グリンワーズの災厄の乙女


 ラナさんえ

 おげんき ですか。わたしは げんきです。
 おうと ではとてもありがとうございました。いっぱいいっぱい かんしゃ しています。
 レギオン におしえてもらって、じ をかけるようになりましたが、まだまだヘタです。
 よみにくかたら ごめんなさい。
 これからも まちにいるときはラナさんに てがみを かきたいとおもいます。
 いまはおうとの となりのとなりくらいの まちにいます。
 いま レギオン とはけんかしてます。
 ぜったいぜったいレギオンが わるい です。わたしわるくないです。





 振り返ると、フードを深くかぶっている少女の口元だけが見えた。不機嫌そうに口を引き結んでいる。いつもは隣を並んで歩くところを、黙り込んで後ろをついてくるだけなのは、無言の反抗のつもりなのだろう。知らないうちに距離があいているのに気づいていちいち速度を落とすこちらの身にもなってほしい。
 王都を発ち、今は国外に出るために国境を目指していた。王都を出たばかりの頃は嬉しそうに笑って「どこへ行く?」なんて聞いて来たくせに、今は俺の声になんて少しも反応しないとでも言いたげに無愛想を隠さない。
「マリーツィア」
 仕方なくこちらが折れて声をかけても、マリーツィアは返事をしない。ちらりと見える口元はむっつりと閉ざされたままだ。
「……何がそんなに気に入らないんだ。俺の都合であって、おまえは関係ないだろう」
 彼女の不機嫌の原因を思い出して、俺はため息を吐き出した。今日はこのまま野宿になる。誰もいない二人きりの状態で、この沈黙が続くと正直居心地も悪い。
「関係なくないっ!」
 マリーツィアは噛みつくように顔をあげた。その拍子にかぶっていたフードがばさりと落ちる。
 肩に届かない程度に切りそろえられた、真っ白の髪。こちらを射抜くように見つめてくる瞳は深い森の緑。災厄の乙女と呼ばれたその容姿は、見た目だけには可憐に映る。
「私は絶対に嫌だからね! 絶対に絶対に嫌だからね!」
 しかしその可憐な見た目とは裏腹に、内に抱えるものは意外に苛烈で頑固だということは、おそらく俺くらいしか知らないだろう。
「だから――どうしておまえが俺の故郷に行く必要がある」
 はぁ、と重たいため息を吐き出して問う。
 彼女がずっと黙り込んでいた不機嫌の理由は、本当に些細なものだった。――少なくとも、俺にとっては。



 王都を出てすぐ、マリーツィアは俺を見上げて問うた。
「これからどこに行くの?」
 と。
 だから俺は素直に答えただけだ。
「すぐに国から出る」
 彼女が災厄の乙女と呼ばれる存在だということも、本物だと知らない人間からもその容姿は迫害しかされないということも知っていたからこその結論だった。王都では物騒な事件に遭遇したばかりだったし、すぐ出立できるよう必要な準備もほとんど揃えた。
「……すぐに?」
「ああ、出来るだけ早く。国を出ればおまえもずっとフードをかぶっている必要はなくなるしな」
 首を傾げて問う彼女に、俺は頷きながらその頭を撫でた。しかし彼女の瞳は不満げに揺れる。
「……国を出たら、もう帰って来ないんだよね?」
 今さらすぎる問いに、俺は頷いた。そもそもこの国は彼女にとって帰る場所ではない。俺にとっても、このまま去ったところでなんの未練もない場所だった。
「じゃあ……レギオンの故郷には寄らないの?」
 それは、予想外の言葉だった。
 だから俺は返す言葉を探すのに時間がかかった。マリーツィアは不満げな――そして少し悲しそうな目で俺を見る。
「もう戻らないなら、ちゃんとさよならしなきゃダメだよね?」
「……別れを告げるような人間は、俺の故郷にはいない」
 たった一人の肉親だった妹を亡くしたことも、マリーツィアには話した。妹が――ヒルダが死んだ、殺された原因が『災厄の乙女』で、それで村人とも疎遠になっている。ヒルダはあの村そのものに殺されたといっても過言ではないから。
「でも、妹さんはいるんでしょう?」
 故郷に。あの場所に。マリーツィアの瞳は言葉以上のものを俺に告げていた。眠っている。死んでいる。そういう意味合いのはずなのに、どこか優しい言い回しに俺は戸惑った。目の前の少女がそんな気遣いをするはずがないと思っていたからだろうか。
「ならちゃんとさよならしなきゃ、ダメだよ。それに私も挨拶したい。妹さんに、ごめんなさいとありがとうを言いたい」
「おまえが謝ることはない」
 暴かれたくない痛い場所を、優しく開かれているような気分だった。少し乱暴にマリーツィアの言葉に答えると、彼女は気にした様子もなく首を横に振った。
「ううん。レギオンを連れていくから、ごめんなさいとありがとう。私は妹さんの死に責任は持てないけど、大事なお兄さんを盗っちゃうから」
 素直なその言葉に、また胸が痛くなった。
 おまえが俺を連れていくんじゃないだろう。俺がおまえを、あの森から連れ出したんだ。あんな場所で死を待つだけの人生を送らせたくなくて。もっと別の生き方を教えてやりたくて。俺のエゴで、おまえの世界を壊した。おまえを守る箱庭を破った。だからその分俺の一生がおまえの為に使われていくのは、当然のことだと思った。それで良いとも。
「……必要ない。ヒルダは、そんな風に思わないだろうから」
 苦笑しようとして、上手く笑えないことに気づいた。誤魔化すようにまたマリーツィアの頭を撫でる。
「妹さんがとかじゃなくて、私がそうしたいの。それにレギオンにもちゃんとさよならして欲しい。あとで後悔するようなことはないように」
 動揺している俺とは違い、マリーツィアは何の迷いもない目で俺を見てきた。
 ああ、もうこれは簡単に折れない目だ。頑固な彼女がこれと決めたことは、そう簡単に覆してはくれない。
 だが俺も負けを認めたくはなかった。
 さよならなんて必要ない。ヒルダはもう死んでしまって、あそこにあるのはただの亡骸だけだ。……そう言い訳して、俺はただあの村に行きたくないだけなのかもしれない。
 良い思い出さえも霞んでしまうような記憶しかない。冷たくなったヒルダが横たわる、あの光景だけで、しあわせな記憶なんて掻き消えてしまう。まして、あの村にマリーツィアを連れていくことの方が嫌だった。災厄の乙女を忘れられないあの村にマリーツィアが姿を現わせば、村人の心中は穏やかではないだろう。もしかしたら危害を加えられるかもしれない。
 そんな危険性を考えれば、行かないという選択は正しいものにしか感じなかった。

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