グリンワーズの災厄の乙女


 こっちよ、と連れていかれた部屋の中で、私は未だかつて着たことのないひらひらのドレスに、困り果てて立ち尽くす。
 深い緑色のドレスはシンプルだけどスカートの部分がこれでもかというくらいに膨らんでいる。膝と同じくらいまでのスカートに、華奢な黒い靴、髪は三つ編みにしたあとに結い上げられ、ドレスと同じ色のリボンで飾られた。繊細なレースをどこかにひっかけて壊してしまいそうだ。
 私に薄くお化粧を施して、ラナさんは満足そうに頷いた。
「うん、完成よ。ばっちり可愛くなったわ」
 ほら、と大きな鏡の前に立たされて映る人が一瞬自分だと認識できなかった。お化粧なんてやり方は知らないし、こんな綺麗なドレスを着たこともない。鏡の中できょとんと私を見つめ返してくるのは別人のようだ。
「レギオンに見せてやりましょう、ね?」
 そう言いながら、ラナさんは連れ出した時と同じくらいのはしゃぎぶりで部屋から私を連れて行く。大広間の扉を開けると、そこには先ほどまではいなかった男の人達の姿があった。部屋に一歩足を踏み入れた瞬間に、男の人たちから値踏みするような視線がこちらに集まった。
 嫌な目だな、と眉を顰める。
「レギオン、どう? 可愛いでしょう?」
 レギオンの前まで真っ直ぐにラナさんは私を連れて行き、私の肩に手を置きながらレギオンに問う。
「……化けたな」
 一瞬レギオンは言葉に詰まって、その後で振り絞るように呟いた。
「ちょっとそれだけ?」
 不満そうなラナさんにレギオンは少し苛立ちながら立ち上がる。
「馬鹿か、やり過ぎだろう! 周りを見ろ周りを!」
 レギオンは私に聞こえないように声を潜めているつもりのようだけど、ちゃんと聞こえていた。似合わないだろうか、と自分の着る服をまたまじまじと観察する。よく分からない。
「あのねぇ、さっきの格好でも充分目立つわよ? ちゃんと自分のだって主張しておけばいいじゃない」
「そういう問題か!」
 たくっと苛立ちを隠さないままレギオンはどかりとソファに座る。大広間にはあちこちにソファとテーブルがあるだけで、それ以外は大きな時計が一つ、その部屋の主のように存在している。
「マリーツィア」
 呼ばれて顔を上げると、レギオンが隣をぽんぽんと叩きながらこちらを見ている。
 大人しく隣に座ると、レギオンがこちらをじっと見ていた。
「……なに?」
 似合わない? と問おうとして止めた。肯定されるとたぶん、傷つく、気がする。
「いや、化粧もしたのか?」
 レギオンが手の甲で頬に触れながら問いかけてくる。至近距離で目が合って何故か心臓が痛くなった。
「わ、わかんないけど、たぶんちょっと」
 そうか、とレギオンは微笑んでいた。その顔に何となく居たたまれなくて思わず俯く。そして周囲からの視線が止んでいることに気づいた。
「そういう格好も似合うな」
 ぽん、と頭を撫でてレギオンが呟く。褒めてもらえて嬉しいはずなのに、どうしてか恥ずかしくて顔が上げられなかった。
 しばらくレギオンと雑談を続け、周囲を見ていると綺麗に着飾ったお姉さん達はやってきた男性とどこかへと消えていくようだった。
 どこに行っているの、とレギオンに問おうとして止めた。なんとなく「聞くな」と言われている気がした。
 会話も途切れ、夜も更けていき、眠くなった私はレギオンの肩にもたれながらうとうとしていたのだろう。
「マリーツィア」
 優しい声が降ってきて、ぼんやりとした頭で「うん?」と答える。
「眠いんだろ。部屋に戻れ」
 呆れたような、そんな声でレギオンは言う。眠い目をこすりながら「レギオンは?」と問う。
「俺はまだいる。むしろこれからが問題だからな」
 剣に触れながらそう言うレギオンを見て、首を傾げる。起きている間は周囲の様子を見ていたが――剣を持ち出すようなことはなさそうなのに、と思った。
「おや、その子まだいたのかい。早く部屋に戻しな」
 マダムがどこからかやって来た。その子というのは間違いなく私のことなのだろう。どうして皆が私に「戻れ」と言うのか分からなかった。
「でも」
 まだここにいたい、と続けようとすると、大広間の入口で大きな音が響いた。花の生けてあった花瓶が割れたようだ。
 きゃあ、と女の人の悲鳴が何人分も大広間に響き渡る。
「始まったか」
 ふぅ、とレギオンがため息を零して剣を持つ。
「な、何?」
 入口の花瓶は勝手に倒れるわけがない。入口で何やら騒いでいる男性が倒したのだ。もう何を言っているのか分からないほどの奇声だが、「なんで」「どこにいる」「早く出せ」――そんなことを叫んでいるようだった。
「マダム、そいつを頼む」
 そう言い残してレギオンは剣を抜いた。勘だけどたぶん本当に剣を使うことはないんだと思う。
「レギオン」
 追いかけようとすると、くいっと腕を引かれる。振り返るとマダムが私の腕を掴んでいた。
「いくんじゃないよ、怪我でもしたらどうするんだい」
「でも、レギオンが」
 怪我の心配をするようなことなら、なおさらレギオンから離れるのは不安だ。剣の腕は確かなようだけれど、私はまだレギオンが本気で剣を振るうところを見たことはない。怪我をしないという保証なんてない。
「あれの心配は必要ないよ。この程度のことで怪我するような男じゃないさ」
 マダムは優しく微笑んで私の胸の中にあった不安を見事に言い当ててしまう。
「それよりむしろ、あんたを向こうに行かせるとあいつに叱られるのは私だからねぇ。でもまぁ、随分と過保護だこと」
 苦笑しながらこちらを見つめる瞳には、何かを探るような気配がある。その瞳の底知れなさに、何故か身体が震えた。
「あんた、あれとどういう関係なんだい?」
 問われて、答えられなかった。
 射抜くような瞳は、今まで接してきたことがない。森の中にいた頃、これほど強く私を見つめてくる人間なんていなかった。直視されることがこんなにも圧力のあることだと知らない私は、ただ何か言葉を探すけれど、何も思い浮かばない。
 私とレギオンの関係を問われても、明確な名前がない。
 家族ではない、友人とも違う。まして恋人ではない。
 ただお互いの傷を抉り、手当てをして――私は差し出された救いに縋るようにその手をとった。
「わ、たし……」
「マダム! これはどうする!?」
 何かを紡ごうとして開かれた声は、レギオンの叫び声で遮られた。
 はっとして向こうを見れば、レギオンは床に転がる男を縛りつけているとことだった。怪我ひとつないその様子にほっとする。
「そこらへんに放り投げときな!」
 マダムの言う通りに暴れた男を放りだしたレギオンは剣を肩にかけながら戻ってくる。そういう姿を見ると、やっぱり騎士だったんだな、と実感する。
「どうした」
 マダムの問いが頭の中で何度も何度も響いていたからだろうか、たぶん私は変な顔をしていたのだろう。私の顔を見るなりレギオンが端的に問いかけてくる。
「なんでも、ないよ? お疲れ様」
 少し無理をして微笑むと、レギオンは訝しげに眉を寄せる。
 ああ、嘘の笑いは得意だったはずなんだけど、と心の中で苦笑した。いつからレギオンには通用しなくなってしまったんだろう。それほど長い間一緒にいたわけでもないのに。
「……そろそろ部屋に戻れ」
 しかしレギオンはこれ以上の追及はしない。
 そこが彼の優しさで甘さなんだろう。いつもそうやって私を甘やかしている気がする。そして問いただすべき時には強引に口を開かせるくせに。
 まだここにいたい。レギオンの傍にいたい。
 でもたぶん、この願いは聞き届けてくれない類のものだ。ここは強引に連れ戻されるだろう。
「じゃあ、戻る。レギオンも早く戻って来てね?」
「ああ」
 優しく頭を撫でられてほっとする。そのまま二階に向かおうとすると、レギオンが背後で舌打ちをしたのが聞こえた。
「?」
 どうしたんだろうと振り返ると、レギオンがこちらに近づいてくる。
「部屋まで送る」
「……え? でも、すぐそこだよ?」
「いいから」
 そう言ってレギオンは私の肩を抱き寄せた。どうしたんだろうとただ疑問符を浮かべてレギオンを見上げる。
 すぐに部屋に着くと、レギオンはまるで放り投げるみたいに私を部屋の中に押し込む。
「いいか、すぐに鍵をかけろ。俺以外の人間には扉を開けるな。さっさと寝ろ」
 そう言うだけ言って、レギオンは扉を閉める。しかし扉の向こうからは立ち去る気配がしない。たぶん私が鍵を閉めるのを確認するまではそうしているつもりなのだろう。
 仕方なく扉の鍵を閉めると、向こう側でレギオンが去っていく気配がする。
 鍵なんて閉めなければ良かっただろうか、と心の中で思いながらベッドに横になる。たぶんいつまでも鍵を閉めずにいたらレギオンは怒って扉を開けただろうけれど。
 ふかふかとしたベッドに横になったまま、そういえば髪やドレスはどうしようと思いだす。ドレスはなんとか脱げると思うけど、髪は自分では解けないかもしれない。
 まぁいいか、とそのままベッドの上でうつらうつらとまどろむ。

 ――あんた、あれとどういう関係なんだい?

 眠りに落ちようとする私の脳裏に、マダムの声が蘇る。
 知らない。
 関係なんて、そんな確かなものはない。
 ただ、傍にいるだけ。たった、それだけ。
 ねぇ、ただ傍にいるだけなのに、理由が必要なの?

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