いながら振り返る。
その笑みは確信を持ってそれを告げた。
「女は恋をすると強くなる。男なんて敵わないくらいにね」
男はもともと、女に勝てないように出来ているのかもしれませんけどね、とウェルザードは苦笑する。
「なら私も――恋をすれば強くなれるかしら?」
くす、と微笑みながらシェリスネイアは問う。ウィルザードは少し困ったような顔をして、そうでしょうね、と呟いた。
さすがにもう誤魔化すつもりはない。
認めよう。認めたくはないけれども。
――落とされた。もう目を逸らせないくらいに。
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