可憐な王子の結婚行進曲

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11:俺は、王子なんだから

 ――静かだった。


 嵐の前の静けさにも似たそれは、嫌な空気を孕んで周囲に渦巻いていた。それを感じ取ったアドルバードは思わず立ち止まって砦を見上げる。古くからこの地にある砦は、年季こそ入っているものの、造りは強固なものだ。そう簡単に崩れることはない。
「殿下、俺が先に様子を見てきます。ここを動かんでください」
 セオラスが剣の柄に手を伸ばしつつ、そう呟く。外に見張りがいる様子もない。もしかしたら砦にいた兵士が全滅している可能性もある。それならば、まだ敵が潜んでいることもありえなくはない。様々な可能性を考慮しつつ、アドルバードは頷いた。
 本心ではすぐに様子を見に行きたい。しかし自分の立場を考えればそれは許されない。
「気をつけろよ」
 ただそれだけ声をかけると。セオラスはひらひらと手を振って余裕を見せる。その姿に苦笑しながら、手ごろな樹に背を預けた。
 白い雲が凄い速さで空を駆けていく。頬に感じる風は冷たく、早くも冬を感じさせた。そういえばここは王都よりも北だったな、と思いながら目を閉じる。
 レイが騎士だった頃なら、たぶん彼女は苦笑しながら自分の傍から離れないでください、と言っただろう。そしてアドルバードの願いをひっそりと叶えてくれる。自らが動くことをアドルバードは惜しまない。けれど周囲はそれを押しとどめる。それを窮屈に感じていたが、レイは上手くバランスをとってくれた。セオラスの対応が悪いというわけではなく、レイがアドルバードのことを考えてくれていた――考えていすぎたんだろう。


 隣にあることが、心地よかった。
 傍らにいることが、誇りだった。


「――……レイ」


 彼女に助けられていたことを、今さらながらに実感する。いや、実感ならもう何度もした。ふとした時に彼女が隣にいないだけで。まるで身体が半分に割られたみたいだ、なんて喩えは冗談でも使うものじゃないのだろう。半身と呼べる存在は他にもいるのだから。




「殿下」
 砦の中から戻って来たセオラスが苦い顔で歩み寄ってくる。背筋を這う嫌な予感が、アドルバードの顔も曇らせた。
「中に動ける者はほとんどいません。幸いにして死者はいないようですが、大半が体調を崩して倒れています。意識のある者に話を聞いたところ、ちょうど連絡の途絶えた頃から症状が出始めたと」
「ならすぐに手当てを――」
 と、そこまで口を開いてアドルバードは考えた。
 馬鹿か、そういう話じゃない。
「……とりあえず医師を呼び、これが感染の可能性のある病かどうかの確認。念のため安全が確認できるまでは砦は封鎖。近くの村人もこちらに近づけないように手配。俺達は原因の究明に動いたほうがいいだろう」
 冷静に、自分に何度もそう言い聞かせながらアドルバードはセオラスに指示を出した。人手がいるな、と考えながらも自分が直接動けないことに苛立ってしまう。伝染病の可能性のある砦の中に――その患者に、自分が手当てをするわけにはいかないのだ。その病がどんなものかも分からないうちは、なおさら。
「俺は、王子なんだから」
 ぽつりと呟きながら、拳を握りしめて自分に言い聞かせる。
「騎士団に応援を頼みます。医師は近くの村から呼びましょう」
 セオラスはアドルバードの肩を叩き、苦笑しながらそう答える。気遣わせたか、とアドルバードも情けなく思いながら笑顔だけは作った。
「……頼んだ」
 任せてください、とこういう時にセオラスのように明るい人間が傍にいてくれると助かる。精神的な余裕のなさがこんなところで感じられた。
「それで、話が出来るレベルの奴はどれほどいる?」
「一人二人ってとこです。……殿下、分かってるとは思いますが」
 睨むようなセオラスの声に、アドルバードは降参するように両手を上げた。もちろんわきまえている。
「俺は近寄らない。話もしない。危険なことはしないから安心しろ」
「……頼みますよ? 殿下に何かあったら俺が困ります。騎士団からも処分はあるわ、団長から殴られるわ、姐さんからも殴られるわで」
 想像したのだろうか、セオラスが顔を青くする。ディークは教育という名目でやりそうだが、レイは果たしてするだろうか。それよりも危険に近づいたアドルバードを叱りつけそうなものだ。
「じゃあ俺は村へ戻ります。殿下は――」
「俺は残る。砦には入らないけど、周囲を少し探る。ここらへんの毒のある植物なりキノコなりを食べただけかもしれないしな」
 はは、とセオラスが笑いながらまた馬に跨る。
「そうですね。病気だって決まったわけじゃないですから。じゃすぐに戻ります」
「ああ」
 村まではほんの十分ほどだ。医師を呼んできたとしても一時間もしないで戻ってくるだろう。
 アドルバードは静かな砦を見上げ、よし、と気合を入れる。何もしないのは性に合わない。たとえ無駄となるかもしれなくても、周囲を調べる。
 さすが国境付近ともあって砦の近くは植物が多い。標高の高い分、普通の森林では見られないようないろいろな植物が生えている。もちろん交易の為の道もある。平和なハウゼンランドの砦は旅人にとっての駆け込み寺のような意味合いもあるし、山賊を取り締まることにも有利だ。
 しかし砦の周囲を歩いてみても、怪しい植物はない。
「……あれ?」
 アドルバードは砦に戻ってから違和感に気づく。
 砦の近くに――そして村へと続く道に、馬車の轍の跡があった。最初は気づかなかったが、数日前のもののようだ。曇りの続いているものの、雨はまだ降っていないから跡が残っていても不思議ではない。
「それにしても随分と深いな……そんなに重いものを運んでたのか?」
 旅人ならば必要最低限のもの以外は持たない分、身軽になる。旅人が安全な砦の近くを通ることはよくあることだが――。




「アドルバード様!」




 思考に耽っていた頭が、停止した。
 聞き間違うはずのない声だった。だけど、ここにはいるはずもない人だった。まさかと淡い期待を胸に顔を上げる。
「アドルバード様」
 そこには、馬から降りて駆け寄る人の姿があった。長い銀の髪を一つに束ね、男物の服を着て、あちこち汚れて息を切らして、それでも美しいその人がいた。
「――……レイ?」
 信じられない。幻を見ていると言われた方がまだ納得できる。だって彼女は王都に残っているはずだ。もう自分の騎士ではないのだから、王子の婚約者というしがらみの多い身なのだから、こんな地に来れるはずがないのだ。
 それなのに。
「はい、アドル様」
 微笑む彼女は、間違いなく愛しいその人だった。




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