可憐な王子の結婚行進曲

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38:手加減は、しません


 勝者、アドルバード殿下。

 高らかな声が隣から響き渡り、レイはくすりと笑った。
「余裕だな」
 低い声が身近で聞こえ、レイは剣を弾く。距離をとって、真正面から男を――レナンド王を見据えた。
 余裕だな、なんて。
 あの人が勝ったのならば、私が負けるわけにはいかない。
「ええ、今、とても楽しいんです」
 ふわりと花のように微笑み、レイは剣を突き出す。心が躍るようだ。そう、この空気こそレイが馴染んでいたもの。剣はそこにあるのが当たり前のように手に馴染む。重さなんて感じない。これは、長い時をかけて自分の身体の一部としたのだから。
「いとしい婚約者が勝ったそうなので、私も負けるわけにはいきません」
 それは、凛とした声だった。

 とても、とても、楽しげな。



 はぁ、と息を吐き出して、アドルバードは隣で繰り広げられる試合を仰いだ。額からじわりと汗が噴き出してくる。
 長い銀の髪が、踊るように舞う。レナンド王と戦うレイの姿は、とてもうつくしく、そして異様だった。レナンド王はたくましい筋肉を持つ、大柄な男だ。それに対するレイは女性としては長身であるものの、並ぶととても小さく見える。
 しかし、剣を交えている様子を見ても、負けていない。それどころか――レイの方が優勢だった。
 笑みを浮かべながら剣を振るうレイの姿に見惚れているのはアドルバードだけかもしれない。レナンド王は、目の前の女に恐怖さえ覚えた。こんな女、確かにレナンドにはいない。こんな、うつくしく戦う、恐ろしい女。
 恐怖を感じると同時に、焦りのような思いが溢れだした。欲しい。この女が。この女が、自分に屈服する様を見たい。欲しい、欲しい、欲しい。
 レナンド王が剣を振り上げた瞬間、レイは微笑んだ。それは、見惚れるほどにうつくしい微笑みを。
 その大きな、レナンド王の剣が振り下ろされる前に――切っ先が、喉を捉える。
 時が止まった。
「――あなたの動きは、思っていた以上に読みやすい」
 レイが、小さく呟いた瞬間に、勝者を告げる声がその場に響き渡り歓声が場内を埋め尽くした。





 そしてこうなるわけか、とアドルバードは苦笑する。
 決勝は次期国王と、その婚約者。
 にっこりと微笑みを浮かべて剣を構えるレイを前に、アドルバードは「レイらしいな」と思った。ここ最近、見ることのなかった。レイはとても生き生きとしている。――そう、ガデニア砦での一件の時のようだ。
「負けるつもりはありませんよ、アドルバード様」
「それは、こっちだって」
 かちり、とレイが剣を構えなおした。その青い瞳が、凍てつくハウゼンランドの冬のように冷たい。騎士の目。
「手加減は、しません」
 そこに、恋人としての甘さはない。

 容赦がない、という本当の言葉の意味を知った。

 ああ、敵にするとやりにくい相手だ。こちらの手をすべて読まれているように、先んじて動かれる。そのくせ相手は焦りを感じさせないくらいに冷静に微笑みを浮かべているのだ。
 だが、ここで焦ってしまえば自滅するだけだ。ルイとの試合の時と同じように、何度も繰り返した。冷静になれ、アドルバード。おまえはここで恋人に負けるつもりか、と。
 レイがこちらの行動を読むのなら、こっちも読めばいい。レイのことは、誰よりも――世界中の、誰よりも、知っている。
 芯が強いことも、実は強がりなところがあることも、我慢ばかりして本音を隠す癖があること、それでも、自分にはわずかに本心を見せてくれていると。
 そして彼女に勝つのなら、少しでも試合を長引かせることが必要だ。体力勝負となれば、勝機も見える。
 剣がぶつかり合い、普段なら力比べとなるところでわざと引いた。わずかにレイの表情が揺れる。予想が外れた、とでも言いたげに。いつもの行動パターンが読まれるのならば、いつもとは違う行動をすればいい。それだけで、彼女を翻弄することは出来るはずだ。
 レイは素早く決着をつけようとする。ならばこちらはそれを防ぐように行動する。傍から見ると、それはとてもじれったいような試合だった。どちらも、決定打に欠ける。ましてレイの動きは今までの鮮やかな試合ぶりから、精彩を欠いているようにも見えるだろう。
「婚約者同士だ、やりにくいんだろう……」
 誰かがそうぽつりと漏らしていたが、それは違った。
 どちらも、紛れもなく本気なのだ。そこに恋とか愛とかは関係ない。レイは純粋に剣を振るうことのできる時間を楽しんでいるし、アドルバードもまた、緊張感ある試合を満喫していた。レイとこんな風に剣を交えるのは、初めてだ。
 騎士であった頃の彼女なら、間違いなく、戦わずに負けを認める。本当はレイの方が強くても。主と戦うことはできない、と。
 だから稽古ではなく、一対一でやりあえる今はとても新鮮で、眩しくて、満ちたりている。歓声なんて耳には入らない。お互いに、お互いの呼吸だけに耳を澄ませて剣を振るう。
 ――アドルバードにしか分からないような、そんな、小さな変化だ。
 レイが疲れを見せ始めた。それは、本当にわずかな違い。呼吸が少しだけ荒くなる。微笑みが陰る。
 今だ、とアドルバードは力の限りに剣を振り下ろす。レイはそれをしっかりと受け止めた。
 力で押し切れるはずだった。しかし、重なり合う剣の向こうで、レイは笑っている。

 しまった。

 アドルバードがそう感じとった時には遅かった。キィンッと音が鳴ったと思うと、アドルバードの握っていたはずの剣は吹き飛んでいた。何が起きたのかすぐに理解ができない。軽く剣が弾かれ、レイがまるでワルツを踊るようにまわり――そして、手が痺れていた。
 会場全体が、一瞬息を呑む。
 審判が一度頷き、そして勝者の名を叫んだ。


「勝者、レイ・バウアー!」



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