可憐な王子の騒がしい恋の嵐

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 長い銀の髪を結わずに背に流している女性を見つけて、ヘルダムは片手を上げる。
 ヘルダムに気がついた女性は青いドレスの裾を持ち上げて優雅に礼をする。遠目にその姿を見ている人々の誰もが目を奪われるほどに美しい女性だ。


「久しぶりだね、シリリア領主殿」
「お久しぶりでございます、アヴィランテ国王陛下。領地を授かる名誉を頂きながら、ご挨拶にあがらなかった非礼をお許しください」
 丁寧な口調は相変わらずで、しかしその奥底には芯の強さを感じさせた。彼女が守るべきものの為ならば一国の王に剣を向けることも厭わない人間だということは知っている。
 ヘルダムは鷹揚に笑いながら「いいんだよ」と答える。
「あれはもともとヴィルハザードの為の領地だったんだ。彼を十六年間保護してくれた貴女にはそれ相応の礼を尽くさないとね。国も安定したし、ヴィルハザードにはもっと良い領地を与えた。そもそも、シリリアは大して良い地ではないんだ」
 本当は貴女の父君にあげたかったんだけどね、とヘルダムが苦笑すると、つられて女性も笑う。
 本来アヴィランテの皇子であるヴィルハザードを保護していたことに対する恩賞は、当然のごとくその養父に与えられる予定だった。しかしその当本人は「そんなもんいらん。やるなら娘にやってくれ。俺には必要ない」とあっさりと辞退してしまったのだ。
「アヴィランテとしては大した土地ではないが――貴女には良き力となっただろう? 名目だけの領地だとしてもね」
 実際ハウゼンランドに住む人間にアヴィランテの領地は管理出来ない。それを分かっていてヘルダムは領地管理の為の役人まで派遣している。報告は一応送られてくるが、いちいち指示を出すようなこともないような、何もない地だ。
 そんな土地の領主でも、ハウゼンランドでは絶大な力となる。そこらへんの一貴族よりも上かもしれない。
「婚約おめでとう、バウアー嬢」
「ありがとうございます」
 ふわりと微笑む彼女を、もはや男と見間違えるものはいないだろう。
 もとから美しい人ではあったが、どこか女性らしさが以前よりも増しているような気がした。


「それで、そろそろ始まる時間だと思うけど……主役はどこに行ったんだい?」
 この場はハウゼンランドの双子の誕生日を祝う席だ。リノルアースは先ほど会場で見たが、兄の方はどこにもいない。挨拶もまだなんだけどね、とヘルダムが困ったように笑うと、レイは苦笑する。
「今頃、痛みを堪えてベットの上で暴れているのではないでしょうか」
「痛み?」
 ヘルダムが首を傾げる。レイはただ真面目な顔で「はい」と頷く。
「お会いすれば分かりますよ。では私は主役を迎えに行きますので」
 そう言うとレイは踵を返し、背筋をぴんと伸ばして歩いて行く。その姿に何人の男性が目を奪われているか、本人は気付いているのだろうか。
 その背中を見送りながら、ヘルダムは懐かしむようにハウゼンランドを初めて訪れた冬を思い出す。
 窓の向こうから雪の気配は感じない。澄み渡った空がどこまでも広がっている。今夜はたぶん綺麗な星空が見えるだろう。故郷のアヴィランテほど強くない日差しはただ人々に優しい。



 それはまるで、何かの祝福のように。






   ■   ■   ■







「いっ……たたたたたたたたたたたっ!!」



 レイがアドルバードの部屋に入ると、彼女の主は膝をついて床に蹲っていた。
 しかしアドルバードは怪我をしているわけではなく、病にかかっているわけでもない。
「……当たらずとも遠からず、ですか」
 ふぅ、と呆れたようにため息を吐き出してレイはアドルバードのもとへ歩み寄る。アドルバードは足をさすりながらレイを見上げた。
「何か言ったか?」
「いいえ。特には。アドル様、ご衣裳が汚れてしまいますよ」
 そう言いながらレイはそっと手を差し伸べる。
 昔なら迷いなくとった手を「大丈夫だ」という一言で断る。十八歳にもなって女の手を借りて立ち上がるというのは――アドルバードの無駄なプライドが許さない。
「もう始まりますから、移動したいのですが――大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だっ! 痛みなんてのは根性でどうにかなる!」
 きっとレイを睨みあげ、アドルバードは痛みに顔をしかめながら立ち上がる。
 濃紺の上着に金の縁取りの施された衣装は、アドルバードの赤みがかった金髪をより美しく演出した。青いドレスのレイと並べば、まるで初めから揃えたかのように隙のない美が完成した。
「……やっと、か」
 そう呟くアドルバードの身長は、レイよりも少し高い。急激に伸びた身長は身体中に成長痛をもたらしたが、その痛みすらアドルバードには誇らしい。
「そうですね、随分待たされました」
「そうだな、待たせた」
 悪い、と苦笑して、二人は手を重ねる。ゆっくりとレイをエスコートしながらアドルバードは会場へ向かう。背が伸び始めた頃は歩調を合わせるということも知らなかったから、レイは少し足早になっていた。けれどもうそんなヘマはしない。
 入口には美しく着飾ったリノルアースが待っていた。
「遅いわ、アドル」
「悪い」
 苦笑しながらリノルアースの手をとった。双子の誕生日なのだ、入場はリノルアースと共にしなければならない。
 名残惜しく思いながらもしばしの間レイと別れる。レイはやんわりと微笑みながら優雅に一礼した。
「十八歳、おめでとうございます。アドルバード様、リノルアース様」
 それは淑女の礼ではなく、騎士の礼だった。胸に手を当て腰を折るレイに双子は目を丸くしながら、顔を見合せて微笑む。ドレス姿でも、その方が彼女らしいと思ってしまったことに笑うしかない。レイはそのまま、先に会場へ行ってしまった。
 華やかな音楽が流れ始める。


 双子が一歩足を踏み入れれば、割れんばかりの拍手が起きた。




 誰もがリノルアースの姿に見惚れ、アドルバードの姿に魅了されていた。
 紳士はどうやってリノルアースをダンスの輪に連れ出すか考え、淑女はアドルバードから誘いはないものかとそわそわしている。
「人気だねぇ、王子様もお姫様も」
 くすくすと笑うヘルダムの隣でレイはただ冷静にアドルバードを見つめた。その隣に立つルイは少しばかり苛立っているようだ。そのルイにもまた淑女からの期待の視線が集まっていることに、本人は気付きもしない。レイとしてはルイとヘルダムが良い牽制になってくれているので余計な誘いを断らずに済んでいる。
「何で婚約発表が最後の最後なんですか。男どもが気安く触ってるし」
「……手の甲の挨拶くらい寛容になれ。しばらく会わない間に随分器の小さい男になったな」
 ぶつぶつと怨念のように呟いているルイに呆れてレイはため息を吐き出す。このパーティの最後のダンスで踊った相手が、婚約者に選ばれる――それがハウゼンランドの昔からのやり方だ。だからこうしてレイも大人しく待っているのだ。
「久しぶりなんですから、余裕だってなくなりますよ。……予想以上に綺麗になってたし」
 数年ぶりの再会だが、弟は変わっていないらしいとレイは微笑む。
 双子は社交辞令の為のダンスが延々と続き、それが終われば挨拶へと行く。その様子を見ているだけであっという間に時は過ぎた。










 ――最後のダンスの音楽が始まる。


 誰もが王子と姫を見ていた。リノルアースの周囲には紳士の群れが集まっている。そんな群れを掻き分けてルイはリノルアースに手を差し出していた。
 アドルバードは淑女達の期待の眼差しを背に受けながら、迷うことなく一人の女性のもとへと向かった。


 いつだったか、言いたかったセリフだ。
 あの時はアドルバードがドレスを着ていて、レイは騎士服だった。それが今とは別の意味で絵になっていた。


 アドルバードは青いドレスの女性の前に跪き、祈るように声を出す。





「――踊っていただけますか? お姫様」





 見上げた彼女は、嬉しそうに微笑んでいた。






                           fin


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