可憐な王子の騒がしい恋の嵐
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「――皇子であることはある意味で切り札でしょう? 命を狙われることなど日常茶飯事ですもの。このまま秘しておいた方がよろしいんじゃなくて?」
シェリスネイアの凛とした声がその場に沈黙を落とす。
その中で、兄であるルイと目が合った。苦しそうな顔で、シェリスネイアを見つめていた。
――お兄様、と呼ぶのはまだ先の話になりそうね。
呼んでみたいと、ずっと思っていたのだけど。
しかし兄である彼は、皇子としてではなく騎士として生きたいと思っているようで――それは嫌というほどシェリスネイアにも伝わってくる。
だって彼は、自分を「姫」としか呼ばない。
「それを、私の口から言わせるためのセリフに思えたのですけど、違いますかしら?」
意地悪そうに微笑み、シェリスネイアはレイに目を向けた。
「あなたが聡明な方で助かります」
レイは優しく微笑んでそう切り替えした。
一枚上手か、とシェリスネイアは苦笑する。
「姉さん、それは……っ!」
「レイ!」
アドルバードとルイが同時に抗議のために声を上げる。
シェリスネイアの目からも、彼女の汚れ役を演じる様は隙がない。その容姿からも感じる冷たさを、自身でよく知っているのだろう。
「手段を選ぶ余裕がありますか? 手札は限られているんですよ?」
ぐ、と言葉に詰まったのはアドルバードだった。
ルイは引き下がるつもりはないらしい、珍しく姉に食いかかる。
「俺を信用していると言ったのは姉さんでしょう! その処置では信用していないと言っているのも同じです! 俺をそこらへんの腑抜けと同じにしないでください! 俺はルイ・バウアーです。剣聖の息子ですよ!」
「冷静な判断も出来ない人間の剣は鈍るだけだ」
「俺は冷静です、この上なく! 何を守るべきか、守らざるべきかも理解している!」
守るべきものさえ分かっていればそれでいい。守るものの為に剣を振るうのが騎士なのだから。
ルイにとって守るべきはリノルアースのみだ。
――……そのはずだ。
「……この中のどれほどの人間が、両手で数え切れないほど毒を飲まされたことがあるかしら?」
重い沈黙を切り裂く、美しい声が発した言葉はあまりにも毒々しかった。
シェリスネイアは微笑みを浮かべながら、周囲の人間を見た。
「耐性がついて並大抵の毒薬では死ぬこともなくなるほど、毒を盛られたことがあって? 敵というのは紳士的に剣を振るってくるだけではありませんのよ?」
シェリスネイアがじっと見つめる先はルイだった。
幼い頃から何度も暗殺されそうになったシェリスネイアの身体は、毒にも慣れてしまった。一方ハウゼンランドという平和な国で育ったルイがその毒を口にすれば、いくら鍛えた騎士であろうと一瞬で冥府に下ることもあるだろう。
「アヴィラの人間のやり方は私の方が熟知しています。私が分かっていて協力を申し出ているのですから、余計な口出しはなさらないでくださいな。王子が狙われる以上、リノルに危険が及ぶこともありえますのよ?」
――だから大人しくリノルアースだけを守っていればいい。
シェリスネイアの目はそう言っていた。
守ろうとする手を払うそのシェリスネイアの行動は、今までの彼女の生き方を表しているようで、切なくて悲しい。
「何も、シェリスネイア様に護衛をつけないとは申していませんが」
レイがたまりかねたように口を挟んだ。
周囲の目がレイに再び集中し、レイはため息を零して続けた。
「ウィルザード様、カルヴァ陛下。お二人にシェリスネイア様をお願いしたいのですが」
そう言われるのだろうと予期していたカルヴァはまるで動じずに、ただ頷いた。大きく動揺したのはもちろんウィルザードの方だ。
「んなっ……なんでっ!?」
「他国の王族が側にいることで牽制にもなりますし、ウィルザード様は剣の腕もたつので」
牽制の意味ではウィルザードは大して意味がない。ネイガスの国力はハウゼンランドとそう変わらないものだ。牽制の意味はカルヴァが一身に背負っているとも言える。
「我関せずで傍観しているだけで済むはずがないでしょう?」
事実さっきまで関係のない話だと、ウィルザードは暢気に紅茶を楽しんでいた。
「いやでもその、誤解される可能性も……」
「何のために二人にお願いしていると思っているんですか。誤解されないように三人で行動していただければいいんです」
とっさに思いついた言い訳もレイにものの見事に切り捨てられた。
「確かに、ウィルが俺と親戚関係なのはこの辺りの王族なら周知だし、カルヴァとは同盟関係が知れ渡ってるな。国賓を親しい友人に託した、という形が取れるわけだ」
アドルバードが納得して何度も頷く。半分はウィルザードの恋路を協力してやるつもりで、レイの作戦に乗っているのだが。
「嫌だというのなら、陛下だけでかまいませんけど」
ウィルザードが抵抗しているのを見てシェリスネイアが不機嫌そうに申し出る。
「嫌だとは言ってない!」
誰かがフォローを入れるよりも早く、ウィルザードが即答する。
その早さにシェリスネイアも目を丸くして驚いた。その表情を見て、頬を赤く染めたウィルザードが顔を逸らす。
「…………青い春ねぇ」
語尾にくだらない、と付け加えそうな口調でリノルアースはぽつりと呟いた。幸い当本人である二人には聞こえていない。
「なんだか無性に我が愛しの君に会いたくなったので、これで失礼する。まったくもって私だけが寂しい独り身じゃないか」
ぶつぶつと文句を言いながらカルヴァは立ち上がり部屋から出て行ってしまった。
「……連れて来てたのか」
エネロア嬢を、とアドルバードは呟きながら走り去ったカルヴァを生暖かい目で見送った。国王とその有能秘書がいない間、アルシザスの政治は誰がまとめているのか――怖くて聞けない。
「今日はもうお開きね。帰るわ」
リノルアースも飽きたようで、早々に席を立つ。
「そこの馬鹿、シェリーを部屋まで送りなさい」
顔を赤く染めて固まるウィルザードを冷ややかに見つめて、リノルアースがウィルザードの足を蹴る。
「いって! おまえなんかに言われなくても分かってる!」
「あらやだ紳士ー。私に対する行動言動その他諸々もどうにかならないの?」
「おまえに紳士的にしてどうする。精神の無駄遣いだ」
「ま、別にいいけど。気持ち悪いし」
ひらひらと手を振ってリノルアースは部屋から出て行く。
ふざけるなこっちだって気持ち悪いわ、と言い返しながらシェリスネイアとウィルザードも部屋からいなくなり、急に五人も減った部屋は広く感じた。
アドルバードは冷えた紅茶を飲み干して、後片付けをしているレイを見つめた。
「……ホント、おまえの脳内を覗いてみたくなるな」
苦笑しながらそう呟くと、レイが首を傾げてこちらを見ていた。
そういう仕草が可愛いな――なんて、そんなことを考えていることさえ、こちらは見透かされていそうなのに。
「無理して汚れ役を買うことはないんだぞ?」
「……性分なので」
その台詞がアドルバードの気遣いなのだと分かるから、レイは素直に答える。
――憎しみはすべて自分に。
そうすることで、少しでも主を守れるのなら。
「誤解されるぞ、そのうち」
理解してくれる人間ばかりだからこそ、彼女の信頼は地に落ちずにいるが、普通ならば冷酷非道な人間として嫌われてしまうだろう。
「アドル様が分かっていてくだされば、それでかまいません」
そう言って微笑む彼女の姿は、誇らしげだった。
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