グリンワーズの災厄の乙女






 グリンワーズの森での寂しく騒々しかった日々から一年が経とうとしている。
 また、春が巡ってきた。あの森はまだ肌寒いのだろう。それでもたぶんあちらこちらに色とりどりの花が咲いているんだろう。どこか懐かしい香りを漂わせながら。
「レギオン」
 新しい団員のしごきに行こうかと剣を片手に歩いていると、馴染みの騎士団長に話しかけられた。
「あ、お久しぶりです」
 若干姿勢を正して頭を下げる。堅苦しいな、と団長は笑って気軽に声をかけてくれた。この人の気安い感じが若い騎士達から人気を集めている理由だろう。
「今の仕事にも慣れたようだな……ところで、おまえ」
 後半で笑顔が消えた。声のトーンも低くなる。その空気の変化を感じ取って、逃げたい衝動にもかられた。
「何を嗅ぎまわっているんだ?」
 空気が凍りつくほどに固まった。
 さすが騎士団をまとめあげる男だけあるな、と俺は父親ほど年の離れている団長を見上げる。この人になら話してもいいだろう、と俺は口を開いた。
「……災厄の乙女について、ちょっと」
 口に出して、自分でも苦笑してしまった。
 なんて未練たらしいのだろう。彼女は必要ないと俺を拒絶したのに、あの森を去っても俺はまだあの少女を見捨てられずにいる。
 この一年、王都に戻ってからは仕事の合間に情報を集めた。九年前――もう十年前になる託宣について。
「あの塔に行かせたからか」
 団長は少し責任を感じさせてしまったのだろうか――いえ、と小さく答える。
「性格なんです、たぶん」
 あの塔にいて、彼女を無視できなかったのも、憎しみを強めることができなかったのも――関係ない今でも、忘れることができないのも。
「むしろ憎んでいたはずの相手を、この手で殺すことも出来ず、まして憐れんでいるなんて」
 情けない話ですね、と笑うと団長は苦笑した。
「それは、憐れみだけか?」
 わずかにからかうような響きのあるその言葉に、思わず顔を顰めた。
「冗談やめてください。相手は十も下の小娘ですよ」
 可愛らしい外見に似合わず、中身がかなり強烈な。
「別に問題ないだろ、俺と家内は八つ歳が離れているぞ」
 予想もしない話の転がり方に少し動揺した。どうしてこんな話になったんだろうと振り返っていると、団長が距離を詰めてきた。
「……大神官に面会を求めたそうだな」
 団長が声を潜めたのは、あまり周囲に聞かれたくない話だからだろう。ただ一度小さく頷いた。
 本当は、王都に戻ってからすぐに、大神官へ面会を求めた。しかし遥か上の人でもあるし、多忙な人でもある。何度も求めてやっとこのたび面会の機会が与えられたというわけだ。
 部屋にはこの一年で集めた情報がある。
 そう多くは必要なかった。災厄の乙女とは何なのか。辿り着いた答えは大神官が握っている。



 神殿へ行くと、案内役の人間に奥へと通された。
 清浄な空気といえばいいのだろうか、神殿という建物自体が土地を浄化しているような気がする。
 大きな扉の前まで来ると、案内役がそのまま扉を開けてくれる。随分丁重な扱いだな、と慣れない行動に苦笑する。
「失礼します」
 一礼して部屋に入ると、上等なソファに厳格そうな男性が座っている。遠目には年老いた印象があったが、間近で見えるとそうでもないらしい。五、六十代といったところだろうか。
「初めまして、ですね」
 柔和な微笑を浮かべる男性は、どこかに芯の強さを感じさせる。
「以前から面会希望のお話は伺っていましたが――この私に、どのようなお話が?」
 出された紅茶に手をつけずに、まっすぐに大神官を見て話す。
「――災厄の乙女について、です」
 ぴた、と大神官の動きが止まった。
 その動きを見逃さずに、話を続けた。
「十年前『災厄の乙女来たり』――そう託宣を下したのはあなたですよね?」
 複数のとらえ方の出来る言い方だったと思う。相手によれば、ごく普通に神からの託宣を大神官が受け取り、公表したとも――あるいは託宣そのものを大神官が下したようにも聞こえるだろう。
 調べていると、簡単にマリーツィアの故郷のことが分かった。そうなれば暇を見てそこへ行くことも出来る。そこで、幼い彼女と彼女の親についても話を聞くことができた。
 彼女の母親は結婚せず、マリーツィアを生んだということも。
 じっと大神官の顔を見つめる。顔色が悪い気がするのは、たぶん気のせいじゃないんだろう。
「彼女は、誰を恨むでもなく、ただ自分の死を願っていました」
 目の前の男性からは大神官という厳格な雰囲気が消えていた。ぽつぽつと語る俺の声に怯えているようにも思える。
「俺が出会った時はまだ十四歳でした。文字を読むこともできず、自分の名前すら覚えていなかった。周囲から存在を否定され、それでも逃げることもできずにあの森に閉じ込められていた」
 声の調子が強くなってしまうのは仕方ないと思った。話せば話すほど、あの森の情景が戻って来る。夜半に聞こえるあの子守唄も。広場に横たわる冷たい妹の姿を。
「俺の妹は災厄の乙女と疑われ、村人に殴り殺されました。まだ、八歳だった」
 大神官はただ俯いて、俺の言葉を受け止めていた。
 一瞬だけ沈黙が落ち、ごくりと唾を飲み込んだ。唇が渇いている。

「――すべて、あなたの罪です」

 静かすぎる部屋に、大して大きくない声は驚くほどよく響いた。
 この一年で調べ上げたことは、多くはない。
 マリーツィアの故郷に、ちょうど十六年前大神官――当時は大神官ではなく、神官の地位だったはず――がやって来たと。
 そこで一人の村娘と恋に落ちたと。
 それは手に入れるにはそう難しいことではなかった。村人はまさか村にやって来た神官が大神官にまで出世していることは知らなかったし、王都から来てわざわざそんなことを聞く人間もいなかった。
 災厄の乙女は、大神官が作り出した大きな嘘だ。
「……『災厄の乙女来たり。白き肌、白き髪にして深緑の瞳をもつ乙女、この国に災厄をもたらすだろう』あなたは十年前にそう託宣を騙った。実際にどういう災厄なのかは一切語らなかった。語る内容がなかったからだ」
 ただこのままでは国が危うくなる、それくらいのことしか言わなかったのだろう。大神官による託宣は尾ひれがついて国中に広がった。災厄の乙女はいつしか生まれながらにして大罪人のように語れるようになってしまったのだ。
「……神官の身で、妻帯は許されていない。あの村でのことは、一時の気の迷いだと思っていた。まさか、彼女が身籠っていて、娘を産んでいたなんて知らなかったがね」
 自分の罪を懺悔するかのように、大神官は静かに語り始めた。
「もう……十年前になるのか。彼女の親が私のもとへやって来てね、一枚の写真を突き出して、養育費を要求されたんだ。その時になって初めて娘の存在を知った。大神官としての地位を手に入れていたから、本当に焦った」
 やって来た親はそれなりの額を渡して帰し、そして考え抜いた末に――娘を殺してしまおうと、そう語る大神官は、本来その地位にいてはいけないのだろう。
「しかし実際に娘の顔を見たら殺すことなんて出来ず――結局、神を騙ってあの子をグリンワーズの森へと閉じ込めた」
 マリーツィアは何も知らない真実だ。
 彼女は自分が本当に『災厄の乙女』かもしれないと、悩んで苦しんで生きてきたというのに、それはたった一人の人間が作り出した嘘だった。
 本当なら、母親と静かに村で暮らせていたというのに。
「私は、あの子を苦しめてしまったのか」
 大神官の言葉に苛立ちだけが募る。
 そもそもこの男が――神の託宣など作り上げなければ、ヒルダもマリーツィアも陽だまりの中でのびのびと成長しただろうに。
「……あなたに大神官たる資格はありませんよ」
 怒りは自然と口に出た。大神官は苦笑いを浮かべて、そうだろうねと呟く。
 来た頃には感じていたこの場の神聖ささえ、今の俺には感じられなかった。


「一つ、頼まれてくれないか。グリンワーズの森へ行って欲しい」
 帰る間際になって、大神官の口からそう乞われた。
「あの子が、まだ死を求めているというのなら――望みどおりにして欲しい。もはやあの子は、この王国で普通の人生は歩めない」
 人々から忘れ去られようと――記憶の奥底に『災厄の乙女』は眠っている。
 その原因を作りだしたのは自分だというのに、慈悲を与えるつもりで彼女を殺すように俺に頼むのか。
「あなたは、人として最低ですね」
 しかし大神官は俺の言葉に動じる様子はない。苦笑しながらしっかりと俺を見ている。
「……ご心配なく。言われなくても、そのつもりです」
 そう答え、退室しようと立ち上がる。案内役の人間が慌てて駆けつけてきたが、帰りは不要だと言ってそのまま出口へ向かう。
 大神官がまだ何か言いたげだったことに気づいていたが、俺は気づかないふりを続けて立ち去る。
 そこにいるのは王国の偉い大神官などではなく、ただの一人の男だった。
 自分の娘一人も救えない、無力な。

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