可憐な王子の結婚行進曲

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5:面倒なことが起きそうだよ



 慣れないことをしたせいだろうか、山のように溜まっていく書類に囲まれながらアドルバードは苦悩していた。
「もっと別のこと書けば良かった気がしてきた……いやでも今更歯の浮くようなこと書くのもっていうかそんなこと書いたら恥ずかしさで死ねる」
 だって言うだけならタダでも、手紙にしたら残ってしまうわけだし。日々口にしている恥ずかしいことは全て棚に上げた発言だということに本人はまるで気づいていない。
 そんなものを後々の自分が見た日には穴に入っても湧き上がる羞恥心を消すことはできなくなるんだろう。それが容易に想像できたからあまり当たり障りのないことを書いたのだが――。


「だ――!! もう過ぎたことだ! 知るか仕事仕事!!」


 いつまでも悩んでいるのは性に合わないし、と羽根ペンを持ち上げてサインを書きこんでいく。
 気持ちを切り替えてしばらくした頃、コンコンと扉を叩く音がした。
「どうぞ」
 短く答えると、扉を壊すのではないかという勢いで一人の男が駆け込んできた。
 刈り上げられた短い茶髪、その髪の色に似た薄茶の瞳の男には、アドルバードも覚えがあった。
「……ダン、だよな? どうした、そんなに慌てて」
 駆けこんできた青年――ダンは騎士団の青年だったはず。今は各地との連絡係を務めていたような気がするが。
「ア、アドルバード様」
 空気が違うのがアドルバードにも分かった。
 気真面目なダンがロクな挨拶もなくただ混乱しているなんて、そうあることではない。
「何があった」
 短く問うと、ダンは握り締めていた書をアドルバードに差し出す。急いで来たのだろう。息は途切れ途切れだ。
 書を受け取って、すぐに目を通す。




 はぁ、とため息を吐き出して、アドルバードは顔を覆う。
 息を切らしているダンに飲み物を持ってくるように侍女に頼み、アドルバードは執務で乱れていた衣類を整える。
「おまえは少し休んでいてくれ。俺は少し出てくる」
 労うようにダンの肩を軽く叩き、アドルバードは部屋を出る。
 たった今届けられた書に記されていたことを国王へ伝えるために。


 ――レイ。
 面倒なことが起きそうだよ。


 胸の中で恋人に呼びかけながら、アドルバードは苦笑した。











 レイの朝は早い。
 もとより早かった騎士の頃と変わらぬ時間に起きなければならないのは、身支度にそれだけ時間がかかるようになってしまったからだ。
「さてお嬢様、今日はどの色のドレスになさいます?」
 にこにこと上機嫌でクローゼットからドレスを選び出すマーサを見ながら、レイははぁ、とため息を吐き出す。正直な話、めんどくさい。
「マーサの好きなものでいい」
 おざなりな回答を出すと、マーサがにっこりと笑って薄紅色のドレスを目の前に突き出してくる。
「ではこれでもいいんですか? お嬢様」
 そんなものいつの間に用意したんだとレイは顔を青くしながら首を横に振った。リノルアースと違って社交界に顔を出していた頃からピンクやらオレンジやら――可愛らしい色のドレスに袖を通したことなんてない。
「まったく、お嬢様も少しはこういったことに関心を持っていただかなくては! もう騎士ではないのですからね」
「……分かってる」
 返事が苛立ったようになってしまったのは仕方ない。剣を手放すという選択は、随分前から分かっていたことだ。
 マーサには心の中の不満が伝わってしまったのだろう、苦笑されて、少し伸びた髪を優しく梳かれる。
「殿下は、お嬢様から剣を取り上げるような方ではないでしょう? 少しの辛抱ですよ」
 分かってる。そう答えることすら馬鹿みたいな気がした。
 アドルバードはもとよりレイから何かを奪い取るような存在ではない。むしろたくさんのものを与えてくれる人だ。今剣を遠ざけているのは――黙っていない周囲を納得させるまでだ。
 貴族の令嬢として必要最低限の作法は身につけている。もちろん騎士として教育も受けた。けれどそれは『一国の妃』になる為のものではない。今のレイに足りないものは、たぶんアドルバード以上にあるだろう。
 アドルバードは十八歳の誕生日を境に、正式な王位継承者となった。王子と呼ばれていた頃からそれは当り前のことではあったが――国王陛下が正式に、次の国王に任命した。だからこそ彼にも課される仕事が増えたのだ。必然的に民はアドルバードを殿下と呼ぶようになった。
「お嬢様は少し肩の力を抜いた方がよろしいですよ。まったく、勉強に熱心なのは良いことですけど、教師の方々がもう教えることはないと匙を投げてばかりだと聞いておりますよ?」
「……短期間で学ぶことはいくらでもあるのだから、早く習得するに越したことはないだろう」
「限度があります。その熱心さを少しでも殿下に分けてあげてくださいな。恋人に会えなくて今頃泣いていらっしゃるかもしれませんよ?」
 十八歳になった一国の王子に向かって何を言ってるんだ、とレイは苦笑する。マーサの中ではいつまでも自分達は子どものままなんだろうな、と。








 支度を済ませ城へ行くと、急遽今日の授業がなくなった。
 曰く、『もう教えるべきことは教えました』と。
 またマーサに叱られるだろうか、と思いながら足は自然とアドルバードの部屋へと向かった。午後受ける予定になっている授業までは時間がある。昨日少し冷たくしすぎたかもしれないと、思っていなくもない。
 自分らしくない言い訳を繰り返しながら歩いていれば、すぐに部屋の前まで辿りつく。
 今更緊張することもないだろうと、コンコン、とノックするが、返事はない。
「アドル様?」
 いないのだろうか、と呼びかけると、室内からはどたばたと騒がしい音が聞こえる。もしかしたらノックも声も聞こえていないのかもしれない。
 自己判断で扉を開ける。




「アドル様? 何か――」


 部屋の中は悲惨な有様だった。
「ぅえ!? レイ!? なんでここにっていうか動くな危ないからそこらへんに今いろいろ置いてて――ってうぅわ!」
 何か荷物やら書類やら普段の服やら剣やら。とにかくこれはどうやったら昨日から今日まででここまで散らかせるのか、というくらいに物が散乱していた。注意した本人のアドルバード自身が転びかけるくらいに。
「アドル様? これは一体どういうことですか?」
 呆れながら問いかけると、アドルバードは物を飛び越えつつレイの傍までやって来る。
「ちょっと急ぎでガデニア砦まで行くことになって。準備とかしつつ仕事しつついろいろやっていたら……一晩でこの状態に」
「ガデニア砦に? 昨日の早馬で何か――」
 騎士だった頃の癖でつい先を聞いてしまった。はっとして手で口を塞ぐが、もう遅い。重要機密であれば、アドルバードはレイに話すことはできないのだ。
「数日前から定期連絡が途絶えてるらしいから、様子見に行くだけだよ。一応あそこ俺の領地だし」
 にっこりと笑いながらアドルバードは言う。いつの間にかアドルバードの腕がレイを包み込んでいて、本人は満足そうににこにことしていた。
「…………急ぎじゃないんですか?」
「急ぐから、充電しておこうかと」
 迎えが来るまで、と言いながらアドルバードはこつんとレイと額を合わせる。身長が数センチしか変わらない今となっては、この体勢はかなり近い。
「アドル様」
 たしなめるように名前を呼んだのにも関わらず、久々に邪魔者のいない二人きりの状況にアドルバードはご満悦だ。
 これは何を言っても無駄みたいだな、とレイはため息を零す。




 なんだかんだで自分もこの人には甘いな、と苦笑するしかない。







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