可憐な王子の結婚行進曲

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29:レイは意地悪よねぇ

 剣を握ったのは、もはや運命としか言いようがなかった。
 父も母も女だからという理由でやめろとは決して言わなかった。父は豪快に笑って、さすが俺の娘だなと言い、母は穏やかに微笑んで見守っていた。ハウゼンランドで誰よりも強い父から稽古を受け、女であることもハンデにならないようにと様々なことを叩きこまれた。相手の動きの読み方、その場を満たす空気の読み方、人の気配の探り方、身体のどこを斬ればどう動けなくなるのか。それは騎士団で学ぶよりもより本格的なものばかりだった。
 剣は、私の――レイ・バウアーの誇りだった。







「レイは意地悪よねぇ」
 リノルアースは頬づえをつきながら、そんなことを零す。南の離宮にある中庭で稽古をする二人をちらりと見ながら、暇を持て余しているようだった。
「意地悪、ですか」
 苦笑して答えれば、リノルアースは「そうよ」と不貞腐れる。
「レイがあの馬鹿に剣聖になれなんて言うから、すっかり稽古に熱中しちゃって。ディークもディークで楽しそうだし」
 先程から稽古を続けているのは、ルイとディークだけだ。たまにはドレスを着なさい、とアデライードやリノルアースから言われたレイは、珍しくドレスを着て見学している。男装ばかりしているとドレスを着た時の作法も忘れてしまいそうになるので、ちょうどいいのかもしれない。
「ルイは父に稽古をつけてもらうことはあまり多くありませんでしたし、いいじゃないですか。あれもアヴィラの内戦で随分と経験を積みましたから、父も楽しくて仕方ないみたいですね」
「内戦ねぇ……あんまり話さないわね、その時のことは」
 リノルアースの青い瞳がどこか遠くをぼんやりと見つめて、小さく呟いた。アヴィランテの内戦ではルイがとても活躍していた、ということだけ伝え聞いている。本人は曖昧に微笑むだけで詳しくは話してくれないのだ。
 ルイは懸命にディークに斬りかかるが、どうも軽くあしらわれてしまう。焦りが太刀筋に出ているようだった。だがその焦りの中にも、戦いを切り抜けてきただけの強さを感じるのだろう、ディークは息子の成長ぶりが嬉しくて仕方ないようだ。
「実際、ルイは強いと思いますよ。穏やかなハウゼンランドでは、彼が内戦で経験したような戦いは身につきませんからね。稽古ではなく本気の殺し合いになれば、私より遥かに強いでしょう」
「そうかしら、稽古ではレイに負けてばっかりなのに、実戦でそう上手くいくもの?」
 疑うリノルアースの目に、レイは苦笑する。
「稽古の場合、私は相手の癖や行動パターンを考えてやっています。だから私が良く知る相手であればあるほど、私は負けることはありません。父は例外ですけどね。実際の戦場では、そんなこと考えている余裕もない。情報もない。もし私とルイが他人で、戦場で相まみえたとしたら――負けるのは私でしょうね。力の差もありますから」
 信じられない、と言いたげにリノルアースは目を丸くした。彼の剣の腕は知っていても、気弱な性格を熟知しているせいか、イメージが結びつかないのだろう。
「血筋だけでは、剣聖は継げませんよ。まさに剣聖の名は、ハウゼンランドの剣そのものですからね。ルイは周囲が思っている以上に強い男です」
「性格だけじゃ、とてもそうは見えないわね」
「そうですね。たぶん、ルイに足りないのは剣の腕ではなく、心の強さなんでしょう」
 幼少期に甘やかしすぎたんでしょうか、と苦笑するレイを見ながら、リノルアースは微笑む。
「心配しなくても大丈夫よ、レイ。結婚したら私が尻叩いて鍛えてあげる」
「期待しておきます」
「まかせなさい。あれよね、こう、押しが足りないのよ! 押しが! 男なんだからたまには強引なとこがあってもいいと思うの」
 それは恋愛のことじゃありませんか、と思いながらレイは黙っていた。確かに通じるところがある。というより、恋愛面で強くなれれば自然と精神も鍛えられるのではないだろうか、と苦笑いを零す。なんといっても、相手はこのお姫様だ。
「……そういえば、アドル、来ないわね」
 ちらりとレイを見ながら、リノルアースが呟いた。
「忙しいんでしょうね。通常の政務に加えて、他国の王が訪問するともなればいろいろと準備しなければなりませんし」
「有能なレイがサポートにいないしね」
「アドル様なら、私がいなくとも大丈夫ですよ」
 くすりと笑みを零しながらレイは会話を切る。リノルアースは釈然としないといった顔でレイを見つめていたが、彼女はその視線に気づきながらも受け流してしまう。まさか倦怠期というやつだろうか――なんて要らぬ心配をしてしまうくらいには。
「レイ様」
 にこにこと上機嫌でやってきたのは、アドルバード付きの侍女であるニーナだった。長年仕えているので、もちろんレイとも顔見知りである。
「お待たせいたしました、殿下からのお返事です」
 そう言いながらニーナが差し出したのは、一冊のノートだった。
「……ノート?」
「ええ、アドル様がうるさいので、情報交換もかねてお互いに書いているんです」
「それってつまり交換日記じゃないの」
 心配したのも無駄だったわ、とため息を零しながらリノルアースが笑った。こちらの知らないところで、きちんと仲良くやっていたらしい。
「殿下はすっかり禁断症状が出ていらっしゃいましたけどね」
 にっこりとニーナは微笑みながら、交換日記にも書いていない情報を零す。向こうには「レイ様は全然平気そうでしたよ」なんて言っているのかもしれない。まったく、とレイは呆れながらノートを開いた。リノルアースも横からこっそり覗く。
 噎せ返るような甘い言葉でも並んでいるのだろうか――と思わせながら、中身は本当に近況報告ばかりだった。今日は何をして、こんなことがあって、今後はこうする予定。端々には会いたいといった言葉もあるが、予想外の内容にリノルアースは興味を失くしたようだ。
 けれど最後には必ずこうある。
 ――愛を込めて。
 その一言に詰まった想いと葛藤を想像しながらレイは微笑み、ノートを閉じる。
「夕食後までには書いておく。あまり無理なさらないように伝えてくれ」
「はい、もちろんですわ」
 ニーナは伝言を受け取ると、それでは、と離宮から去っていく。時には花を一輪持って、時には甘い菓子を持って、本当は自分で届けたいと願う主に代わって、アドルバードとレイのかけ橋になっているニーナは、その仕事を楽しんでいるようだ。
「……レナンド王の訪問日時が決まったようですね」
 ため息を零して、レイが呟いた。その言葉にリノルアースの顔色も曇る。
「思った通り、急な日程のようです。その間、リノルアース様は離宮から出ないように、とアドルバード様と陛下が」
「レイは?」
「私も、ですよ。予定外のことがなければ、ですけどね」
 外交に関わりのない姫はあまり顔を出さないのが普通だし、レイはまだ婚約者という立場しかない。王妃であるアデライードは一、二度挨拶に出なければならないかもしれないが、それ以上のことはしないはずだ。
「それで、いつ来るの」
 わずかに緊張を孕んだ声で、リノルアースが問う。
 レイは静かに目を閉じて、答えた。


「十日後です」




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