可憐な王子と騒がしい恋の嵐

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68

 アヴィランテは育った場所とはまるで違って、いつも生暖かい風が頬を撫でた。その風の中に鉄錆のような匂いが混じっていることに慣れてしまっている自分に吐き気を感じる。


 この手が何度血に濡れようと、ためらうことなくただ目の前の敵を斬り続けた。
 それがいつか望む未来を手に入れることになるだろうと信じているから。







「思った以上の働きをしてくれるね、ヴィルハザード」
 殺伐とした空気の中でヘルダムは笑いながら話しかけてくる。未だに慣れない『ヴィルハザード』という名前に反応が鈍くなるばかりだ。
「……褒め言葉として受け取っておきますよ、兄上」
 ヘルダムを兄と呼ぶことには随分と慣れた。兄弟であるということを強調する必要がある分、それは欠かすことの出来ない事柄だった。たとえば些細なものなのだとしても。
「平和ボケした国で育ったわりに剣の腕は確かだ。君の養父に感謝しておくべきなのかな」
「ハウゼンランドを馬鹿にするのはやめてください。父はあの国で一番強い人だったんですよ」
 馬鹿にしているわけじゃないよ、とヘルダムは笑う。平和であることを求めている彼にとってハウゼンランドはある意味で理想なのかもしれない。
「かれこれ半年経つか。待たせたね」
 ヘルダムはいつもの通りの笑顔を少しも崩さずに立ち上がる。
 剣を片手に、振りかえり仰ぐのはアヴィランテの王宮だ。王都のほとんどがヘルダムの手に落ちた今、王宮にどう攻め入るべきか考えていたのであって――。
「――何をするつもりです」
 策もなしに王宮へ入ればいくら優勢であろうとも状況は一気に転がる。城攻めは難しいなんてことは大昔の人間でも分かっていることだ。
「総大将を叩くんだよ。これ以上内戦を長引かせるわけにはいかない」
 ルイはぎり、と歯ぎしりして立ちあがり、ヘルダムの胸倉をつかむ。
「馬鹿なこと言わないでくださいっ! 無策で行って勝てると思ってるんですか! 万が一あなたを無くしたら――っ!」
「無駄に考えるよりも、行動が重要だ。見ればわかるだろう? 民も兵も内戦で疲れ切ってる。これ以上長引けば民が減る一方だ。策を考えている間に国から人がいなくなってしまう。民あってこその国だ。違うのか?」
 確かにほとんど休まることのない戦いの連続で、兵は疲れているし、内戦の中にさらされ続けている民に活気はない。
 戦は長引けば長引くほど民に苦痛を強いる。それを分かっているヘルダムは良き王になれるのだろう。
 しかし。


「……あなたの口から、そんな綺麗事を聞かされるとは思ってませんでしたよ」


 ハウゼンランドにいる王子ならばまだしも。
 そんな言葉が思わずルイの口から零れて、ヘルダムと顔を見合せて笑う。
「伝染っちゃったかな。可愛い王子様のお人好しが」
 それがまるで嫌なことではないかのように、ヘルダムはくすくすと笑う。




「全軍の指揮は将軍に任せる。東の裏門から侵入、陽動して。俺とヴィルハザードが正門から堂々と侵入するから」
 にこやかな表情のまま告げられたその無謀な作戦に、周囲はどよめいた。
「いくらなんでも危険です! せめてもう少し護衛をつけるべきだ!」
「正門からなんて――! 狙われに行くようなものですぞ!」
 誰もが異を唱える中、ルイだけは黙ってヘルダムを見た。
 彼にはなぜか、心の底からの自信があった。
 下手に人数を増やした方が目立つ。王宮の抜け道を通って行くから侵入さえできれば問題ない。淡々と、そして笑顔を崩さずに語るヘルダムに周囲も徐々に納得し始めた。



「行くぞ。これでアヴィランテは生まれ変わる」







   ■   ■   ■






 正門からの侵入は驚くほどあっさり上手くいった。
 それもヘルダムの考え通りだったのだろうか――そんなことを考えながらルイは静かに彼の背中を守る。
「お兄様」
 人の姿を気にしながら進んでいくなか、美しい声が耳に入る。
 驚いたのはルイだけではなかった。ヘルダムも硬直し、突然現れた少女の姿に目を丸くする。
「シェリスネイア! 何をしてるんだこんなところで!」
 物陰から姿を現したのは大陸の華と謳われる美少女――シェリスネイアだ。内戦が始まってからというもの、シェリスネイアは安全な地方に送ったはずだった。他の姫は後宮に閉じ込められたままだが。
「こちらの道は駄目ですわ。案内します」
「シェリスネイア」
 動揺しているヘルダムに代わってルイが静かに問うと、艶やかな微笑みが返ってくる。
「私、王宮の中は熟知してますわよ? 小さい頃から誰かさんを探しまわっていましたので」
 有無を言わせないシェリスネイアの表情に、ヘルダムも黙り込む。ルイは遠い北国の主を思い出した。


 ――全てが終わったら、手紙を出そう。
 たぶんすぐには帰れないけれど。










「――――――来たか」


 しんと静まり返ったその部屋には、王座に座る青年だけがいるだけだった。
 王座のすぐ後ろにあった隠し扉から出てきた人間に、青年――サジムは少しも驚くことなく、振りかえることもなかった。
 シェリスネイアは怯えたように一歩後退った。
 かちゃ、と腰の剣に触れてルイが一歩前に出た。この男を殺すことで全てが終わるなら、自分が血に塗れることは問題ではない。
「ルイ」
 しかし肩を掴まれ、後ろにやられる。
 今まで『ヴィルハザード』と呼んできたヘルダムは、この場になってルイの名前を口にした。肩越しに振りかえるヘルダムはぞっとするほど無表情で、その右手には剣があった。


「これは、俺が被るべき罪だ」


 そう言ってヘルダムはサジムの前に立った。
 持ち上げられた剣がサジムの首筋に狙いをつける。
「やはり、おまえだけは思い通りにならないな」
 サジムは何か可笑しそうに笑いながら、ヘルダムを見上げた。剣を抜く様子も立ち上がる様子もない。
 遠くで戦いの音が聞こえた。裏門から侵入した仲間と城にいた兵との戦いだろう。
「シェリスネイア、見ない方がいい」
 ルイがシェリスネイアを背に隠そうとして――拒まれた。
「あなたがたが犯す罪から、私だけ目をそらすつもりはありませんわ。私も共に負います」
 凛とした言葉を聞いてサジムが笑う。
「殺すなら殺せばいい。しかしアヴィランテは何も変わらない。お前たちの中に同じ血が流れ続ける限り、アヴィランテが浄化される時など訪れはしない」
 サジムは自嘲的な、退廃的な微笑を浮かべてヘルダムを見上げた。
 不吉な予言のような言葉に、ヘルダムは少しも動揺していなかった。
「血のみが全てを示すわけではない。血の縁を上回る出会いもある」
 そう冷静に言い返しながらヘルダムは剣を振り上げた。覚悟を決めたようにサジムは口元に微笑を残したまま目を閉じる。
 シェリスネイアは背けそうになる自分を無理に抑えつけて目を見開いた。これからの罪から、少しも目をそらさないように。


 振り上げられた剣が、サジムを斬った。
 赤い血がヘルダムの身体を染めた。




「……そういう出会いが、あなたにはなかったのだろうね」




 少しだけ寂しそうな呟きだけを残して、ヘルダムは静かになった兄を見た。
 外で繰り広げられる戦いの音が、どこかひどく遠いところに感じた。











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