可憐な王子の騒がしい恋の嵐

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 アドルバードから呼び出された時はリノルアースが何か告げ口でもしたのだろうかと冷や汗もののルイだった。
 しかしながらそれは杞憂に過ぎず、いつもどおり――というにはいささか間抜けだがアドルバードの目的は愚痴という名ののろけだった。


「おまえの姉をどうにかしてくれ。ホントあのままじゃあいらぬ誤解をされたまんまじゃないか。俺の為にと頑張ってくれるのは嬉しいけどさ、それもなんというか……」
 あなたの為に動いているのは今に始まったことじゃあありませんけど、という言葉を飲み込んで、ルイは自分で淹れた紅茶を口に含んだ。渋い。もう少し練習しないとな、と苦笑した。
「だいたいレイは周りが見えているようで見えていないというかさぁ、人づきあいというものを大切にして欲しいというか。俺の為にいろいろ犠牲にし過ぎているというか、手段を選ばないっていうか」
「――アドル様が止められないものを俺に止めさせようって方が無理ですよ。姉さんが従うのはアドル様だけです。百歩譲って父さんか」
 溜息を零しながらルイが初めてアドルバードに反論した。いつまでもこの無自覚ののろけを聞いているのはさすがに苦痛だ。
「分かってるけど、俺の為と言われると引き下がってしまう悲しい男心?」
「引き下がってどうするんですか。それだからいつまで経っても尻に敷かれてるんですよ」
 う、とアドルバードが言葉に詰まる。
 主導権を握りたい男心はルイも理解できるから、なんとも言えない。
「それにそういう話ならアルシザス王になさればいいでしょう。俺にしないでくださいよ」
「いやぁ……あいつに話すといろいろウザいしさ」
 俺も正直ウザいんですけどね、という言葉は素直に飲み込む。相手は曲がりなりにも王子だ。自分も王子だったんだという事実をつい忘れがちになる。
「結局、こんなこと話せるのおまえくらいしかいないというか」
「……可愛い妹を盗られてもですか」
 意地悪な問いだと自覚しながらルイは問う。
 長い長い沈黙の後で、アドルバードは納得しているようなしていないような顔で答えた。
「俺はリノルが幸せならそれでいいんだ。ただ泣かせたらぶん殴る」
「殴り合いなら俺の圧勝ですけど」
「……否定できないのがむかつく。負けても殴る。それにたぶんレイにも殴られるだろうな」
 ルイは笑えない冗談に顔を歪ませた。アドルバードに何発も殴られるより、レイの渾身の一撃を食らう方がかなりきつい。肉体的にも精神的にもだ。
「泣かせるつもりはありませんけどね」
 泣き顔もそれはそれで可愛いんだろうけど、と照れながら笑うルイのセリフはまさにのろけだ。
「ならアヴィラになんて行かなきゃいいものを」
 呆れたようなアドルバードの言葉に、ルイは苦笑するだけで言い返す言葉が見当たらない。


「――たぶん、泣くぞ」


 そう遠くない別れの時に。
 アドルバードの言いたいことは十分に分かっていた。分かっているけれど、自分の選んだ道を変えるつもりはなかった。
「だって、リノル様は欲張りなんですよ」
 だからしょうがないです、とルイは笑う。
「いっそ姉さんみたいに、いざとなったら自分達のことしか考えないような人なら、俺もハウゼンランドから離れたりしませんけど。リノル様はアドル様も、姉さんも幸せにならないと満足できないんでしょうから」
 アドルバードは何も言わず、ただ苦笑した。
「その為に頑張りすぎないように、俺は簡単な手段に飛びついたんですよ」
 アヴィランテという大国をただの手段としてしか見ていないルイは果たして愚かなのか賢いのか――なんとも言い難い。


「……事情はどうであれ、泣かせた分は殴るからな」
「それはこちらのセリフです。姉さんを泣かせたらその分俺も殴りますよ?」
 にっこりと笑うルイは明らかに本気だ。
 レイが泣くことなんてないだろ、と言おうとして――実際に彼女が泣いている場面に立ち会ったことがないなと気づく。


 ――そんな彼女を強いと思うと同時に、もう少し弱くなって欲しいと思う。
 彼女が弱くあれるだけ、自分が強くなりたいと思う。
 アドルバードは唇を噛みしめ、自分の弱さをただ恥じた。





   ■   ■   ■





「――男同士の話とやらはもうよろしいんですか?」
 若干不機嫌なのは、男同士といってレイを退席させただからだろう。性別を理由にされるのが一番嫌なのだ。
「ああ、まぁ……」
 本人の目の前で先ほどの話をするくらいなら、少々不機嫌のレイに付き合う方がましだ、とアドルバードはあえて素知らぬふりをする。
 じ、とアドルバードはレイを見つめて、彼女の泣いた場面を記憶の中から探してみる。しかしやはりそんな記憶はなかった。


「――おまえ、泣かないよなぁ」


 本音が思わず零れて、アドルバードはとっさに自分の手で口を塞いだ。
 レイはきょとんとした顔をして、アドルバードの顔を見つめ返した。
「なんですか、突然」
 あ、う、えー、とか言いながらどうにか誤魔化せないかとアドルバードは思案する。まさか泣き顔が見てみたいなんて、そんな変態みたいなこと言えるわけがない。
「アドル様?」
 レイが問い詰める体勢になり、アドルバードは逃げられないことを悟った。両手を上げて降参する。
「小さい頃から一緒にいるのに、おまえが泣いたところ見たことないなぁって思っただけです!」
 本当の本音は最後の砦だ。決して落とすわけにはいかない。
「……そうですか?」
 レイは首を傾げて問う。
「少なくとも俺の記憶には存在しない」
「…………そうですか。まぁ、泣いている暇なんてありませんでしたし。どこかのお二人がそろって泣いてるところ、私も一緒に泣いているわけにはいきませんからね」
 どこかのお二人が自分と妹のことだということくらい、嫌でも分かってしまう。大昔のことだろ、と毒づきながらアドルバードは羞恥で頬を赤くする。
「それに、騎士となってからは、感情を制御することが上手くなりましたから」
 さらりと言われてしまうと、アドルバードも何も言えなくなる。
 彼女の母親が亡くなった時も――彼女は人前で泣かなかった。ルイも、そして父であるディークも。
 泣きたかっただろうに、という感想を持つことは彼女に失礼なのだろうか。
「……俺は、俺の騎士に自分の感情に鈍感になれとは言ってないぞ」
 悔しさをその言葉にまとめる。
 レイはただ苦笑するだけで、何も言わない。


「泣きたかったら泣いてくれ。堪えられる方が、俺は辛い。俺の前でくらいは少しでもいいから弱くなって欲しい。俺は、お前を支えられないほど弱くはないつもりだ」


 アドルバードはレイを真っすぐに見つめて、少し苦しげに訴える。
 何度この騎士は自分の為に涙を飲み込んだんだろう。辛くなかったはずがない。レイはいつもきつい立場にあった。
「――泣きたいと思ったことはもう随分と無いんですけどね」
 レイが苦笑しながら答える。
 そんなわけがないとアドルバードはレイを睨む。その視線だけで意味が伝わったのか――レイは念を押すように続けた。
「本当に、無いんですよ。私はあなたに嘘は言いません」
 あなたに、というところを強めて言ったのはわざとだろう。こうすればアドルバードが何も言えなくなると分かってやってるのだ。
「もし私が泣くとしたら、あなたに何かあった時です」
 だから、どんな時も無事でいてください。
 ――そんな殺し文句にアドルバードはものの見事に撃墜された。
 絶対にレイは分かってやっているのだ。じゃなきゃこんな攻撃力の高いセリフを、このタイミングで言わない。
「……魔性の女め」
 本当に、手に負えない。
 顔を真っ赤にして呟くアドルバードを、レイはさらに追撃する。




「……あなたにだけですよ?」






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