可憐な王子の結婚行進曲

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18:俺があげれるのは、俺自身くらいしかない



「――――ィ、……レイ」


 名前を呼ばれて、レイははっとした。
 気づけばもう父の部屋から出た後だ。
「……アドル様? 申し訳ありません、気づきませんでした」
 呼んでいたのが隣を歩くアドルバードだと分かると、レイは素直に謝罪した。しかしアドルバードは何も言わずにレイを見つめる。
「……アドル様?」
 何か、と問おうとしたレイの頬に、アドルバードはそっと触れる。壊れ物を触ってるみたいだ、とレイは少し他人事のように思った。
「何か、あったか」
 真剣な瞳に、レイは微笑みながら「いいえ」と答えた。
「嘘をつくな。おまえの嘘を俺が見抜けないと思うなよ」
 即答されて、レイは困った。昔から変わらない、真っ直ぐすぎる瞳に見透かされてしまいそうで、目線を下げた。
「……大丈夫です、なんでもありません」
 こんな態度で「大丈夫」と言っても何の説得力もないな、と内心で苦笑した。


「レイ」


 ぎゅっと手を握られた。
 温かな声がレイの名前を呼ぶ。ずっとずっと、いとおしいと思ってきた声。
「俺は、おまえの婚約者なんだ。辛いことがあったら俺に甘えればいいし、悲しいことがあったら俺の胸で泣いていい。それはおまえの特権なんだから」
 だから、とアドルバードは悲しげに続けた。
「辛いのや悲しいのを、隠そうとするな」
 隠されると、俺が辛い。そう苦しげに呟かれると、レイも弱い。レイにとってもアドルバードの幸せが最上なのだから。
 ――別に、辛いわけでも悲しいわけでもない。ただ、少し胸にぽっかりと穴が開いたような気分になるだけだ。
「レイ」
 再度急かすようなアドルバードの声に、レイは笑った。
「移動しませんか? アドル様」
 こんな廊下で話すこともないだろう、とレイは言う。通りかかっているのは使用人ばかりだが、真剣な雰囲気になり始めたあたりから興味津津だという様子が感じられる。
 アドルバードも苦笑いで頷いた。






 城の中で他人の目がない、という場所はそう多くない。そして婚前前の二人が気安くアドルバードの部屋に行くのもどうか――という話になって、結局は温室へと向かった。
 温室には年中花が咲き乱れている。雪国のハウゼンランドで、庭師が丁寧に育ててくれているからだろう。
「はい、座って」
 温室の中にあるベンチまで連れて行くと、レイは素直に座った。やはり少しおかしい。
「レイ、何があった? なんでもいいから、俺に話して」
「……アドル様、本当にそんな大げさなことではないんです」
 ベンチに座るレイの前に跪いて、アドルバードは懇願するように問うと、レイは困ったように笑った。
「おまえに関することで、些細なことはひとつもない」
 少なくとも俺にとっては、と言うとレイは少し恥ずかしそうに笑う。
「――……本当に、ただの子どもじみた嫉妬なんです」
 嫉妬、という単語にまさかとは思うが、先程までのディークとの会話の中でアドルバードを取られまいと嫉妬するようなことは何一つなかったはずだ。
「子どもじみててもいいよ」
 跪いて、まるで王子様がお姫様を気遣うように、優しく手を握りながらアドルバードはレイを見上げた。
「……父は言いました。剣聖の座を、ルイに譲ってもいいと」
 剣聖――ディーク・バウアーの働きを讃えて国王が作った、彼だけの称号。しかしその名が他国への牽制にも使える今、ディークが引退した後にも存在して欲しい。それは国の考えとして当然だった。だからディークも息子の名を口にした。
「悔しかったんです。その時に私の名が出なかったことが。騎士であった頃、誰よりも強くなろうとしてました。あなたの為に。あなたを守る為に。でも、同時に、私は憧れていたんでしょう。剣聖という、唯一の称号に」
 国王が認めた最高の騎士。それはどんな騎士も憧れただろう。
「剣の腕で負けるつもりはありません。それに、私はアドル様と結婚するんですから、剣聖にはなれません。頭では分かっているんです」
 けれど、納得できない。レイは静かに呟いた。
「剣聖の名も、バウアー家も、私が男であれば継いでいたんだろうかと、そんな意味のないことを考えてしまったんです」
 レイは自分の言葉に失笑するも、アドルバードは笑わなかった。彼女が誇り高い人だということは、誰よりもよく知っている。
「――……男だったら、俺は少し困っちゃうなぁ」
 苦笑しながらアドルバードは呟く。
「俺がおまえにあげれるものなんて、ほとんどない。剣聖という称号も、家督も無理だ。安全だって保障できないし、苦労させるのだって目に見えてる」
 ごめん、と優しく呟きながらアドルバードは微笑んだ。レイはただ黙ってアドルバードを見つめた。


「俺があげれるのは、俺自身くらいしかない」


 それでもいい? とアドルバードはレイを見上げた。
 もしここでレイが首を横に振るのなら――また元の関係に戻ってもいい、とアドルバードは少しだけ思った。レイの幸せがアドルバード個人の中では最優先事項だから。
「何、言ってるんですか」
 レイは苦笑して、呟いた。手が伸びて、アドルバードの頬に触れる。
「あなた以上に欲しいものなんて、ありません」
 しっかりと答える声に、アドルバードは微笑む。頬に触れる手を握りしめて、優しく愛しい婚約者を抱きしめた。
「あなたさえいれば、それでいい」
 腕の中でそう答えるレイに、アドルバードは「うん」と呟いた。続けて「俺もだよ」と。
「私はもう騎士ではありません。剣聖の称号も、家督も、望んでいるわけではないんです。望んでいたのは、過去の私だ」
 言い訳のように説明するレイの頭を、撫でてやりたかった。けれど綺麗に結いあげた頭を撫でれば崩してしまうかもしれない。せっかく綺麗なのにそれはもったいないな、とアドルバードは抱きしめる腕の力を強めるだけにとどめておいた。
「私は、過去の私が望んでやまなかったものを手に入れたんです。これ以上は望みません」
 きっぱりとそう言うレイがアドルバードは愛しくて仕方なかった。こうして少しだけでも弱音を吐いてくれるようになったことも含めて、全てが嬉しい。
「うん、でも我慢しなくていい。どんな話でも俺は聞くから、レイも聞いて。愚痴でもなんでも、必ず聞くから」
 もっと甘えて欲しいな、なんていうのは、少し過ぎた贅沢だろうか。
 約束な、と耳元で囁くと、レイは少し遅れ気味に小さく頷いた。




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