可憐な王子の結婚行進曲

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34:暴れたいなら付き合いますよ?

 腹の底でぐつぐつと煮えたぎっているような怒りを、何かにぶつけたくて仕方なかった。何にぶつければいい? アドルバードは今すぐにでも、それこそ廊下の壁でもなんでもいいから殴りたくて仕方ない。
 ふざけんなよ、俺がどれだけ長い間レイに惚れていたと思ってる。ようやく手に入るのに、ようやく認められたのに、みすみす他の男にやってたまるか。どんな理由があろうとあんな最低の男に渡す筋合いはない。
「くそっ一発ぶん殴れば良かった……!」
 そうでもしないと、この怒りは収まらない。
「あれ、アドル様? まだ晩餐会のはずじゃあ……」
 暢気な声の主は、ルイだった。何冊か本を持っているので、レイが書庫から借りていった本を返却に来たのだろう。
「…………ルイ。一発殴らせろ」
「え、な、ななななんでですか!?」
「なんでも。むしゃくしゃする」
「俺のせいですかそれ!?」
 アドルバードが拳を作ってつかつかと歩み寄るが、ルイは引きつった顔で一歩後ろに下がる。覚えがあるのならまだしも、ルイには心当たりがまったくない。ないのも当然だ、ただの八つ当たりなのだから。
 アドルバードはおかまいなしに拳を振り上げ、ルイに殴りかかるが、もちろんルイは大人しく殴られてはくれなかった。
「よけるなよ!」
「よけるでしょ普通!」
 悲鳴のように叫びながら、ルイはアドルバードを見る。随分と余裕がなさそうだ。
 はぁ、とため息を吐き出し、抱えていた本を床に置いた。ここはちょうど一階だ。すぐそこの窓から外に出れば多少暴れても平気なくらいのスペースはある。
「殴られるのはごめんですが、暴れたいなら付き合いますよ?」
 ルイは腰から下がっている剣に触れながら笑う。今のアドルバードに、その誘いを断る理由などなかった。





 普段の稽古とはほど遠い、力任せの打ち合いだ。怒りが殺気にも似ていて、周囲には緊迫した空気が満ちている。アドルバードの目もルイの目も、隙あらば相手の首を切ろうとするくらいの迫力があった。
 寒い夜空の下だというのに、二人とも上着を脱いでしまっている。それでも少し暑いと感じるくらいだった。時折吹く風が火照った身体には心地いい。
「な、んで! そんなに怒ってるんですか!」
 最初こそ無言で打ち合っていたが、それがしばらく続くとようやくルイが口を開いた。アドルバードはむすっとした顔のまま勢いよく剣を振るった。
「あの! レナンド王が! クズが! 最低だっていうことだ!」
「そんなこと、分かっていたようなもんじゃないですか!」
 ルイの言い分はまったく正しかった。東の荒野の数多の部族が国としてまとまらなかったのは、そのどの部族もが好戦的で一人の王のもとに集わなかったからだ。今回とて、あの国王が力づくで国にしたのだと聞く。それはつまり、正しく一人の王を慕って国がまとまったわけではないのだ。
「あんの野郎!」
 アドルバードは怒りに任せて剣を振り下ろした。あっさりとルイに弾かれる。
「レイが気に入ったらから寄こせと言いやがった!!」
 再び勢いよくアドルバードが剣を振るうと、今度はぽかんと口をあけたルイの剣が弾き飛ばされた。弧を描いて向こうへと落ちていく。
「…………はい?」
 呆然とするルイと、そのルイを睨みつけるアドルバード。二人から緊張した空気は消えていた。ただ驚きと、怒りがそこにあるだけ。
「ど、どういうことですか?」
「どうもこうもない。あの野郎俺を馬鹿にしているもんだから、レイも簡単に俺から奪えると思ってるんだろ」
 思い出すだけでも腹立たしい。自分を馬鹿にされるならまだいい、けれどレイにまで手を伸ばすと言うなら話は別だ。王子ではないただのアドルバードが守りたいのは、レイただ一人なのだから。
「……国王としては、少し軽率な人ですね」
 ルイがぽつりと呟いた。その時のルイの顔は、冷静で冷酷で、実に王族らしい顔をしている。随分と変わったものだな、とアドルバードは思った。
「それで、どうしたんです?」
「奪えるもんなら奪ってみろって言っておいた」
 きっぱりとアドルバードが答えると、途端にしんと静まり返った。ルイの目が笑っていない。血の繋がりはないのに、こういう時のルイはとてもレイに似ているのだとアドルバードは初めて知った。
「…………殴っていいですか」
 許可を求めながらルイは既に拳を作っていた。
「待て! なんで俺が殴られるんだよ! 殴りたいのはレナンド王だろ!?」
「レナンド王もですが、今は猛烈にアドル様を殴りたいです」
「なんで!?」
 ルイの本気の目を見ながら、アドルバードは何故こんなことになっているのかさっぱり分からなかった。
 振り上げられた拳が自分に迫ってきて、アドルバードは目を瞑った。しかし痛みと衝撃がいつまでもやってこない。
「……あなたはどれだけ馬鹿なんですか。相手に火をつけてどうするんです。それで振り回される姉さんはどうなるんです? あの人は、あなたと共にありたくて必要のない苦労も努力もしているのに」
 目を開けると、拳はアドルバードの鼻先で止まっていた。冷やかな声と夜風がアドルバードの身体に染みる。
「この際だから言わせてもらいますけどね、あなたは勝手すぎます。自分のことばかりで姉さんのことを第一に考えていない。奪えるもんなら奪ってみせろ? 婚約者だからって姉さんを自分の物のように扱わないでください」
 ――ちがう、という言葉はアドルバードの口から紡がれなかった。違う? 違うのだろうか? アドルバードはいつだって守りたいのはレイだけだ。大切で大好きな彼女だけだ。自分の物だなんて――思っていない、と言えば嘘になる。
 レイは俺の物だ。昔も今も。騎士として、婚約者として、自分の物だと、言い聞かせた。そうでもしないといつか誰かに奪われそうな気がして怖かったから。


「アドル様!?」


 沈黙の下りたその場に、驚きを含んだ声が響いた。
 アドルバードもルイも驚いて声のした方を見る。そこには今まさに話の中心になっていたレイがいた。
「ルイ、何をしてる?」
 拳を突きつけたままだった、とそのセリフで思い出す。睨むように問いただすレイに、ルイは「なんでもないですよ」と笑った。
「帰りが遅いと思ったら、二人で何をしているんですか。それにアドル様、まだ晩餐会の時間では……」
「そ、それは――」
 素直に答えることができなくて、しどろもどろに口籠もる。その時、こつこつとすぐ傍の廊下を歩く足音が聞こえて、アドルバードはハッとした。放り出していた上着を引っ張って、レイの頭からすっぽりと包んでしまう。
「ア、アドル様?」
「いいから!」
 通り過ぎていったのはただの女官だった。ほっと安堵しながらもレイを解放しなかった。もし、またあのレナンド王が彼女を見たら――いや、あの男の目にレイが映ることすら許せそうにない。
「隠しても無駄でしょう、アドル様。離宮に戻りながら説明しましょう」
 アドルバードの奇行にも驚かず、ルイはため息を零しながらそう促した。
「……何かしでかしたんですね?」
 ちらりと顔を出したレイが呆れたようにアドルバードを見る。しでかした、と言われるのは不本意だが、しでかしたと言えばしでかしたのかもしれない。いろいろな意味で。
「とにかく、離宮へ戻ろう。あれだけあんまり出ないでくれって言ったのに、どうして早速出歩いてるんだよ……」
「今は晩餐会の時間ですから。普通ならレナンド王にも遭遇しないでしょう? この上着は離宮までそのままですか?」
「そのまま」
 アドルバードが即答すると、レイが困ったように眉を寄せる。
「用心しすぎですよ」
「……しすぎなくらいでちょうどいいんだよ」



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