可憐な王子の結婚行進曲

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30:もう私はあなたのものなんですから



 十日という時間は、南の離宮で過ごしているリノルアースやレイにとっては途方もなく長い日々だった。けれどアドルバードにしてみれば本当に一瞬で過ぎ去ってしまった。なんといっても準備までの時間がない。あっという間にレナンド王訪問が明日に迫ってきた。
「セオラス、今何時だ」
「えー……日が変わったくらいです。すみません、疲れて時計も読めないです」
 疲れているのはアドルバードも同じだ。ここ数日まともに寝た記憶がない。セオラスはぐったりとして机の上に伸びている。レイが見ていたらだらしないと怒っているだろう。
「俺は頭脳派じゃないんですよ、殿下。頭使えないから騎士団に入ったってぇのになんで俺は机仕事をしてるんでしょうねぇ。もう頭が爆発しそうです」
「わ、悪いとは思ってるよ」
 ぐちぐちと呟くセオラスに、アドルバードも思わず言い訳する。以前の専属騎士があまりに有能すぎたので、同様の働きを彼に求めてしまうのはしかたないことではないだろうか――と思う反面、やはり彼女が規格外だったのだろうとも思う。
「姐さんはなんでもそつなくこなしますからねぇ。でもさすがに、ここ数日は激務ですよ。殿下もさっさと寝てください。明日にはレナンド王が来るんでしょ?」
「ああ、ちょうど仕事も終わったし、今日はぐっすり寝れそうだな」
 お互い、とアドルバードが苦笑まじりに言うとセオラスは笑う。まだ真っ暗なうちに寝れるだけ有難い。じゃあ、とセオラスが退出しようとした時、がちゃりと部屋の扉が開いた。
「なんだ、もう少し早くくればよかったか」
 軽食とお茶を乗せたトレイを持って、レイが立っている。
「レ、レイ!?」
 疲れていたはずのアドルバードが嬉しそうに立ちあがる。ご褒美を前にした犬みたいだな、とセオラスは思った。
「おまえの分も用意したんだが――飲んでいくか?」
 今まさに部屋を出ようとしているセオラスに問いながら、レイはトレイに乗った三つのティーカップと二人分のサンドウィッチを見下ろす。
「遠慮しときます。久々に会えた恋人同士の邪魔をする気にはなれませんしね」
 そう言いながらサンドウィッチをひとつ、ひょいとつまんで口の中に放り込んだ。
「それじゃ、ごゆっくり」
 ひらひらと手を振りながらセオラスは廊下を歩いて行く。レイはその後ろ姿を見送りながら余計な気遣いを、と苦笑した。
「レイ、おまえ離宮から出てきたのか?」
 散らばった書類をまとめ、テーブルの上でお茶の準備をするレイを見ながらアドルバードは問う。
「ええ、明日からはそれこそ許可がなければ外に出れませんし、今日くらいはと思いまして」
 日が変わったくらいの時間だったら、レイが起きているのは不思議じゃない。リノルアースだったら肌に悪いとかなんとか言って、とうの昔に夢の中だろう。
 それにしても、とアドルバードはまじまじとレイを観察した。長くなった髪は耳と同じくらいの高さで一つに結ってあるが、服装は騎士だった頃の普段着そのものだ。白いシャツに、グレーのベスト、細身のズボン。まさしく男の格好だ。
「……なにか?」
 淹れた紅茶をアドルバードの前に置きながら、レイが首を傾げる。じろじろと見ていた視線に気づいたんだろう。
「いや、なんだかそういう格好のレイを見ると懐かしいなぁと思って。それほど前のことじゃないんだけどな」
「最近はドレスばかり着ていましたからね。その点では離宮での生活は楽でいいです」
 口うるさい貴族の目を気にせず好きな格好ができる、ということだろう。アドルバードは申し訳ない気持ちになりながらも、ただ笑って誤魔化した。婚約者であるレイがどのような格好をしようとも、非難する人々を黙らせるだけの力があればよかったのだが、と思ってしまう。
 自分は、彼女から自由を奪いたいわけではないのだから。
「これを食べたら、休んでくださいね。顔色が悪いですよ、アドル様」
 アドルバードの中に湧きあがってきた暗い気持ちを拭い去るように、レイは柔らかく微笑んだ。考えていることなんてお見通しなんだろう。
「レイの顔を見たら、疲れなんて吹き飛ぶよ」
 紛れもない本音を呟きながら、紅茶を飲む。甘いミルクティーだ。
「それなら、わざわざ離宮から来たかいがあったと言うものですね」
「ん。これで明日も頑張れる」
 明日の昼にはレナンド王が到着する予定だ。疲れ切った身体ではまともに対応できない。親しんだ国の王相手ならばいいのだが、相手が相手だ。外交という名の戦いだと思っていいよ、と父にも言われている。
「リノル様のことは私がきちんとお守りしますから、安心してください」
「それは、心配してない」
 もぐもぐとサンドウィッチを頬張りながら、アドルバードは笑った。レイのこともルイのことも信頼している。それに、あの策士な妹も、自ら危険だと思うところへ飛び込むほど無鉄砲ではないはずだ。
「それじゃあ……」
 レイは少し何かを考えるようにして、ふっと身を乗り出した。レイの青い瞳が近づいて、アドルバードは甘い期待をするが――。
「……………………なんで額?」
 レイからのキスがおりたのは、唇ではなく額だった。
「本当のご褒美は最後にとっておくべきかと思いまして」
 にっこりと微笑みながら答えるレイは、確実にアドルバードをからかっている。身長はとっくに追い越したのに、年齢の差がそうさせるのか、レイはいつまでたっても余裕を見せつけてくるのだ。
「……まぁ、いいけどさ。全部終わったらもろもろ請求するからそのつもりで」
「結婚前の常識ある範囲内でしたらいくらでも?」
 仕返しのつもりのセリフにまで見事に切り返されて、アドルバードは黙るしかない。レイはくすりと笑って空になった食器をトレイに乗せて立ちあがる。
「あまり長居すればあらぬ噂になるかもしれませんし、私は戻りますね」
「どうせ人払いしてるんだろ」
 それなら急ぐ必要なんてないのに、と思うのはやはり久々に会えたからこそだ。しかしレイはやんわりと子どもを諭すように続ける。
「事実にないことを噂されていたたまれなくなるのはアドル様ですよ。もう私はあなたのものなんですから、我がままを言わないでください」
「……っ」
 レイの言葉は嘘じゃない。確かに勝手な噂をされて、それが事実にともなっていなければ――むなしくなるのはアドルバードだ。未だにキスしか許されていない関係なのだから。しかし問題はそれではなく。
「おまえ、時々とんでもない爆弾を落とすよな……」
 赤くなっているであろう顔を隠すようにアドルバードは俯いて呟く。レイはそんな男心など気にもかけず、自覚なしに追加の爆弾を落とした。
「今更のことでしょう? 私はとうの昔からアドル様のものですから」
「だったらもう少し隙を見せてくれてもいいと思うんですが、レイさん?」
「アドル様に見せる隙は、アルシザスの一件が最初で最後です」
 蒸し返されると痛い話題に、アドルバードはすごすごと引き下がるしかなかった。レイはくすくすと笑いながら今度こそ部屋から出ていく。
 きらりと月光に照らされた銀の髪が、廊下の向こうへ消えていってしまう。それを寂しく思いながら、アドルバードは大人しくベッドに向かった。このまま眠れば、いとしい人の夢を見れそうな気がする――なんて、ロマンチストだろうか。




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