グリンワーズの災厄の乙女


 レギオンが寝てから二時間ほど経った頃だろうか。こんこん、と扉が誰かの訪れを告げる。
「あ、と……」
 立ち上がって扉を開けようとして、留まる。
 誰であろうと扉を開けるな、そんなことをレギオンに言われていた気がする。言った本人は部屋にいるものの寝ているし、かといって宿の人を無視するわけにもいかないだろう。
 そう悩んでいると、扉の向こうから明るい声が聞こえた。
「あれ? まだ寝ている?」
 声の主はラナさんだ。
「起きています」
 咄嗟に答えてしまって、さらにどうしようと自分で自分を窮地に追い込んでしまった気がする。
「あら。もしかして警戒しているの? レギオンはまだ寝ているのね」
 ラナさんは気分を害した様子もなく、くすくすと笑って「過保護ね」と呟いた。
「あの――」
 どんな用だろうと口を開くと、肩を引かれて後ろに下がる。
「なんだ。まだ朝だろうが」
 見上げればそこにはまだ少し眠そうなレギオンが立っていた。話し声で起こしてしまったようだ。
「ごめん、起こした?」
「気にすんな。もともと眠りは浅いんだよ」
 くしゃ、と髪を撫でられてレギオンは寝不足を感じさせないしっかりした足取りで扉まで向かう。鍵を開けて、わずかに開けた隙間からはラナさんの顔が見えた。
「お熱いこと。朝ごはんはこっちに運んだ方がいいのかしら?」
「ああ、頼む」
 レギオンはまるで自分の身体を盾にして室内を――私をラナさんの視界に入れないようにしているようだ。どうしてだろうと思いながら首を傾げる。
「マリー。もっと質素な服を持ってきたから、そっちに着替えなさいね」
 ラナさんはまるで気にしていないようで、姿が見えていないだろう私に親切に声をかける。
「はい。ありがとうございます」
「お礼を言われることじゃないわ」
 素直にお礼を言った私に、ラナさんは苦笑したように応えた。
 着替えを受け取ったレギオンは一度扉を閉めて私のもとまで戻ってくる。ラナさんが持ってきた着替えを手渡してすぐに扉へと向かう。
「朝飯持ってくる。その間に着替えていろよ」
 そう言いながらレギオンは鍵を持って行った。どうやら私が中から鍵をかけるのは心配らしい。それにしても朝ごはんを持ってくるだけの短い間なら、そこまで気にすることはないだろうにとため息を吐く。
 着替えはやはりドレスだったけれど、今着たままのドレスと比べると質素だった。四苦八苦しながらドレスを脱ぎ捨て、飾りの少ない新しいドレスに袖を通す。腰についた大きな造花と、リボンがふわりふわりと揺れていた。


「起きているのかい」
 ふぅ、と息をついた時だった。
 扉の向こうからマダムの声が聞こえて立ち上がる。
「はい。……あの?」
 昨晩のやり取りのせいか、少しマダムには苦手意識がある。
 そうして警戒しているのがそのまま声に出てしまったのだろうか、マダムが扉の向こうで苦笑したのが分かった。
「扉は開けなくていいよ。まだ危ないだろうしね」
「……危ないって」
 レギオンといいマダムといい、何が危ないというのだろうと首を傾げた。ここが普通の宿屋でないことは分かる。けれどどう身に危険が及ぶかなんて私にはちっとも分からなかった。
「ああ、やっぱり分かってないんだね。あんたは」
 マダムの声が少しだけ柔らかくなる。その奥でどこか寂しさすら感じさせるような声に、私は居心地が悪くなった。
 どういう意味の言葉なんだろうと、疑問を抱かずにはいられなくなる。人との付き合い方というものを学ぶことなくここまで成長してしまった私には、少ない言葉からその人の感情を読み取ることがひどく難しい。
「ここはね、女達が男に夢を見せる店だよ。……身体を使ってね」
「……?」
 抽象的な表現に首を傾げる。その気配が外にも伝わったのだろうか。マダムが苦笑したようだった。

「――娼婦、って言えば分かるかい?」

 しょうふ。
 言葉を呑んだ。
 その単語は、どこかで聞いたことのある気がして――それでもそれが何なのかは具体的には分からなくて。それでも自嘲気味に、そしてどこか嫌悪するように呟かれたマダムの言葉に、それが普通の世界のものではないのだと知る。
 あの閉ざされた森と同じ――明るい表の世界からは遠ざけられた存在。
 ただ黙りこむ私をよそに、マダムは言葉を続けた。
 その言葉達はどこか攻撃性を持って私の脳まで届き、ただ沈黙する私に容赦なく降り注いだ。

 ああ、やっぱりあの森は私の鳥籠だった。
 あの小さな世界は私を閉じ込めておきながらも、外界の世界から私を守っていたのだ。私は「外」の汚さを知らない。その汚れが意味するものも。

「……そろそろ気づいたんじゃないかい? この店には、あんたに似た子が多いだろう」
 静かに問いかけてくるマダムの声に、意識が戻った。
 最初に感じた違和感。
 白っぽい髪に、緑色に近い瞳の人々。町ではあまり目にしないその色彩は、ここに溢れていた。
「災厄の乙女に似ている。それだけの理由でね、あの子達は優先的にこういう世界に送られるんだよ。口減らしにしても、何にしてもね」
「でも」
 災厄の乙女はもう九年も前に捕まっている。災厄の乙女と呼ばれたのは、他でもない私なのに。
「災厄の乙女かどうかなんてどうでもいい話なんだよ。災いの象徴に似ている。それだけで人から嫌われる理由になるには充分なんだ」
 どうして、と知らず知らずに呟いていた。
 その託宣すら、全部偽りなのに。
 私という存在だけが罪を背負うことで、何もかも解決されるはずだったのに。
 それなのにこの国は「災厄の乙女」に連なる女性を疎む。
「……あんたは根が純粋なんだろう。世の汚さを知らない。まるでその髪のように真っ白なんだ」
 マダムが静かに呟いた。

 だから、あんまりここにいちゃいけないよ。


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