可憐な王子の騒がしい恋の嵐

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66

 空はよく晴れていた。見上げれば冬独特の薄い青が広がっている。





 まだ人が起きだすには早い時間に、アヴィランテへと向かう者達はハウゼンランドを発つことになった。遅くまで騒いでいた王子王女、一部の騎士達はまだ夢の中にいることだろう。
「この国での短くも充実した日々のこと――私は生涯忘れませんわ。改めて言わせてくださいな。ありがとう、リノル。アドルバード王子」
 思わず見惚れてしまいそうなほど綺麗な笑顔でシェリスネイアは感謝を述べた。
「いつかまた来ればいいわ。歓迎するわよ?」
 リノルアースが悪戯そうに笑うと、シェリスネイアもつられて微笑み返す。
「そうね、今度は厄介事がないときに」
 それでのんびりしましょう、とシェリスネイアはくすくすと笑う。まったくだと言いたげにリノルアースもアドルバードも顔を見合わせた。
「厄介事を持ってきたのはどこのどいつよ、もう……。国に戻ったら大変だろうけど、元気で」
 それはリノルアースとしては不器用ながらも最高に優しい言葉だった。シェリスネイアも分かっているのだろう、リノルアースに微笑み返した。






「シェリスネイア」
 行くよ、とヘルダムが声をかける。後ろ髪を引かれるようにシェリスネイアはウィルザードを見つめ――淡く微笑んだ。
「待って、いて良いんでしょう?」
 あなたを。
 シェリスネイアの言葉に、ウィルザードは少し照れながら一度頷く。
「……今のとこ、シェリスネイアをネイガスに行かせるつもりはないからね?」
 ヘルダムが背筋が凍るような笑顔で低くウィルザードに囁く。当面の敵はこの人か、とウィルザードは苦笑しながら腹を括った。


「――では、俺も行きますね」


 ルイがアドルバードやレイに簡単に挨拶を述べ、二人とも驚くほどにあっさりと見送った。やはりディークは見送りに来ていない。
「……リノルアース様」
 最後にルイはリノルアースの前で止まる。
 リノルアースは俯いて、ルイの顔を見ないようにしているようだった。先ほどから一度も目が合っていない。


 ――昨夜の襲撃に近いキスのせいか、それとも別れが辛いのか。


 どちらにしてもルイが遠慮する理由ではない。奪われたままというのも男として問題だろう。
「リノル様」
 優しくリノルアースの頬に手を伸ばしながらもう一度名前を呼ぶ。
 びく、とリノルアースが怯えたように震えた。


 どうしてこの人はこういうときに、こんな可愛くなるかな、とルイは苦笑した。これは拳一発では済まされないことになりそうだ。


 それでもここで引き下がるつもりはない。




「――仕返しです」




 半ば強引にリノルアースの顎を上げ――青い瞳と目が合う。そのまま反論を聞かずに唇を重ねた。
「んなっ!」
 アドルバードの声が聞こえたが、途中で途切れた。おそらくレイに口を塞がれているに違いない。邪魔に来ないのもレイがアドルバードを止めているからだろう。
 心の中で姉に感謝を述べつつ――ゆっくり十秒数えて、離れた。
「――――――っルイ!!」
 リノルアースが顔を真っ赤にして手を振り上げるが、それを大人しく食らう必要はないだろうと受け止める。アドルバードあたりからは二、三発殴られる覚悟はあるが。
「やられたからやり返したまでですよ。うちの家の教えの一つですから」
 リノルアースは怒っているのか激しい照れ隠しなのか分からない顔でルイを下から睨んだ。
「この屈辱は三倍にして返してやる」
 不吉なセリフだなぁ、とルイは内心で汗を流しながら平静を装った。
「どうぞ? 同じ手段なら喜んで受けますが?」
「あんたを喜ばせるもんですか! あらゆる手段を駆使してあんたの評判を地の底まで落としてやるから!」
「あー……それはアヴィラの問題が片付いてからにしてもらえますか。一応俺ハウゼンランドの後ろ盾があってこそアヴィラに戻れるんで」
 そこが一つの『ルイ』の価値でもある。
「当たり前でしょう。そこまで馬鹿じゃないわ。問題片付いても縁談なんてこないように悪い噂をたっぷりと流してやる」
 理解があるあたりはリノルアースだな、と思いながらルイは後半のセリフをきちんと理解して微笑む。
「……何笑ってるのよ」
 リノルアースの頬はまだ赤く、下から睨まれてもあまり迫力がない。
「いえ。約束、忘れないでくださいね?」
 平手を受けたまま握っていたリノルアースの手を持ち上げて、ルイはその指先に口づける。
「っ……もうっ! いいかげんにとっとと行きなさい!」
 照れた顔をこれ以上見られたくないのだろう、リノルアースはルイを突き飛ばしてヘルダムやシェリスネイアのもとへ追いやる。





 くすくすと笑いながらシェリスネイアの隣に立つと、呆れたような声が下から聞こえた。

「……お熱いことですわね。お兄様?」
 兄と呼ばれたことに少しまだ慣れないが――ルイは兄の顔でシェリスネイアの頭を撫でた。
「お互い様、でしょう」
 敬語がまだ抜けないのは大目に見てもらおう。これからいくらでも直す時間はある。
 シェリスネイアは照れたのか黙り込む。本当にそういうところはリノルアースと似ているな、とルイは微笑んだ。


「そろそろ出発してもいいかな?」


 待ちくたびれたようなヘルダムの声が合図になって、馬車に乗り込み始める。
 ルイは一度だけ振り返ってリノルアースに微笑んだ。泣き出しそうな顔を無理やり笑顔に変えているリノルアースに、いとおしさが込み上げてくる。


 ――戻ります、必ずあなたのもとに。


 心の中でそう確かに誓い――馬車の中へと入る。
 馬車が動き出し見えなくなるその時まで――ルイとシェリスネイアは小さな窓の向こうの愛しい人を見つめ続けた。











「てっめえふざけんなルイ――――!! 人の目の前で妹の唇奪っていくなぁあああ!! 待てこの野郎一発ぶん殴ってやる――――!!」



 もういいだろうとレイがアドルバードの拘束をとくと、もう小さくなった馬車に向かってアドルバードはさんざん罵詈雑言を吐いた。




 賑やかで騒々しい、切ない別れの朝になった。






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