可憐な王子の騒がしい恋の嵐

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 降り出した雪を窓越しに眺めながらリノルアースはそっと溜め息を吐きだす。頬杖をついたままのその姿は傍目から見ても悩ましい。
「――リノル様?」
 温かい紅茶を持ってきたルイが心配げに主人の顔を覗き込む。
 反応しないリノルアースにルイはますます不審げに眉間に皺を寄せ、紅茶のセットを一度テーブルに置いて、リノルアースの頬に手を伸ばす。
「リノル様?」
 もう一度、ゆっくりと名前を呼ぶ。優しく頬を撫でれば主人ははっとしたようにルイを見た。至近距離で目と目が合う。
「ル、ルイ。どうしたの?」
 距離感に警戒しながらもリノルアースが作り笑顔を浮かべる。それが本物の笑顔でないことくらい、今まで仕えてきたルイにはすぐ分かった。
「それはこっちのセリフです。何かありました?」
「別に……」
「嘘がへたですね」
 撫でる手を止めず、ルイは頬にかかる髪を耳にかけてやる。
 最近よくリノルアースが不安げにしていることに、ルイは気づいていた。時折だがこうして甘やかすことも許してくれるようになった。


「…………恋なんて、知らない方が良かったと思う?」


 ルイをまっすぐに見てくるリノルアースの目は、ゆらゆらと揺れている。
「リノル様は、そう思いますか」
 目をそらすことなく、ルイはすぐにそう返した。ずるいわ、とリノルアースが苦笑する。その言葉にルイが内心でほっとしていることには気づいていないのだろう。
「幸せな恋しか見たことがないから、不幸だなんて思わなかった。ハウゼンランドは身分に関してそれほど厳しくもないし」
 リノルアースはゆっくりとルイの肩に額を預ける。あまり顔を見られたくないのだろうかとルイは頬に触れていた手を頭に移して、優しく撫でた。
「でも、そうじゃないところだってあるのよね。いくら好きでも、どうにもできないこともあるのよね。だったらいっそ――誰かを好きになるなんてこと知らないまま、顔も見たことない相手と結婚する方が楽なのかもしれない」


 ああ、あなたが今考えているのは――


「シェリスネイア様のことですか」
「他人行儀ね。妹なのに」
 苦笑する気配に、ルイは少し困惑した。妹として扱うわけにもいかず、邪険にもできない。
「ルイは気づいてた?」
「――まぁ、気づかないほど鈍感でもないので」
 どこかの誰かさんと違って、人並みには。


「――――どうにか、してあげたいな、とか」


 いつもより控え目なリノルアースの主張に、思いがけず強く抱きしめたくなる。前回の失敗があるのでさすがに我慢するが。
 ふわりと包み込むように優しく抱きしめて、耳元で囁く。


「言うと思いましたよ」






   ■   ■   ■





 吐き出してもリノルアースのようにすっきりなんてしなかった。
 むしろあんな醜態を曝してしまったことの方がシェリスネイアとしては痛い。どうしようもないのだと子供のように喚き散らすだけで、結局リノルアースも困らせてしまったようだった。
 自己嫌悪で俯いたままだったシェリスネイアは顔を上げる。
 広がる菫色のドレス。シンプルなデザインではあるものの、細かな細工が見事だとしかいいようのない一品だった。パーティ用よ、とリノルアースが手ずから持ってきたのだ。
リノルアースと対になっているのだと言う。


 ――ダンスなんてまともに練習していないけれど。


 踊って欲しいと手を差し出したら、彼はその手をとってくれるだろうか。
 女性からダンスに誘うなんて聞いたこともないけど。一生に一度の恋の甘い思い出として、そんなささやかな一時が欲しいと思うことくらいは許されるだろう。






   ■   ■   ■





 どさりと目の前にたくさんの書類を置かれて、アドルバードはげっそりとした。
「レ、レイさん? これはなんですか?」
 思わず敬語にもなる。
「分かってますか、アドル様。パーティまであと三日です。普通の準備はほとんど終わっています」
「それは解答ではないんですけど」
 レイは書類の山の一枚を手に取り、読み上げる。
「イオラス王国第五王子フィリオス様、イオラスはこれから良い交易相手となる国です。きちんと交友関係を築いておいてくださいね。イオラスは織物で有名ですから、そういった話から入ると良いでしょう。あとシエン帝国は東方の国ではかなりの力を持っていますので、要注意です。今後国単位での付き合いが行われる可能性はあまり高くありませんけど、機嫌を損ねると面倒ですので。もちろん近隣諸国の方々にはそれ相応の対応をなさってください」
 うーあーとかうなされる様にアドルバードは机に伏せる。
「言うまでもありませんが、アヴィランテのヘルダム様にもご注意を」
 ピンと空気が張り詰めるのが分かった。現段階でもアヴィランテからやってきたシェリスネイアもヘルダムも格別の扱いでもてなしている。
「それで、明日の夕食にお二人を招待してはどうかと陛下から言われておりますが」
「……そのときのセリフを一言一句間違えずに言ってみろ」
 嫌な予感がしたアドルバードが顔を伏せたままそう言う。
「『ヘルダム様が要注意なのは分かり切ってるんだから、先に手を打っておくのも賢い手だよねってことで若い者同士で親睦を深めるといいんじゃないかな。こっちはノータッチって言ってあるしね? ということでよろしく』……だそうですが」
「よく覚えてたなそんな長くてアホらしいセリフ」
 レイが言うからまだましだが、あの父親が口にしているところを思い浮かべればそのセリフが冗談まじりに言っているようにしか思えない。
「急な話だけど……まぁ、一応使いを出しておけ。もう少し腹は探りたいところだし」
 ヘルダムがシェリスネイアと顔を合わせることが良いかどうかは甚だ疑わしいところではあるが。
 そうですね、とレイも当然のごとく賛成する。
 その選択が間違っているなんて、このときは思いもせずに。






   ■   ■   ■






「――――――夕食に?」


 やってきた侍女は笑顔ではい、と答える。
 ふぅん、とヘルダムは興味深げに笑う。
「ぜひに、とお返事しておいてください。楽しみにしてます」
 作り笑顔はこれまでの人生で嫌というほどに培われてきたものだ。使いの侍女も疑った様子はなく、一礼して去っていく。


 くすくすという笑いが部屋に満ちる。
 窓の向こうは銀世界。降り積もる雪は止むことを忘れたかのようにいつまでも降りそそぐ。


「それじゃあ、少し早めにゲームを始めるかな。さて、あちらさんはどう出てくるんだか」


 曇る窓を手のひらで拭い、静かに降る白い結晶に微笑みかける。
 ひどく優しい微笑みだった。







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