可憐な王子の結婚行進曲

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2:こっちには可愛い婚約者がいる!



 それまでは、いつも傍にいて当たり前の存在だった。
 そしてそれは、いつまでも続くものだと信じていたし、そうなる為に今まで努力してきたと言っても過言ではなかった。
 それなのに。




「ちくしょおおぉぉぉぉ! いいかげんにしないともう禁断症状が出る! レイに会わせろ――――!!」




 机に齧りつきながらハウゼンランドの王子であるアドルバードは絶叫した。
 身長は愛しい人を追い越して、可愛らしさの残る顔立ちはしているものの、立派な青年へと成長している。十八歳になった記念のパーティーでレイとの婚約も発表した。それからはめくるめく甘い日々――のはずだったのに。


「落ち着いてください、アドル様。姉さんも騎士という立場から王子の婚約者へと変わって慌ただしいんです。お妃修行だのなんだのって増えて剣術の稽古が出来ないって言ってましたから」
「うるさい黙れルイ。おまえはいいよな! ちょくちょくリノルに会ってるんだろ!? 俺はもう十日もレイに会ってないんだよ! 補充しないともう持たない立てないやる気が出ない!」
 机をばしばしと叩きながらアドルバードはルイに八つ当たりする。ルイといえばパーティーの後ハウゼンランドに残っている。もともとアヴィラでの手続きはほとんど済ませてきているらしく、現在は婿入りの為の滞在という扱いになっている。
「そりゃあ、アドル様と姉さんの事情とは違いますし。二人とも忙しいようですけど、こちらはそれほどでも。それに国同士の体面もありますから」
 申し訳なさそうに笑うルイはもう騎士の服を着ていない。アドルバードと変わらぬ立派な服だ。会ってはいないがレイも――ドレスを着ているのだろう。
「だからそんな奴の慰めなんかいらない! レイに会わせろ――!!」
 悲鳴にも似た叫び声にルイははぁ、とため息を吐き出す。リノルアースと会わない時間はこうしてアドルバードの手伝いをしているのだが、ここ数日はずっとこのご乱心っぷりに悩まされている。
「うるさいわよ、アドル。廊下まで聞こえてるわ、恥ずかしい。……あらルイ。こちらにいたの?」
 ノックもせずに扉を開けて顔を出したリノルアースが呆れた表情でアドルバードに言う。後半のルイへのセリフに異様な冷たさを感じて、ルイは硬直した。
「え、あ、はい。その……リノルアース、様?」
 どうかしましたか、とルイはおずおずと問いかける。
「いいえ? 何も? 午後は私とお茶をする予定だったはずだけど、まったく全然来る気配がないからこうして兄に愚痴りに来ただけよ? ヴィルハザード様?」
 にっこりと微笑みながらリノルアースは物凄い怒っている。ええええええええ!? と慌ててルイは時計を確認して――その針が既に昼過ぎをさしていることに絶望した。
「すすすすすすみませんっ! き、気づかなくてですね!?」
「そうね、あなたは私よりもアドルと一緒にいる方が楽しいのよね。可愛い恋人を待ちぼうけさせてアドルのくだらないお守りをしてるんだものね。いいわよぉ別に。いっそアドルと結婚すれば?」
 完全に怒っている。
「まっぴらごめんだ! こっちには可愛い婚約者がいる!」
「それは俺のセリフですよアドル様!」
 不機嫌なリノルアースを前に男二人は口論を始める。しょうもない、と呆れたリノルアースはどかりとソファに座って足を組んだ。



「お茶」



 そして短く命じた。
「あ、はい!」
 その命令に即座に反応したのは悲しきかな大国の王子であるはずのルイだった。慌てて部屋を出ていく姿を見ながらリノルアースがため息を吐き出す。
「人の婚約者盗らないでくれる? お兄様」
 頬づえをつきながらリノルアースはアドルバードを見上げた。冷たい目は同情なんてもの欠片も宿していなく――明らかに怒っている。
「盗ってない。少し会えないくらいでそんな不機嫌になるなよ」
「少し? へぇ、少し? 二年も会っていなかったんだからその分埋め合わせようとして何が悪いの? あんたらなんて二週間やら十日程度のもんでしょうが。レイだって弱音は吐いてなかったわよ」
「おまえだって人の婚約者に勝手に会ってるんじゃないか!」
 リノルアースの些細な言葉にまで反応すると、本が飛んできた。
「うるさい。裁縫の先生が一緒だから同じ時間に教わってるだけよ」
 飛んできた本を間一髪でよけると、壁に当たって鈍い音がした。あれが頭に当たっていたらと思うと冷や汗が背筋を流れていく。
「貴族の令嬢だって言っても弱小だし、騎士だったしね。一国の妃にまでなるとなれば覚えることはたくさんあるでしょうよ。話を聞いてる限りどれも優秀な成績でいらっしゃるようですけど? そのお相手は情けないわね」
「そりゃあ……」



 毎度ではなかったものの、レイは護衛としてアドルバードが受けていた授業を聞いていることが多かった。政治学、帝王学、経済学――その他もたくさんだ。出された課題が分からずに躓いていたところを教わったこともある。



「……頭いいからなぁ」
 下手すると俺よりも、と呟いてなんだか落ち込んでくる。
「正直な話、アドルって外見以外はレイとつりあってないわよねー」
 実の妹の辛辣な一言に胸はかなりえぐられた。中身はまだまだってことですか。
「見た目だってもう少し身長が欲しいところよね。まぁまだ成長期みたいですから? その点はいいかもしれないけどね」
「リノルさん、かなり泣きたくなるのでやめてください……」
 何よりもレイに相応しい男になろうと努力してきたというのに、それをまだ認められないとなると泣けてくる。
「こんなこと言われたくないなら会えなくても頑張りなさい」
 ふん、とリノルアースは胸を張って堂々と言い切る。リノルアースなりの励ましなのだとは分かるが心に刻まれた傷は決して浅くない。
「……頑張らせていただきます」
 はぁ、とため息を吐き出して肩を落とすと、コンコンと律儀にノックする音が聞こえる。



「お茶をお持ちしました。それと――」
「失礼します」
 使用人か何かと勘違いしそうになるルイの声と、聞き間違えるはずもない、凛とした声。
「レイ!」
 ぱっと顔を上げると、ルイと一緒にレイが立っている。まだ短い髪はそのまま下ろされ、質素だが綺麗なドレスを着ている。思わず駆け寄ろうと立ちあがると、レイはにっこりと冷たい微笑をアドルバードにむけた。
「お久しぶりです、アドルバード様」
 そのたった一言で、アドルバードはレイが怒っていると悟った。彼女がアドルバードの名前を略さない時は、怒っている時か真剣な時だけだと知っている。
「レ、レイさん?」
「ルイからいろいろと聞かせていただきました。いつまでも子どものように駄々をこねるのはやめてください。先日の喧嘩の一件で少しは成長したように思っていたんですがそれも私の勘違いだったということでしょうか?」
 何を密告しやがった、とルイを睨むが、ルイは素知らぬ顔でリノルアースへお茶を差し出している。
「あ、会えなくて寂しいと思うのは当然だと思うが! こ、恋人だし婚約者だし!」
「世間一般の婚約者は毎日会いません。一、二週間会わないこともあるでしょうね」
 う、と言葉に詰まる。王子という立場から考えればそれこそ婚約者といっても頻繁に会えるものではない。相手が他国の王女だったりすれば数カ月単位にもなるだろう。
「自分の希望を声高に叫ぶ前に、自分の仕事を終わらせてくださいね。見張りがいなくても仕事出来るようにならなければ話になりません」
 久々の再会だというのに冷たい恋人に、心の中は猛吹雪だ。もう少し、こう、甘い時間になっても良いと思うのですが。
「精進します……ところでレイ」
 これから時間は、と問おうとしたところでレイは時計を見る。
「すみません、まだ授業が残ってますので」
 アドルバードの言葉を遮り、レイは忙しそうに部屋から出ていく。ほんの数分間の逢瀬に背後では落ち葉がひゅるりと舞い落ちた。




「……報われないわねぇ」
「さすが姉さんとしか言いようがないです」
 お茶を飲みながら硬直したアドルバードを観察する二人は感心するように呟いた。







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