可憐な王子の結婚行進曲

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17:それに上回る幸福があると

 どちらに先に行くべきか――しばし考えて、レイは結局ディークの執務室へと向かった。
「入ります。父上?」
 軽くノックをした後、返事を聞かずに扉を開ける。
「ああ、戻ったか」
 開けるとすぐに父の顔があり、そして――


「レイ!」


 ぱっと顔を輝かせるアドルバードの姿があった。
「アドル様? 部屋にいらっしゃると聞きましたが」
「ああ、一度部屋に戻ったんだけど、なんか落ち着かなくてさ」
 最近ずっと忙しかったせいかな、とアドルバードは苦笑した。さすがに国王陛下も旅から戻った息子に鞭打つことはしなかったらしい。今日一日休んでいろとでも言われたんだろう。
「きちんと休んでください。公務だって残っているんでしょう? 休むことも仕事の一つですよ」
「わかってるよ、心配するなって」
 レイの小言に苦笑しながら、アドルバードは紅茶を飲む。湯気があまりたっていないところから、そこそこの時間ここにいることが分かる。
「……アドル様」
 眉を顰めてさらに追撃しようとすると、アドルバードは両手を上げて降参した。
「ちゃんと今日はこの後休む。約束します」
 レイはその姿を見てとりあえず納得することにした。アドルバードと父から冷めた紅茶を取り合げて、また新しく淹れ直す。どうぞ、と差し出してレイも座る。一瞬迷ったものの、アドルバードに無言で主張されたのでアドルバードの隣に座ることにした。




「ガデニア砦では――予想通りではありましたが、気になりますな」
 ふぅ、と重いため息を吐きディークが呟いた。
「ああ、東の動きに気をつけていた方がいいな」
 苦い表情で呟くアドルバードに、誰もが頷くしなかった。新興国と、それに反発する集団。動きがあればそれはハウゼンランドにも飛び火する可能性がある。用心に越したことはない。
「大きな影響はないと思いたいですね。ハウゼンランドはアヴィラとアルシザスの後ろ盾があるんですし」
 レイも苦笑しながらそう言うしかない。アドルバードもそうだな、と小さく呟いた。遠い南国とはいえ、大陸の中では無視できない国と繋がりがある分ハウゼンランドは手を出しにくい。
「こちらで少し注意を払っているように、と指示がありましたからな。殿下は心配せずに他の公務に励んでください」
 アドルバードの報告から国王が下した結論だ。ディークもアドルバードが安心できるように笑って言う。なおも釈然としないアドルバードにディークは付け足した。
「まがりなりにも結婚前の御身ですからな。何かあったら娘に申し訳ない」
「まったくもってそのとおりですが、娘の前で言いますか」
「言って何が悪い?」
 ふんぞり返る父に、レイは呆れてため息を吐く。
「おまえはシェーナの忘れ形見だ。幸せになってもらわにゃ俺はいつまでも向こうに行けんだろう」
 久しぶりに聞いた名前に、レイは驚いた。シェーナというのはレイの母――ディークの妻の名前だ。
「まだまだ向こうへ行く予定なんてないでしょう」
 ディークもいい年ではあるが、まだ現役だ。当分騎士団長の座を退くことはないだろう。
「当たり前だ。しっかり往生しないと、シェーナに叱られてしまう」
「……さらっとスルーしたけど、俺なんかすごい責任重大な感じのこと言われた気がする」
 幸せになってもらわないと云々。
 アドルバードももちろんそのつもりだが、他の人の――まして婚約者の父から聞かされると重い。
「妻を迎えるというのはそういうことですよ、殿下。ましてあなたは国主となられ、我が娘はそれを生涯支えていかねばならぬのですから」
「父上、アドル様にばかり圧力をかけるのはやめてください。私が選んだ道なんですから」
 次々とアドルバードに圧し掛かる言葉に耐えかねてレイが割って入る。ディークは「これだ」と苦笑した。
「父というのはいつも敵ですなぁ。あの娘ですらこんな様子です」
「ご、ごめん俺どっちの味方していいのか分かんない」
 もちろんディークから与えられるプレッシャーもキツイと言えばキツイんだけども、もっともの気がするしそれを受け止めるのが務めのような気もしないでもない。かばってくれるレイの気持ちはそれこそ天に昇るほど嬉しいんだけど。
「おまえは本当に、昔から茨の道を進む子だなぁ」
 ディークが珍しく父親の顔になって、レイの頭を撫でた。レイは少し恥ずかしそうだが逃げることもできずに大人しく撫でられていた。
「剣の誓いをたてた時も、今回も、すべておまえは自分で決めてしまう。ひどく険しく辛い道になると分かっていても、おまえは進んでしまう。これから進む道とて、楽なものではないだろう」
 王妃になるということ。
 国王の妻として生きること。
 一度は騎士として生きると決めた彼女にとってのその道は、容易いものではないはずだ。そしてレイの家柄や過去を挙げ連ねて叩く人間もいるだろう。それら全てから守ることはできないと、分かっているからアドルバードも悔しい。俺が守るから大丈夫、とこの場で言えないことが。
「たとえどんなに辛い道であっても」
 俯くアドルバードの隣で、レイはぽつりと呟いた。


「それに上回る幸福があると信じていますから」


 だから大丈夫です、と微笑むレイに迷いはなかった。アドルバードは胸がいっぱいで苦しくて、ただ嬉しいと伝えるためにレイの手を握りしめた。
 出来ることならここで愛してる、と何度でも言いたかった。
「……おまえは賢い。そう言うのなら、間違いはないだろう。殿下、恐れ多くも私は、あなたも我が息子のように思っております。なぁに、舅になると言っていびったりはしませんからご安心ください」
「そんな心配はしてないよ、ディーク」
 苦笑してそう答えると、ディークも笑った。いびりなんてそれこそディークに似合わない。気に食わないのなら真正面から叱りつけてくるだろう。
「あと何年かすれば、私は剣聖の座を返上することになるだろうな」
 そうすれば晴れて隠居生活だ、とディークは笑った。
「別に返上なさらずとも良いでしょう、これといった規定のある称号でもないんですから……」
 レイは首を傾げながらそう言うと、ディークは「いいや」と答える。
「おまえらが一人前になれば、もう要らん名だ。国としては剣聖がある方が理想的なんだろうが。その時はおそらくルイあたりが継げばいいだろう。思い切りに欠けるが、アレの剣筋は確かだ。修羅場をくぐって少し引きしまったようだし」
 もう俺たちの時代ではなくなる、とディークは何かを懐かしむように呟いた。遠き若かりし時に思いを馳せているんだろう。
 これから自分が時代を背負っていくという現実に気を引き締めながら、アドルバードはレイを見た。


 何故か、ひどく切ない瞳をしていた。






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