可憐な王子の結婚行進曲
37:不様に負けたら承知しないから
急遽開催されることになった武闘会の当日は、見事な快晴だった。
「こんな組み合わせ、作為しか感じない……!」
苦虫を噛み潰したような顔で、アドルバードは低く唸った。参加者は二十名ほどいる中、くじ引きにより無作為に試合の相手は決められた。勝ち上がり戦だ。
「まぁ、陛下が手を加えたのだとすれば、こうするでしょうねぇ……」
対戦表を見上げながら、ルイはぼんやりと呟く。この組み合わせだと、レナンド王とは決勝まで行かなければ対戦できない。しかも、その決勝の前にルイとぶつかるのだ。
それよりも問題なのは。
「このままだとレイがレナンド王をぶっ潰すだろ……!」
なんともまぁ上手い具合に組み合わせが出来上がり、準決勝まで勝ち進んだ場合、レイとレナンド王が対戦になるのだ。
「いいんじゃないですか? もらうやらないの前に、本人に完敗してしまえば」
「それはそうかもしれないけど、このままだとレイが決勝まで行くだろ……」
むさ苦しい戦いの場に花を、という建前があるのにも関わらず、その花が優勝してしまったら笑い話にもならない――というか男の面目が立たない。
「あ、ちなみに俺も負ける気はありませんから。姉弟で決勝戦というのも面白そうですし」
バウアー家の剣の評判もあがるでしょうしね、とルイがにっこりと微笑みながら言う。
「俺だって負けるつもりはないからな」
静かに火花を散らしていると、背後からうわぁという間抜けな声が聞こえる。振り返ると、セオラスがこちらを見て苦笑いを零していた。
「なんか場違いなとこに来た感じですかね? 俺」
「いや、まぁ……おまえも参加するのか?」
否定できない状況だけに言葉を濁しつつ、アドルバードが問いかけると、セオラスは素直に頷いた。
「そりゃあまぁ、面白そうですし。騎士団でノリのいい連中はわりと参加していますよ。まぁ誰が優勝するか賭けている奴らもいますけど」
「へぇ……」
「ちなみに一番人気は姐さんで、次点がルイです」
「なんでだよ!」
いや妥当な気はするけれども!
「ダークホースとして殿下かあのレナンド王ですねー。俺ら二人の実力は知っていますし、あの剣聖の子どもっていうのも大きいところですよ」
「それはどうも、と言っておくべきなんですかね……」
微妙な表情を浮かべながらルイは呟く。だから、おまえが剣聖になれ。ついこの間レイに言われた言葉を思い出して、気を引き締める。剣聖は、ハウゼンランドの剣。誰にも負けてはならない。
「……なぁ、ところで、この組み合わせだとおまえレイと当たるんじゃないのか?」
対戦表を見上げてアドルバードが呟くと、セオラスは途端に顔色を変えた。
「まじっすか!?」
「あ、本当ですね」
ルイも対戦表を確認して頷く。セオラスは頭を抱えて唸り始めた。
「うわー……俺もう不戦敗でいいです。ひっさびさに姐さんと手合わせとか死ねます」
「……そんなにか?」
アドルバードもレイと幾度となく剣を交えて稽古しているが、それほどまでに嫌な相手だろうか? 勝てるかどうかは別として。
「試合の時の姐さん、殿下はあんまり知らないでしょう」
セオラスがアドルバードを見上げて問う。アドルバードは首を傾げながら記憶を掘り起こし――そういえば、見たことがないかもしれないな、と思った。
「見れば分かりますよ。あの人容赦ないっすから。まさにあの人の娘だなって感じ」
そんな馬鹿な、という呟きは、レイの第一戦を観戦した瞬間に消え失せた。
「勝者! レイ・バウアー!」
審判の声が高々とその場に響いた。
容赦がない、というのはまさにその通りだ。試合開始数秒後にはレイが相手の剣を弾き飛ばしている。戦いというにはあまりにもあっけなく、そして戦う相手としては女に一瞬にして負けるという屈辱が待っている。他には瞬く間に首筋に剣を突きつけられていたり――とにかく、試合にならない。
「……なるほど」
「何がなるほどなんです?」
アドルバードは苦笑しながら呟くと、戻ってきたレイの耳に届いていたらしい。
「容赦ないな、おまえ。少しは試合らしくやり合えばいいのに」
「力比べになって困るのは私ですから。すぐに終わらせてしまう方が楽です」
これは稽古ではありませんしね、とレイは答えアドルバードの隣に腰を下ろした。曲りなりにも王子とその婚約者であるので、観覧席は特別席を用意されている。ルイや、つまらなさげにしているリノルアースも一緒だ。
「あらールイも勝ち進んでいるわねー。これいつ終わるのかしら、つまらない」
顔だけは完璧な笑顔を作りつつ、リノルアースの口からはどうでもよさそうな言葉が零れていた。二か所の試合会場で、それぞれ試合が進められている、ちょうどルイの試合も終わったところだった。
勝者、ヴィルハザード様。そう叫ぶ声に、なんとも言えない顔をしてルイが戻ってくる。婚約者らしくリノルアースはタオルを持って出迎えるが――それも『仲の良い』二人をアピールしているに過ぎない。本来ならばタオルを投げつけてくれるだけでマシだ。
「さっさと負けてくれればこうしてタオルを持っていく手間が省けるんだけど?」
「いや、さすがにわざと負けるのは……」
花も蕩けるような笑顔を浮かべながらも悪態つくリノルアースに、ルイは困ったように笑う。ルイの額から流れる汗を拭いながら、リノルアースはにっこりと詰め寄る。
「当たり前でしょう、不様に負けたら承知しないから」
低く呟かれたその言葉に、ルイはリノルアースなりの激励を感じ取って笑った。
その後も試合は順調に続き、レナンド王も勝ち進んでいた。荒い剣ですね、とレイが静かに呟いているのを、アドルバードは聞いた。セオラスはわずかに健闘したものの――レイに敗れた。
そして並んで、アドルバードとルイ、そしてレナンド王とレイの試合が始まる。
正直な話、隣で始まる試合が気にならないといえば嘘になる。
アドルバードは目の前に立つルイを見ながら、内心では気が気でなかった。しかし相手がそれを許すはずもない。
「よそ見とは余裕ですね、アドルバード様」
いつもよりも心なしか低いルイの声。そして、アドルバード、と略さず呼ばれたことに気が引き締まった。
「お義兄様と呼んでくれてもいいんだけど?」
「俺に勝ったら、そうさせてもらいます」
冗談めかした会話も、いつもと違ってひんやりとしている。
開始の合図と共に、剣と剣がぶつかった。
――重い。
一撃一撃が、重い。アドルバードは歯を食いしばってルイの剣を受け止めた。背が伸び、筋力もついたものの――ルイと比べて細身であるアドルバードは分が悪い。
キンッと音を立てて剣をはじき、距離を取る。しかし相手も――ルイもまた、獲物を捉えた獣のような目でアドルバードを見ていた。緑色の瞳が、いつもの穏やかさを消している。
ごくり、と唾を飲み込むと、アドルバードは剣を構えなおした。
負ける。本能が告げていた。勝てない相手だ、と。ぴりぴりとした空気がアドルバードの肌を刺激した。ルイは、目の前の敵は、殺気を滲ませてアドルバードを睨みつけているのだ。そう、試合ではない、これは、殺し合いなのだ。
ふっ、と息を吐き出すと踏み込む。剣を交えながら、アドルバードは呪文のように繰り返した。冷静に、冷静になれ。勝機を見つけろ。数少ない、ルイの剣筋の癖を思い出しながら剣を弾く。
次は。
すぐに振りおろされる剣を受け止め、アドルバードは姿勢を低くした。傍目には力で競り負けたように見えるが、ルイは受け止められるはずだった剣がふわりと浮き、動揺した。力を流された。
小ささを生かした戦いの方が、身にしみていることに苦笑を零し、アドルバードはその姿勢のまま、力の限りに剣を振った。キィインッという音と共に、剣が円を描いて弾き飛ぶ。
「勝負あり、だな」
にやりと笑ったアドルバードに、ルイはいつもの弱々しい顔で、小さく「はい」と答えた。
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