可憐な王子の騒がしい恋の嵐

PREV | NEXT | INDEX

46

 氷の結晶が空から舞い降りてくる。
 頬に触れればさっと溶けて、そこにいたことさえ忘れてしまうほどに儚い。静かに静かに降りだした雪は徐々に積もり、初めて見るそれを無条件に美しいと思う。
 ほんの少し前ならば知らなかったであろう小国――ハウゼンランド。
 その地に足を踏み入れた南の国の皇子は自分の国とは趣の違う城を見上げて、白い息を吐きだした。


 静かな嵐の訪れだった。







 対面したヘルダム皇子は、黒い髪に、濃い肌。瞳の色は濃い緑で――シェリスネイアより、どこかルイの方が面影があるような気がしたのは気のせいだったのだろうか。
「初めまして、アドルバード王子。急な訪問で申し訳ない」
 にこやかに挨拶するヘルダムからは、悪意らしきものは感じなかった。少なくとも、今は。
「初めまして、このような鄙びた国にようこそおいでくださいました。滞在の間、どうぞ我が家と思っておくつろぎ下さい」
 形式的な挨拶にはもう嫌というほど慣れた。アドルバードは微笑み返しながら、ヘルダムの笑顔の下にある謀略を見極めようとした。
 シェリスネイアからいろいろと聞いてはいたが――現段階での印象では、シェリスネイアの勘違いではないだろうかと思ってしまうほどの好青年だ。
「妹のシェリスネイアもお世話になっているようで。兄妹そろってご迷惑をおかけします」
「いえ、お気になさらず。シェリスネイア姫は私の妹の良き友人になってくださっているようで」
 それは真実だ。
 アドルバードは顔に出やすい分、あまり嘘はつかないようにしている。言える範囲で会話を続ければいいだけで、それは慣れれば簡単だった。
「かの有名なリノルアース姫ですか。姫のお美しさはアヴィラまで聞き及んでいますよ。ぜひ一度お会いしたいものです」
「妹もパーティには出席しますから、機会があればぜひ一度ダンスでも」
 何勝手なことを言っているんだと、リノルアースに知られたら怒られそうだが、社交辞令だ。ここは許してもらうしかない。

 そしてアドルバードは予定されていた時間内、なんの問題もなくヘルダムとの対面を終えた。
「――別に、悪い奴じゃなさそうだけどなぁ」
 一応報告に、とリノルアースの待つ部屋まで歩きながらアドルバードは呟く。
「……今の段階ではなんとも言えませんが、まぁ、そうですね」
 少し後ろを歩くレイも冷静な判断を下す。
 同意を得られたことに安心して、だよなぁ、と返す。
 シェリスネイアから植えつけられた印象があまりにも強烈過ぎたのだろうか。本人に会ってみて少し拍子抜けだ。




   ■   ■   ■




 それをさらりと話してみたところ。


「騙されてはいけません」


 きっぱりと、そして物凄い形相でシェリスネイアに問い詰められる。
「あの男は外面だけはいいんですから! 油断したら危険ですわ! あくまでも隙を見せてはいけませんわよ!?」
「は、はい」
 アドルバードは勢いに負けて素直に頷く。
 綺麗な顔に迫られ、その上に脅迫紛いな勢いで話されればアドルバードは簡単に降服する。
「あらでも、シェリーの印象だけで動いちゃ駄目よ? 一応は自分としても印象も固めておきなさい。多角的に物事を判断しなきゃ失敗するわ」
 リノルアースのもっともなアドバイスにも素直に頷く。
「なに、それは。私の判断が誤っているとでもおっしゃるの!?」
 珍しくシェリスネイアは頭に血が上っているようだ。声を荒げること自体が珍しいというのに、普通なら食いかからないはずのリノルアースの言葉にも過剰反応する。
「そんなこと言ってないでしょうが。基本中の基本よ。同じ顔しかない人間なんて存在しないんだから。シェリーしかしらない部分と、他の人間しか知りえない部分があるでしょう?」
 冷静なリノルアースの言葉を飲み込むと、シェリスネイアも納得したのか黙る。
「レイは? どう感じた?」
 こういう時の判断は一番レイが的確だろうとリノルアースがレイを見上げる。
 レイは少し考えるように沈黙し――そして口を開く。
「悪い印象はありませんね。あくまで皇子としての挨拶ですから、何とも言えませんが――とりあえず、敵意は感じませんでした。殺気も」
 そう、とリノルアースが呟き思案する。
 そんなリノルアースの前にことりと紅茶が置かれる。続いてシェリスネイア、アドルバードと――用意したのはルイだ。
 立場としてはもうそんな振舞もしなくて良いはずなのに――ルイは黙ってリノルアースの後ろに立つ。ちょうどアドルバードの後ろに控えるレイのように。
 ハウゼンランドにいる限りは、騎士でありたいのだろう。
「……一度私も会ってみたいもんね、それは」
 ここはダンスでもしてやってくれと言ったことを伝えるべきだろうか、とアドルバードが悩むが、黙っておいた。たぶん怒られるには違いない。
「遠からず、接触はあるでしょう」
 レイのセリフにアドルバードは一瞬冷や汗が流れる。まさか密告しますか。
「そう?」
「ええ、あちらも興味があるようでしたので」
 さらりと流したレイに、アドルバードはほっと胸を撫で下ろす。さすがに主を売るような真似はしなかったか。
「……リノル様」
 少しだけ不満そうに、ルイが口を挟む。危険な目に遭わないという保証がない以上、ルイが心配するのも無理はない。
「何よ。あんたが反対しようが私の意思は変わらないからね?」
 ルイを見上げながらそう宣言するリノルアースはいつもどおりといえばそうだが、口調はどこか優しい。それだけで二人の関係が変化したことを周囲に悟らせている。
「……止めませんよ。ただ、俺の目の届く範囲にいてください」
 ごちそうさま、と呟くシェリスネイアに思わず同意する。
 普段自分も周囲を見ていないので周りの目を気にしろと言えないのが痛いところだが。




「報告も済んだし、さっさと出るか」
 居たたまれなくなり、アドルバードは頬を掻きながら退出する。シェリスネイアも共に部屋から出ようと立ち上がる。
「送りましょうか?」
 生憎、今はカルヴァもウィルザードもいない。おそらく来る時だけ同行したのだろう。しかしそうなると帰りが一人になってしまう。そう思ってアドルバードは申し出たのだが――。
「お気になさらず。迎えが来てるでしょうから」
 そう言いながらシェリスネイアが部屋から出ると、しばらく前からそこにいたのだろう――ウィルザードが壁にもたれながら立っていた。
「……話は済んだか」
 ふぅ、と息を零してウィルザードは自然とシェリスネイアと並ぶ。惚れただのと騒いでいた時は逃げだす勢いだったというのに、大した変わりぶりだ。
「では、また」
 柔らかく微笑み、シェリスネイアは優雅にお辞儀して去っていく。
 その雰囲気も以前とはわずかに違うような気がするのだが――。


「……なにがあったんだか」
 二人を見送りながらアドルバードが呟く。
 ウィルザードの様子からして想いが実ったというわけではなさそうだが。
「馬に蹴られますよ」
 最近よく言われるそのセリフに、アドルバードは苦笑する。
「別に茶々入れようってわけじゃないさ。どこぞの国王とは違って」
「知ってますよ」
 間髪入れずにそう答えるレイに面を食らう。
 ああ、そう、とか歯切れの悪く返し――なんだかレイの顔が見れずにアドルバードは顔をそらす。
 現実逃避に今度ルイやウィルザードに問い詰めなければな、と考える。特にルイにはたっぷりと吐いてもらおう。
「大して進展はしてないと思いますよ?」
 心の中を読んだようなレイのセリフに心臓が飛び上がる。
「え?」
「変わったのは、リノル様でしょうね」
 二人の雰囲気を思い出し――そうかもな、と呟く。
 そうなると聞き出すことは難しそうだ。
 どちらにせよ、目の前の嵐が去るまでは――ゆっくり話すことも無理だろう。






 降り出した雪は徐々に強くなり、ハウゼンランドの冬の始まりを告げていた。





PREV | NEXT | INDEX
Copyright (c) 2009 hajime aoyagi All rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system