可憐な王子の結婚行進曲

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33:――……馬鹿にするなよ





 目を奪われるような銀の髪の、美しい女がそこにいた。
 長い髪を一つに束ね、服は男ものを着ている。何冊かの本を抱えて、一緒にいる男と何か話しているようだった。
 あれが噂のリノルアース姫か――そう考えて違うな、と結論つける。あれでは王子とまったく似ていない。男女の双子なのだからそれほど似ていないとは思うが、その女からは血のつながりを感じなかった。


 雪が降ったあとの景色が、そのまま人になったようだ。
 氷柱が命を宿して人になったようだ。
 凍てついた空気と雪白の美しさが、その女に祝福を与えたかのような、気高さを持っていた。


 ――レナンドには、いない女。




   ■   ■   ■




 アドルバードはいかにレイが綺麗なのか、ということをとつとつと語って、語り過ぎて、最終的にはリノルアースに鬱陶しいと追い出された。どうにかレイも納得してくれ、あまり離宮の外には出ないと約束させることができたのは幸いだっただろう。あとはルイに監視させるしかない。
 頭が痛い案件はいくらでもあるというのに、婚約者のことが心配で手につかないなんて、王子失格だ。だからこそレイには離宮にいてもらって、仕事に専念しようとしているのに。
 レイの身の危険だ――という心配はあまりない。彼女の強さはアドルバード自身がよく知っている。
心配しているとすれば、レナンド王となんらかの噂がたった時に、それが彼女を排除しようと考えている貴族たちの餌になるということだ。バウアー家は王家の信頼が厚く、剣聖という称号を得たディーク、そして養子であったルイはリノルアースとの結婚を控え、さらにレイは王子であり次期国王の婚約者――周囲を黙らせるだけの材料をそろえてここまで来たものの、未だに不服を訴える貴族はいる。
「まぁ、文句言いたくても言えないって奴らが圧倒的に多いけどさ」
 はぁ、とため息を吐き出しながら呟く。何しろルイはあのアヴィランテ帝国の皇子だったのだ。それだけでハウゼンランドの貴族は太刀打ちできない。レイもアヴィランテの領地を持っている。弱小国のハウゼンランドにとって、大国アヴィランテの名は無条件でひれ伏すのに相応しいだけの力を持っていた。
 ぱん、とアドルバードは自分の両手で頬を叩いた。乾いた音と、痛みが頭に染みる。
「よし」
 気合いを入れたところで、アドルバードは拳を作った。昔ほど小さな手のひらではない。自分一人を守るだけで精一杯になどならない。強くなった。強くなったつもりだ。大切な人を守れるくらいには。
 レイが手出しをできないくらいに完璧にこなすしかない。あとはレイが離宮から出ないでいてくれることを願うばかりだ。
「殿下、晩餐会の準備が整いました」
「……わかった」
 晩餐会はアドルバードの他に、国王とレナンド王、そして離宮に避難している王妃のアデライードだけが参加することになっている。さすがに一度も顔を出さずにいるわけにはいかないのだ。外交も王妃の仕事の一部なのだから。どうせディークが傍に控えているだろう。
 どうせ国王夫妻は我関せずでほとんどアドルバードに任せるつもりだ。なら受けて立ってやる。もう子どもでもない。







 ささやかな晩餐の席で、じろりと睨むようなレナンド王の目つきにアドルバードは微笑みで返した。レナンド王はそれすらも気にしていないようで、すぐに目を逸らしてしまう。馬鹿にされている、と嫌でも分かった。
「王妃様におかれましては、本当にお美しい。咲き初めの薔薇のようだ」
「あら、ありがとうございます。もう若くもありませんもの、無理にお世辞を言っていただかなくてもよろしいのですよ?」
 にっこりと答えるアデライードも、あのリノルアースの母だけあって小さな嫌味を残すことを忘れていない。内心では娘同様、レナンド王のことを野犬だとでも思っているのかもしれない。
「いえ、今でも少女のように若々しい」
 アデライードはそれ以上には何も言わなかった。微笑みを浮かべたままで、無言を貫き通している。話す価値なし、ということなのだろう。
 妙な沈黙が部屋の中に落ち、表情だけは友好的なのに、流れている空気は殺伐としていた。
こういうのはいつになっても慣れないな、とアドルバードは思う。慣れないけれど、仮面を被って本音を隠すことには慣れてしまった。
「そういえば」
 ふと、レナンド王が口を開いた。
「さきほど、美しい人を見ましたよ。男性の服を着ているようでしたが、おそらく女性だと思います。雪の結晶を集めて出来たような、美しい銀髪の人でした」
 ぴくり、とアドルバードの指が震える。
 じっとりとした、獲物を狙う獣の視線を感じた。レナンド王は今、アドルバードを見ているに違いない。
「……私の婚約者でしょう。ちょうど城に滞在しているので」
 あえて隠すことはしなかった。レナンド王も、おそらくレイだと予想してアドルバードに揺さぶりをかけているのだ。アドルバード王子の婚約者が元騎士であるということは、わりと有名になっている。男装の女性が城内にいた場合、王子の婚約者と結びつけるのは無理もない。
「綺麗な方ですね」
「ええ、そうでしょう」
 ここで謙遜するアドルバードではなかった。レイが綺麗なのは当然だ。
 笑う。
 レナンド王の微笑みは、獰猛な獣が口を開けて今にも食いかかろうとしている姿に似ていた。


「私がいただいてもいいですか?」


 空気が凍りついた。
 自分の耳を、疑った。
「レナンドには、あれほど美しい女はいない」
 追撃するようなレナンド王の声で、アドルバードは現実なのだと気づかされた。この、信じがたい言葉が、現実なのだと。
 湧き上がるのは恐怖でも疑問でもない。


 ――純粋な、怒りだ。


「……あなたは、俺を侮辱しているんですか」
 やけに冷静な、静かな声が耳に届いた。それが自分の発した声であると気づくまでに少し時間がかかる。頭は沸騰するくらいに怒りで満たされているのに、声は氷のように冷たいなんて。
「それとも、俺を試しているんですか?」
 乾いた笑みを浮かべて、アドルバードは真っ直ぐにレナンド王を睨んだ。これは宣戦布告だ。慣れ合いなんてもう必要ない。仮面を被っためんどくさいやり取りも終わりだ。
「俺が、婚約者をあなたに渡すほど愚かな男であると? それとも、俺はあなたにとってとるに足らない男であると。俺からならば奪えると?」
 それは何も、レイのことだけではない。
 アドルバードが手にするもの。ひいてはこの国も、同じだ。
「――……馬鹿にするなよ」
 低い、地を這う声。頭が痛い。これほど愚かな男なのだろうか、この男は。一国を背負う立場でありながら、他国の王族を侮辱できるほどに? 彼にはアドルバードを試す資格すらないのに。
「あんたに彼女はやらない。あんたにやるものは何一つない。奪いたきゃ奪ってみろよ。できるもんならな」


 獣が笑う。自信満々に。









 アドルバードはそのまま立ち去り、その後素知らぬ顔で食事をきちんと終えたレナンド王が退室した。国王と王妃は食後のワインを飲みながら、くすりと笑う。
「本当に、アドルは短気ですね」
 誰に似たのかしら、とアデライードは意地悪に微笑んで夫を見た。
「あれでは黙っていないだろうなぁ、あの子は。それにしても、馬鹿だね」
「どちらが、です?」
「どちらも、かな」
 あら、とアデライードが驚いたように目を丸くした。
「愚かなのはあの男の方でしょう。国主に相応しいとは思えませんわね」
「頭はいいんだと思うよ。ただ、己の欲に忠実過ぎるな。駆け引きというものを知らない。あと、息子を軽視しすぎたかな」
 国王はアドルバードに厳しくしているものの、評価すべきところは評価している。細身で繊細な顔立ちの息子だが、弱いというわけではない。何しろ幼い頃から剣聖に鍛えさせたのだ。
「それにしても、確かにアドルは馬鹿だったわねぇ」
 ふぅ、とため息を吐き出しながらアデライードが呟く。
「レイを無視してこんなことしでかしたら、あとで怒られるに決まっているのに」



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