可憐な王子の結婚行進曲

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32:ああ、ほら分かってない!

 書庫から数冊の本を見繕って、あとは離宮へ戻るだけだというのにレイの足取りは重かった。
「……姉さん、戻りますよ?」
 姉の不審ぶりに勘づいたルイは、釘を刺すようにそう告げる。レイは「ああ」と後ろめたいことなど何もないように答えた。しかしやはり何か気になるらしく、気が散っている。正直、ルイとしては早く離宮に戻りたかった。男装しているものの、レイは以前よりも髪が伸びているし、どこからどう見ても『女性』だ。もし、万が一、噂のレナンド王と遭遇なんてしてしまったら――アドルバードに何を言われるか分からない。
 とはいっても、レイが気になっているのもまた、噂のレナンド王なのだろうが。
「姉さん。気になるのは分かりますけど、今回はアドル様に任せないと」
「分かっているよ、なんというか、性分みたいなもので」
 苦笑するレイにため息を零しながら、ルイは少し急いで歩く。
 観念したのか、レイがルイの隣に並び、同じ速度で歩き始めた。ドレスだったらきつい速さだろうが、今の彼女の服装なら平気なのだろう。長い銀髪が揺れた。
「信用していないわけじゃないんだ」
 ぽつりと零れた涼やかな声に、ルイは視線を落とす。レイはただ困ったように笑っていた。
「あの人の役に立つことを、なんて……本当に身に染みついているな」
 レイが自分の手を見下ろして呟いた。その手は以前よりも柔らかく美しくなったが、貴婦人の手と比べると肉刺の名残や怪我の跡がある。
 離宮の入り口まで辿りつくと、顔馴染みになった衛兵が会釈する。本来はここでチェックを受けるのだが、さすがにレイもルイも顔パスになっていた。ふとルイは視線を感じて振り返る。少し遠く、顔も判別できるかできないかの距離に、一人の男性が立っている。
「……姉さん、早く中へ」
「分かっている」
 短い返答は、レイ自身もあの視線に気づいているということだろう。いや、気づかない方がおかしいのかもしれない。視線はレイに注がれている。
「もう離宮を出ない方がいいのかもしれませんね」
 ルイがそう告げると、レイは肩をすくめて離宮の奥へと入っていく。リノルアースがいるのは温室だろう、と二人歩いていると、騒がしい声が聞こえた。レイとルイは顔を見合わせて、笑う。
「アドル様が来ているみたいですね」
 ルイが茶化すように言うので、レイはあえて何も言わなかった。自分がからかう分にはいいが、弟にからかわれるのは嫌だ。
「戻りました、リノル様」
 いると分かっているのにリノルアースの名を口にしたのもわざとだ。ここでアドルバードの名前を出せば、本人が喜ぶということは分かっていた。
「レイ!」
 アドルバードは婚約者の姿を見つけると、子犬のように目を輝かせる。体格は既に大型犬と言ってもいいくらいに背が高いのに、いつまでたっても子犬の雰囲気が拭えないのは本人の性格のせいなのだろうか。
「何をなさっているんですか、アドル様」
「何って……レナンド王は休むっていうから俺もこっちに来ただけ。どうも気に入られなかったみたいだ」
 レイとルイはちらりと顔を見合わせる。先程のことを言うべきか否か考えているのだ。そしてルイはあっさりと決定権を姉に引き渡した。ふぅ、とレイがため息を吐き出す。
「そのレナンド王でしたら、この離宮の近くにいらっしゃいました。見たことのない方だったので、間違いないと思いますよ」
「て、へえええ!?」
 レイに会えたことで上機嫌だったアドルバードが、驚いて椅子から転がり落ちそうになる。
「そりゃあ勝手に動き回るかなぁとは思ったけどなんてピンポイントでここを嗅ぎつけるんだよ!?」
「つけられていたんじゃないですか?」
「さすがに分かるよそれくらい!」
 ルイの問いをアドルバードはばっさりと切り捨てる。確かにたくさんの面倒事に巻き込まれただけあって、人の気配には聡い方だ。レイやルイもすぐに気づいたくらいだから、アドルバードが気づかなかったというのも考えにくい。
「東の野犬だもの、匂いで分かったんじゃない?」
 リノルアースが紅茶を飲みながら大変失礼な発言をするが、誰も訂正はしなかった。野蛮な民族と軽んじるつもりはないが、今までの東の動向を考えてもなかなかぴったり当てはまる言葉だ。
「それじゃあ……もしかして、レイの姿は見られた?」
 アドルバードは真っ青な顔で問いかけてくる。対するレイは顔色一つ変えずに、「そうでしょうね」と答えた。
「リノル様も、あまり出入り口には近づかない方がいいかもしれません。外から見えるような場所もです。アルシザス王とは違ってストレートに要求していませんが、リノル様に興味をもっているのは分かりきったことですから」
 ルイも心配そうにリノルアースの隣に座る。こちらも本人はそれほど気にした様子はない。
「言われなくても、そうしているじゃない。どこかのお兄様と違って、面倒事に巻き込まれるのはごめんだわ。まして今は結婚前なのに」
 リノルアースは今回、いつもより大人しくしている。その分口は挟んでいるが、自分で動こうという考えはないようだった。本人も結婚前に問題を起こして延期になるのが嫌なのだろう。
「レ、レイも……」
 ちらりとレイを見ながらアドルバードが控え目に提案すると、レイは首を傾げた。
「私の場合は標的にされているわけではありませんし」
「おまえ自分がどんなに綺麗か分かってるか!? リノルが標的ならレイだって標的だよ!」
「それはあまりにも過剰な評価だと思いますけど……」
「ああ、ほら分かってない! レイは美人なんだよ! しかも超がつく! そこんとこ分かっておけよ!」
 アドルバードが頭を抱えながら主張するが、レイにはさっぱり伝わっていなかった。しかし残念なことに、今回ばかりはアドルバードの言うことが正しい。以前のように髪の短い頃ならば例外だが、髪を伸ばして『女性』として生活している限り、レイは傾国の美女なのだ。リノルアースと系統が違う、というだけで。
「レイの場合は剣の腕があるからっていう過信もあるわねぇ。念には念を入れなさい。あんたが標的になっても面倒なことには変わらないんだから」
 珍しくリノルアースがアドルバードのフォローをする。そこまで言われるとレイも頷かずにはいられなかった。
「自分の容姿に無頓着なのが姉さんの美点でもありますけど、欠点でもありますね」
 苦笑しながらルイが呟くと、双子はうんうんと同意する。
 レイは釈然としない様子で首を傾げていた。



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