可憐な王子の騒がしい恋の嵐

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64

 ほんの少しの、寂しさに似た雰囲気を残して、パーティは表面上何事もなく終わった。パーティの裏側で大国の皇子皇女の命が狙われたなんて、ほとんどの参加者は知る由もない。
 中には酒を飲む王子連中もいるようだが、場所と食料だけは提供してハウゼンランドの王子ことアドルバードは参加を辞退した。
 淑やかな王女様方は大人しく部屋へと戻ったようだ。明日からは帰国ラッシュが待っている。
 その中にはもちろん、アヴィランテから来たシェリスネイアとヘルダムが含まれていた。遠方の国であるから帰国も早いのは当然だ。
 その二人とともに、ルイもハウゼンランドを去る。




   ■   ■   ■





「――こんなところか」


 ふぅ、とため息を吐き出してルイは荷物をまとめた。
 暇を見て実家には戻り、荷物は用意してきた。今は騎士団にある自分の部屋で出立の準備をしていた。
 死んだ母への挨拶もすませた。父と姉はどうせ別れの場にいるだろう。いなくてもそれはそれで構わない。
 持っていくものはそれほどない。ただの騎士から皇子へと変貌する過程で必要なものはそれほどないだろう。


「…………ルイ」


 声をかけられ、ルイは顔を上げた。
 扉を開けたまま――そこに立っていたのはリノルアースだ。パーティで着ていた薄紅のドレスのままだ。髪は結わずに下ろされていた。
 数時間前まで、その姿でいたのはアドルバードだ。声がわずかに低めだったのはわざとだったのだろうか。
「騙されませんよ、リノルアース様」
 からかうつもりだったのだろう。アドルバードのふりをするなんて、こちらに失礼だ。いくらなんでも惚れた相手を間違えることなんてない。
 くす、とリノルアースは笑ってルイの傍に寄って来る。
「こんな所に来て――怒られますよ」
 夜に、騎士団の宿舎にリノルアースが来たなど――騎士団長である父に知られた日には説教が待っているだろう。
「怒られるのはルイだもの」
 私じゃないわ、とリノルアースは笑いながらルイの隣に立つ。
 こうして並ぶと、リノルアースは本当に華奢だ。ルイが長身のせいもあるのだろうが――随分と小さい。強く抱きしめたら壊れてしまうんじゃないだろうか。
「飲みには参加しないの?」
 今頃騎士団の連中も飲んで馬鹿騒ぎをしている頃だ。ルイも依然に何度か参加したことがある。騎士団の人間がいつも通りいればリノルアースはここまで入れないだろう。
「準備がありましたからね」
 これです、と荷物を指してルイは笑う。
「……仲間に、さよならも言わずに行くつもり?」
 リノルアースはまとめられた荷物を見つめながら問いかける。ルイがもとはアヴィランテの皇子で、そして明日アヴィランテへ発つことを――騎士団の人間は知らない。知っているのは騒動に巻き込まれた人間だけだ。
「どうせ、戻ってきますから」
 言えばおそらく無理やり酒の肴にされるだろう。明け方まで飲みに付き合わされるのはごめんだ。
「――その時には、立場が違うわ」
「違いません。何も」
 リノルアースの静かな呟きをルイはすぐに否定する。素早い否定にリノルアースは少し驚いたようだ。
 らしくないな、とルイは笑う。今夜のリノルアースは言葉に力がない。
 不安、なのだろうか。不安に、思ってくれるのだろうか。自分という存在が一時とはいえ無くなることを。
「俺はどこにいても、ルイ・バウアーです。これだけは何度でも誓います。必ず、あなたのもとへ戻ります。リノルアース様」
 そっと小さな手を持ち上げて、その指先に口づける。
 窓から差し込む月明かりだけが憎い演出だ。それはまるで物語のワンシーンのようで、絵画のように美しい光景だった。
 リノルアースはじっとルイを見つめ、そして口を開く。


「前に……言ったわよね? ――五年。いえ、三年よ」


 その凛とした声に、ルイは顔を上げた。
 ルイがリノルアースの顔を見つめると、そこにはいつも通りの強い眼差しがあった。
「三年しか、待てないんだから。いくらなんでもそれ以上お父様達が黙っていてくれるとは思えないし、どうせなら若くて綺麗なうちに結婚したいし」
 リノルアースの小さな手がルイの手を握り締める。そのぬくもりがいとおしくてルイは頬の筋肉が緩んだ。
 そんな未来を描いてくれているのか、と。
 姫は十五歳で結婚することもある。五年後は――|嫁《い》き遅れとも言われるかもしれないし、リノルアースほどの美貌のものなら三年後でも婚約しないのは異常と言われるだろう。 それでもたぶん、何歳でも花嫁衣裳のリノルアースは綺麗だろうな――とルイは思わず想像して微笑む。
「だから、さっさと問題を片付けて、早く帰ってきなさい」
 はい、と考えるよりも先に答えは出た。
 噛みしめるようにその言葉を胸の中で反芻し、そしてしっかりと頷く。
「――はい。リノルアース様」
 そう誓って、もう一度リノルアースの手に口づける。今度は手の甲に。









「……それで、何か感想はないの?」
 リノルアースが不貞腐れたように呟く。
 ルイが首を傾げて「何がですか?」と言うと、足を踏まれた。
「ドレス! あんたの為だけに着たのよ!? 綺麗だとか見惚れただとかとにかくなんか気の利いたこと言えないのこの口は!?」
 足を踏んだ上にリノルアースはルイの頬を千切れんばかりに引っ張った。
「いはいっ! いはいれすりのるひゃまっ!」
「うるさい! 当然の報いよ! 鬱陶しい口説き文句はごめんだけどたまには褒めたっていいでしょうが!!」
 これでもかとルイの頬を引っ張り――そしてぱっと放す。痛む頬を撫でながらルイは抗議すべきか否か考え――やめた。
「……正確には、このドレスを着たリノル様を見たのって俺だけになるんですね」
 各国の王子が見惚れていたのはアドルバードで、本物のリノルアースではない。
「そうよ?」
「――最高の贅沢ですね、あなたを独占できるなんて」
 大陸の花とも謳われるその人を、とルイは微笑む。真正面から褒められたリノルアースは顔を真っ赤にして黙り込んだ。
「リノル様?」
 褒めたのに、とルイがリノルアースの顔を覗き込もうとすると今度は鉄拳が飛んできた。
「な、なんでですかっ!?」
「あ、あんたね! タチが悪いのよ! 自覚がないからなお悪い!」
 どうして怒鳴られるのか分からないままのルイはどうにか飛び出してくるリノルアースの鉄拳をかわし、ついにその手を掴む。
 捕まったリノルアースはバランスを崩してルイの胸に倒れこんだ。そのままリノルアースとルイは倒れこみ――結果的にはリノルアースがルイを押し倒したような形になった。
「いたた」
 ルイは背中を打ちつけ、小さく呻く。一方リノルアースはルイをクッション代わりにしたおかげで無傷だ。
 大丈夫ですか、と問いかけようとしたルイの視界が金色に染まった。
 それは赤みがかった、綺麗な金色だ。ルイが何度も目で追ってきた色。
 言葉は喉の奥に飲み込まれた。ルイが言葉を紡ぐ前に、その唇に柔らかい何かが重なる。
「――――っ!」
 見開いた目に映るのは綺麗な顔だけだ。
 状況を把握している間に、ぬくもりは去った。
 リノルアースはルイの上に乗ったままその顔を見下ろす。
「浮気したら、ただじゃ済まないと思いなさい」
 そう言い残してリノルアースはさっさと部屋から去って行った。まるで嵐のようだ。
 ルイは混乱した脳を整理して――天井を見上げたまま、唇から去ったぬくもりを思い出して赤くなる。
 こんなの。


「――――――やり逃げじゃないですか」



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