可憐な王子の結婚行進曲

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7:でも、レイじゃない



「ひどいと思わない? アドルってば可愛い妹の私には挨拶のひとつもなかったのよ!?」


 アドルバードが発ってすぐ――時間を持て余していたレイはリノルアースに捕まった。
 そして始まったのはアドルバードがいかに妹を蔑ろにしているかの愚痴だった。出立前に何もなかったのがよほどご立腹らしい。
「仕方ないですよ、緊急だったんですから。本当は分かっているのにそうやって形だけは怒るんですよね」
 ルイが紅茶を飲みながら呆れて呟く。直後に「いたっ」とルイが声を上げたのはテーブルの下でリノルアースに足でも踏まれたからだろう。
「レイには話す時間があって私に会う時間はないっての!?」
 がちゃん、と音をたててカップをテーブルに置くと、リノルアースはぶつぶつと愚痴を続ける。
「話したといっても、私がたまたまアドル様の部屋に来たからであって、あの様子では私にも何も言わずに行くつもりだったようですが」
「結果論よ! どうせ短い間にいちゃこらしたんでしょう!」
 可愛い妹に一言伝言でもあって然るべきよ! とリノルアースの怒りは収まりそうにない。帰ってきたらアドルバードは一発殴られるだろう。ブラコンのリノルアースとしては数日とはいえ兄に会えなくなるのだから――少しでも何かあって欲しかったのだ、とレイもルイも理解している。






「……ガデニア砦って」
 しばらく愚痴を続けたリノルアースは、ぽつりと口を開いた。
「東の国境にある砦です。アドル様の領地ですよ」
 レイが答えると、リノルアースはふと考え込んでからまた口を開いた。
「大丈夫なのかしら? 最近の東の情勢は穏やかではないでしょう? 部族をまとめて国を作ったとか作らないとか」
「東の高野の、ですか? 国が出来たという話はまだ正式に聞いた覚えはありませんけど」
 ルイが首を傾げながら呟いた。長く南国のアヴィラへと行っていた彼はハウゼンランド周辺の情報には少し疎くなっているだろう。
「噂ではある程度の形になりつつあるとか――周辺の小国はかなり警戒しているようです。ハウゼンランドにも及ばない程度の小国では勢いに飲み込まれても不思議ではないですからね。東の大国は様子見のようです」
 レイがするりと立ち上がり、棚から地図を取り出した。
 北の山脈から中央の砂漠にいたるまでの土地はハウゼンランドのものだ。国土こそはそこそこある国だと地図上では分かる。そのハウゼンランドの三倍以上あるのがアルシザス。さらに大陸の南半分を占める大国がアヴィランテ。ハウゼンランドと並ぶ程度の小国がいくつか西にあり、中央砂漠を隔てた東に大国シン。シンとハウゼンランドの間には荒れた高野が広がり、数年前までは遊牧を生業とする部族と小さな小さな国がいくつかあった。


「ガデニア砦は国境という意味もあり定期連絡を欠かすことはありません。常駐の騎士はせいぜい二十人いるかいないか程度ですが」
「その程度なの?」
 国防の要なのでは、という驚きがリノルアースの口から漏れる。
「東側からの侵略の可能性はかなり低いですから。シンがハウゼンランドを手に入れても得るものもない。かつ周辺の小国では勝負にもならない。部族ならばさらに、です。部族が結束して国を為そうとしても――まずは小国を攻め、国土を広めるでしょう。その情報が王都に届くまで一日かかりませんから」
 情報だけならばすぐに届く。そしてその情報が入ればすぐにでも砦を強化できる――だからこそ、普段から多くの人員は割かない。
「まして今は、アルシザスとアヴィランテと友好関係を結んでいます。ハウゼンランドに仕掛ければ南から挟まれ、勝ち目がないのが見えていますからね。しばらく戦争という心配はありませんよ」
 レイの言葉を飲み込んで、リノルアースは「そうね」と小さく呟いた。
 ハウゼンランドはもはや弱小国ではなないと言えるだろう。数年前までなら考えることも出来なかった話だ。
「……護衛もついています。アドル様も王子として踏み込むべきところと、踏み込まざるところは理解しているはずですから」
 大丈夫ですよ、とレイは淡く微笑んだ。
「でも、レイじゃないもの」
 リノルアースはむすっとした顔で紅茶を飲む。
「……はい?」
 ルイが意味が分からないとでも言いたげに首を傾げる。今度は肘でわき腹を殴られた。
「実際ね、アドルを完全に制御できるのってレイだけだもの。護衛がレイじゃないっていう点でものすごく不安。アドルってけっこう無謀だし」
 その無謀さを、レイが補っていたんだけど。
 二人でいるのが当たり前だった頃の話を、苛立たしげに呟くリノルアースにレイは苦笑するしかなかった。
「……もう騎士ではありませんから。婚約者という立場上、控えるしかありません」
「分かってるわよ! ……分かってるわ」
 はぁ、と重いため息を吐き出しながらリノルアースは窓の向こうを見つめた。


「無茶しなきゃいいけど」


 心配ならそう言えばいいじゃないですか、と殴られた腹をさすりながらルイが呟くが、幸いにしてリノルアースの耳には届いていないようだ。婚約者より兄の方が気にかかって仕方ないらしい。
「……いっそ俺が様子見に行きますか」
「ルイ。おまえももう以前と同じ立場じゃないことを理解しろ」
 立ち上がって行動しかねない弟を制止ながらレイが呆れたように呟く。まさかアヴィランテの皇子を危険かもしれない場所へ行かせるわけにはいかない。


「…………不自由ですね」


 それは自分の状況に対する言葉なのか、ここにいる全ての人間に当てはまる言葉なのか――どちらでも当たりのような気がして、ルイの呟きにレイは黙るしかなかった。







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