可憐な王子の結婚行進曲

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6:おまえの命は他の命よりも重い

 ガデニア砦との定期連絡が途絶えた。


 その知らせを見たアドルバードはため息を零した。
 ガデニア砦はハウゼンランドの東にある国境付近の砦だ。ハウゼンランドの東は小国がある程度で、高野には多数の部族が国を持たずに生活している。部族同士での争いは後を絶たず、それゆえにハウゼンランドも常に警戒している国境だ。
 しかも近年は一つの部族が勢力を増していると聞く。その勢いは近隣の小国を脅かすほどだというから穏やかではない。
 昼と夜、定時の連絡がなかった。それは間違いなく異常だ。
 王都から馬を急がせたとして、ガデニア砦までは三日かかる。アドルバードが今から出発したところで異変からは既に一週間経過してしまうことになる。
 事は国防にも関わる。
 だからこそアドルバードはすぐに父のもとへと向かったのだ。









 執務室の椅子に座った国王陛下は、書類を見たまま息子の顔をちらりとも見ずに、一通りアドルバードの説明を聞いた後で「ふーん」と呟いた。
「……なので! 俺はガデニア砦に急ぎ向かいます。いいですね!?」
 やる気があるのかないのかまるで分からない父の反応に苛立ちながらもアドルバードは結論を下す。
「そりゃあ、あそこはおまえの領地だからね。責任はおまえにある。一日に一度は定期連絡をすること。あと護衛はつけてね。一応王子様だし」
 聞いていないように見えてちゃっかり聞いている父にさらに苛立ちながら「分かってます!」と答える。
「レイは連れてっちゃ駄目だから、ね? 彼女ほど有能な護衛がいないのは分かるけどさ。ディークも王都を空けるわけにはいかないから、騎士団で腕っ節が強いの一人持っていくといい」
「改めて言われなくても分かってますって!」
 レイはもう騎士団の人間ではない。アドルバードとの剣の誓いが反故にされたわけではないが、彼女は騎士であるまえにもう『王子の婚約者』なのだ。以前と同じ扱いをしていたのでは彼女の名に傷がつく。
 まったく、信用されていないのか、と思いながら踵を返すと、「アドルバード」と真剣な声で呼びとめられる。


「おまえは王子であるということを忘れないこと。おまえの命は他の命よりも重い。この国の将来を負うという意味でね」


「……分かってます」
 突然何を言い出すのだろう、と疑問に思いながらもアドルバードは答えた。
「……分かっているのならいいよ。気を付けていっておいで」
 父は穏やかに微笑みながら手を振る。
 首を傾げつつアドルバードは明朝には発ちます、と言い残して自室へと戻った。


 あーあ。これじゃあレイに会う暇はないよなー。
 せめて発つ前に一目会いたいんだけどなー。






 そんな願いが通じたのだろうか。
 準備もほとんど終え、ちらかった部屋の中で出立の時間を待つばかりとなった頃に彼女がやって来たのは。
「……アドル様」
 ぎゅーっと抱きしめて満足していると、何度目になるか――レイがたしなめるようにアドルバードの名前を呼ぶ。
 たしなめる意味以外にも少し困ったような響きまであるものだから――ああ、もう可愛いなぁ、と馬鹿っぷりを発揮するわけで。
 もう少し、と言いかけたところで部外者の咳払いが聞こえた。


「あー……お邪魔なのは重々承知の上なんですけどね。殿下、そろそろ出ないとやばいですよ」


 てっきり二人きりだと思っていただけに、大いに驚いてアドルバードはレイを解放した。レイがあまり驚いていないのは気配で察していたからなのだろう。
「セ、セオラス! 少しは空気読め空気!」
 顔を真っ赤にして騒ぎだすアドルバードに「すみません」と軽く答えている青年――セオラスは、レイもアドルバードも知っている騎士団の人間だ。短く切られた亜麻色の髪と意思の強そうな緑色の瞳が印象に残りやすい。
「これでも読んだんですよ。姐さんに怒られたくないし。姐さんの拳はかなりキツイっすから」
「その呼び方はやめろと何度も言ったと思うんだが」
 レイがはぁ、とため息を吐き出しながら呟く。
「だって騎士団の連中は皆こうでしょ? 今更直りませんて。んじゃ殿下お借りします」
「……セオラスが護衛なんですか」
 ちらりとアドルバードを見ながらレイが問う。彼女自身ディークが護衛につくとは思っていないだろう。
「ん? まぁ。ディークの推薦で」
「……父上の、ですか。私としては二人とも迂闊そうな気がするんですが」
 小さく呟きながら他の名を上げたレイにアドルバードもセオラスも「あれ?」と首を傾げる。
「レイさん? 迂闊って俺も含まれてる?」
「他に誰がいます?」
「姐さん? 俺も?」
「ある意味でおまえはアドル様より迂闊で馬鹿だと思うが」
 ざっくりと切られて二人胸を押さえる。切れ味は抜群だ。
「まぁ、腕は信用できますから。その点は納得できますけど。……二人とも、急ぎではないんですか?」
「……レイ。今まさに恋人が遠くへ行こうとしているのにそれはなんか寂しいっていうかさぁ……」
 しょんぼりとしたアドルバードの肩を叩きながらセオラスは笑う。あっさりと見送るレイの姿にアドルバードは泣きたくなる一方だ。
「姐さんが別れを惜しむってのはちょっと想像できないですよ、殿下」
「……いや、少し夢見てもいいんじゃないかなって」
 涙を流して、とまではいかなくても。少しくらい惜しんでくれても。
「アドルバード様? セオラス? 急ぎなんでしょう?」
 にっこりと微笑みながら再度問いかけてくるレイの顔は笑っているのに笑っていない。つまりは――怒ってる。


「…………ういっす」
「…………はい」


 二人そろって小さく返事をして、部屋から出ていく。
 レイは呆れた様子でその姿を見送りながら――無意識に口を開く。
「アドルバード様」
 それは勝手にその人の名前を紡いで。
「ん?」
 アドルバードは振り返りながら答える。青い瞳と目があって、自分でも何故呼びとめたんだろうと一瞬レイは固まった。
「あ……お気を付けて」
 言ってしまった後で間の抜けたセリフだな、と思った。
 それなのに、アドルバードは嬉しそうに笑う。
「いってきます。……なるべく、早く戻るから」
 手を振りながらアドルバードは急ぎ足で去っていく。
 昔よりも少しだけ頼りがいある背中に、レイは少しの間だけ魅入っていた。









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