可憐な王子の結婚行進曲

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28:だから、おまえが剣聖になれ



 日当たりの良い南の離宮は、寒いハウゼンランドにいるのが嘘に感じるようにあたたかい。その離宮の一室に部屋を用意されたレイは、一人で着替えを済ませていた。何人も侍女に手伝ってもらわねば着ることが出来ないようなドレスではない。レイの長い足を強調するような細身のズボンに、真っ白なブラウス。その上に黒のベストを着て、腰には剣を下げていた。伸びた銀色の髪は首の後ろで一つに束ねる。レイにとってはとても動きやすい私服だ。
 鏡に映る自分を見て、レイは苦笑した。これでは王子の婚約者というよりも、どこぞの侍従のようだ。長い髪がかろうじて彼女が女であることを教えてくれる。せめて少しは女らしく、と淡い色の口紅を塗った。中性的な顔立ちの彼女は髪が長くても格好次第では男にも見える。
「……男に見える方がいいのかもしれませんが」
 この離宮に居る限りは、それも余計な心配だろう。レイは口紅を化粧台に置いて部屋を出る。このところ不機嫌な姫君の相手をしなければならない。




 朝食は決まって、離宮の中にある小さな植物園でとることになっている。ちらほらと花が咲いていて、大きな窓からは陽光は降り注いでいる。植物が好きな王妃はことさらにこの植物園を気に入っていて、朝食やお茶の時間はここで過ごしましょう、と有無を言わさず決めたのだ。
「おはようございます、リノルアース様、アデライード様」
 この格好では淑女の挨拶も似合わないので、レイは騎士のように二人に礼をした。王妃であるアデライードはにこりと微笑むが、リノルアースは不機嫌を隠す様子もなくむっつりとしている。
「おはよう、レイ。今日も一段とかっこいいわ。でも私のことはお義母様かアデルと呼んで、とお願いしたはずだけど?」
「ありがとうございます。アデル様」
 義母と呼ぶのはまだ抵抗があるので、レイは微笑みながら言い直す。アデライードは満足そうに頷いた。
「……リノル様、まだ怒っていらっしゃるんですか?」
「ええ、そうよ。だってお父様もアドルもレイも勝手すぎるわ。どこの王様か知らないけど、私だって自分の身を守ることくらいできるもの。のけものにされるのは一番嫌いよ」
 ふん、とレイを顔を合わせることもせずにリノルアースは黙り込む。リノルアースはそう言うが、さすがに大人の男性に襲われたらひとたまりもないようなほど彼女は非力だ。しかし父や兄の愛情を素直に受け止めるよりも勝手に決められたということが許せないらしい。
 それに――……。
「アドル様はお一人になってしまいますが、その分公務に励んでいらっしゃるとのことです。合間には様子を見に来て下さると思いますよ」
 レイがやんわりとそう告げると、ぴくりとリノルアースの肩が揺れた。双子の兄を分かりにくいながらもしっかりと慕っている彼女は、アドルバードが一人きりでいること嫌らしい。ルイは朝食をとった後にすぐにこちらの離宮を訪ねてくるが、王子であるアドルバードは公務があるのでルイのように入り浸ることができないのだ。
「無理にでも時間を作って会いにくるのは当然でしょ。ここにはレイもいるんだから。婚約者そっちのけにしていたら怒ってやるわ!」
 どうやらリノルアースは自分を放置されるということよりも、アドルバードとレイのことを憂いてくれているらしい。そのことが分かると、レイはくすくすと笑った。
「大丈夫ですよ、長く一緒にいるだけが愛ではないと学びましたから。今は少し離れていてもお互いに頑張らなければならない時期なのでしょう」
 むしろアドルバードとレイは近くにいすぎたからこそに見失ってしまうものも多い。こうしてお互いに距離を置くことも時として必要なのだと、今では冷静に思えるのだ。
「まったく、この子はいつまでたっても兄離れしないのだから。そんなことではルイに嫌われてしまうわよ?」
 アデライードが呆れたようにそう諭したが、リノルアースの耳には届いていないらしい。用意されている朝食を食べたあとも、リノルアースは納得していないような顔をしていた。




 名目上はお妃教育、ということになっているが、レイがアデライードと一対一で過ごすことはなかった。アデライードと言えば「レイならそのまま王妃になっても大丈夫よ」と言うだけで部屋に戻り、自分が好きなように一日を過ごしている。なのでレイはもっぱらリノルアースとルイの三人で過ごすことになっていた。あまり一人になるな、というのは父のディークの言いつけである。
「リノル様、そういえばアドル様からこれを預かっていたんです」
 ルイがやってきて、そのまま植物園で談笑していると、ルイはそう言いながらポケットから小瓶を取り出した。中には小さな金平糖が入っている。
「……なによそれ、ご機嫌とり? ていうか妹じゃなくて婚約者にプレゼントを用意しなさいよ」
 むすっとしながらも、リノルアースはどこか嬉しそうにそれを受け取った。レイに何もないのは当然だ、意味もなくプレゼントを贈れば「無駄遣いはどうかと思います」と冷たい反応があるに決まっているのだから。
「ルイ、午後もいるのか」
 これはいつもの質問だった。朝食後、夕食まで一緒にいるのはここ数日のお決まりであり、確認を含めたこの質問もまたお決まりのものだった。続く誘いの言葉も一緒だ。
「ええ、いる予定です」
「では手合わせを」
「はい」
 ルイは嬉しそうに笑って答えた。レイはここしばらく剣を握ることができなかったので、感覚を取り戻すためにもルイと手合わせをすることにしている。お互いに騎士団の誰かに気軽に手合わせを願い出ることのできなくなった身なので、本気でやりあえる時間はありがたいものだった。
「毎日毎日、本当によく飽きないわね」
 呆れたようにリノルアースが呟くが、本当は幼いころと同じようなこのやりとりが嬉しいらしい。四人がもっと若かった頃、ルイが城へやってくるようになった頃はアドルバードを交えて、剣の練習をするのが常だった。
「日々鍛錬してこそのものですからね」
 レイが剣に触れながら答える。王妃として剣を振るうことができるのは異例かもしれない。けれどアドルバードはそんな自分を選んでくれたのだから、辞めるつもりはなかった。時に世間の目を気にして自重することは必要であっても。
「……それで、私の婚約者様はいつになったら私の未来のお姉さまに勝てるのかしらね?」
 意地悪な問いに、ルイは苦笑いを零すだけだ。打ちあう数はその日によってまちまちであるし、時にはルイがレイの剣を弾くこともある。けれど最終的な勝率はいつもレイの方が上であった。決して女だからとルイが手を緩めているわけではない。
「本当ですね。私ごときに勝てなくては、剣聖の名を与えるわけにはいきません」
「いっそ姉さんが剣聖になればいいんですよ」
 冗談めかしてルイがそう言うと、レイは苦笑した。いや、苦笑というよりも、少し悲しげな微笑みだった。
「剣聖というのはもはやバウアー家の異名のようなものだ。おまえがバウアー家を継ぐのなら、剣聖はおまえのものだよ。父上もそう考えている。何よりこれから発展していくだろうハウゼンランドには、剣聖が必要だ」
 私は王妃として、この国を支えていく。レイの決意はもはや揺るぎないもので、ルイは真剣にその言葉を受け止めた。
「だから、おまえが剣聖になれ、ルイ。アドルバード様にもそれは必要となるだろうから」
 その静かで芯のある声は、まるで強くなれ、と言っているような気がした。






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