可憐な王子の騒がしい恋の嵐

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69

 そこは花に溢れるところだった。
 内戦は終結し、アヴィランテは徐々に変わりつつある。





 ルイは心配をかけただろうと、一段落がついたことを伝える為にもリノルアースに手紙を送ったが『手紙を書く暇があるなら一分一秒でも早く帰れるようにキリキリ働け』とだけ書かれた返事が戻ってきた。そんな言葉も照れ隠しだと分かるようになっているので、それだけで思わず微笑んでしまった。
「思い出し笑いですの?」
 隣を歩くシェリスネイアが微笑みながら問いかけてくる。
「少し、リノル様のことを」
「お手紙がきていたではありませんか。お元気かしら?」
「……だと思います」
 戦が終わって、昔の感覚が戻ってしまっているのだろうか。直そうと思っているのにも関わらず時々敬語が出てきてしまう。
「なんですの、それ」
「一文しか書いてなかったから」
 答えるとシェリスネイアはふ、と笑う。彼女らしいですわね、という呟きに、ルイはただ頷いた。


「――ここですわ」


 シェリスネイアが一つの墓石の前に立ち止まった。
 寵愛の深い妃なれば大きな廟でも造られるのかもしれない。しかしシェリスネイアの母――ルイの生みの母は、質素ともいえる小さな墓石だった。その墓石を囲うように花が咲いているのはシェリスネイアによる采配なのだろうか。
 この小さな石の下に、会うこともなかった母が眠っている。


「――――……母上」


 こう呼ぶのが正しいのだろう、素直にそう思った。
 自分を産んでくれた人だというのに、こうして墓石を前にしても肉親の情はこれといって湧いてこなかった。
 しかしこの地に眠る人は、死ぬその時まで自分の帰りを待っていたのだろう。
「ただいま、戻りました」
 墓石をそっと撫でながらそう呟く。
 養母といい生母といい――つくづく母親には早く死なれる運命なのだろうかと苦笑しつつ、用意していた花束をそっと地に置いた。
「どうか、安らかに」
 それ以上長くいる理由はなかった。
 それだけ言うとルイは立ち上がってシェリスネイアを見る。妹は少しだけ悲しそうに笑いながら隣に並んだ。
 二人はゆっくりと歩きながらその場を去った。
 おそらくもうこの地に来ることはないだろうと心の隅で思いながら。






   ■   ■   ■






 ――時は瞬く間に流れて消えた。


 ルイはアヴィランテの情勢を整える為に奔走し、ヘルダムは新王としてやるべきことがやまほどあった。シェリスネイアはその二人を影ながら支える日々が幾月も続いた。
 対してアドルバードは相変わらずあちらこちらの国々を訪問し、次期国王としての経験を重ねていた。レイはその傍らに常にあったし、リノルアースはそんな兄をからかいながらも支えることで時は過ぎ去った。
 寂しさが忙しさで紛れるほど。
 離れている時はそう短くなく。
 愛しさだけは時と同じように積み重なっていった。




 ハウゼンランドの冬の始まりはただただ穏やかだ。
 雪の気配をほんのりと感じさせる冷たい風が頬を撫でる。
 花や草木はしんと静まり返って次に訪れる遠い春を待ちわびて眠りにつき、温室の中で大事に育てられた花だけが季節を知らず咲き誇っていた。




「――よう、久しぶりだな」
 長い黒髪を結いあげ――リノルアースから贈られたドレスに身を包むシェリスネイアに気安く声をかけるのはネイガスの王子だ。
「お久しぶりですわね、本当に」
 厭味たっぷりににっこりと微笑みながらシェリスネイアは振り返る。ウィルザードの頬がひく、と引き攣った。
「随分と待たされましたわ。兄は納得させることができたのかしら?」
 兄馬鹿ぶりではヘルダムはアドルバードにも引けを取らなかった。ルイと言えば好きなようにすればいいの一言で、主に説得しなければならなかったのは大国アヴィランテの国王陛下だ。
「どうにか納得したんじゃないか。手紙はそっちにいっただろ?」
「ええ、もちろん頂きましたけれども。今の今までほったらかしにされていたわけですし」
「俺の苦労も考えてほしいところなんですけどね? お姫様」
 小国のネイガスが大国アヴィランテの――まして大陸で知れ渡るほどの美姫を手に入れるにはどれほどの苦労があっただろうか、それはシェリスネイアでも分かる。
 ただ少しくらいの意地悪は許されるだろう。それだけ待たされたのだから。
「分かっているつもりですわよ? ウィルザード」
 そう微笑みながら少し背伸びをしてウィルザードの頬にキスを贈る。
 久し振りのキスに頬を赤く染める未来の夫を見てシェリスネイアは幸せそうに微笑んだ。その笑顔に、かつて感じた仄暗さも憂いもなかった。








 赤みがかった金の髪を繊細に結いあげ、真っ赤なドレスに身を包む。青い瞳は澄んだ空の色で、白い肌は新雪のように瑞々しい。
 誰もが目を奪われる美しい姫君がそこにいた。
 今日行われるパーティの主役の一人だった。
「リノルアース様」
 低い声がその名前を呼ぶ。
 しかしリノルアースは振り返りもせずに窓の向こうの景色を睨むように見つめていた。
「……リノルアース様」
 今度はもっと近くで声が聞こえた。
 もう何度も何度も空耳じゃないかと思うほど、思い返した声だ。
 ふわりと後ろから包み込まれる。力強い腕は、幻ではなかった。
「ただいま帰りました」
 耳元で聞こえた生の声に思わず泣きそうになった。
「――――遅い。待ちくたびれたわ」
 涙をこらえて精一杯に憎まれ口を叩く。ふ、と笑う気配が懐かしくていとおしかった。
 腕の中で振り返りながら、待ちわびた人の顔を見る。最後に会った時よりも少し大人びていたが、何一つ記憶と違いはなかった。
「…………ルイ」
 頬に触れながら名前を呼ぶと、嬉しそうにルイは微笑んだ。
「綺麗になりましたね、リノル様」
「……当たり前でしょう、何年経ったと思ってるの」
 少女らしい丸み帯びた身体はどちらかと言えばしなやかになり――もう十分に大人の女性といえるようになった。
「覚悟しておきなさい、アドルが一発殴るって言ってたから」
「……まだ根にもってるんですか? しつこいなぁ」
 くすくすと笑いながらルイは自分の頬に触れるリノルアースの小さな手を包みこむ。
 これからは、と呟くと、リノルアースが見上げてくる。指を絡ませて、額と額をくっつける。




「ずっとお傍に、リノル様」







 ハウゼンランドの双子は、十八歳となった――。





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