グリンワーズの希望の種




 ――災厄の乙女来たり、白き髪に深緑の瞳を持つ娘、この国に災いをもたらすだろう。
 そんな託宣が下されたのは、もう随分と前のこと。





 古い塔の中にまで外の冷たい空気が入り込んでくる。塔の外には容赦ない寒波が迫ってきていた。
「カイル」
 片割れの弟の名前を呼びながら寒さを耐える。二人抱きしめ合うようにして寄り添って、いつも寒さも寂しさも耐えてきた。
「ねぇ、アリア。暖炉の火をつける?」
 カイルの提案に「ダメ」と首を横に振った。雪が降りだす前に――冬がくるまえに集められた薪の数は多くない。もう何度も凍える夜を越えて、薪は頼りないほどの数しか残っていない。森の春はまだ遠い。夜になればもっと寒くなるのだから、昼間のうちから薪を使うわけにはいかないのだ。
 毛布にくるまって、二人で肩を寄せ合う。震えながら、遠い春を待ち望んでいた。


 ここは、グリンワーズの迷いの森の奥にある、さびれた古い塔。
 かつて「災厄の乙女」と呼ばれる少女が幽閉されていたのだという。それもどれほど昔のことなのか、私が知る術はない。
 この森の奥に住んでいた「災厄の乙女」がどんな災いをもたらしたのかは定かではなかった。農作物の不作が続いても、突然の嵐に襲われても――その不幸は全て災厄の乙女が起こした災いだと言われている。
 私は揺れる自分の白い髪を見てため息を吐いた。
 そして隣で震えるカイルの髪も、同じように白い。
 同じ時にこの世に生を受けた私達は、真っ白な髪を持っていた。カイルの瞳は緑、私の瞳は青い。もしこれが逆だったら――私が緑色の瞳を持って生まれてきたのなら――災厄の乙女の再来と、今以上の迫害を受けていたんだろう。
 小さな頃から私達を守ってくれた母はもういない。守ってくれる人のいなくなった村を捨て、罵声を浴びせる人々に怯えて、私達を忌避する人々から逃げて、私達はこの森まで彷徨い辿り着いた。
 蔦の這うその塔にはまるで人気がなく、もう何十年も誰も住んでいないようだった。深緑の木々に囲われ、ひっそりと、しかしその存在を主張するようにそこにある。

 ――ここに、災厄の乙女がいた。
 そしてここでその人は死んだのだろう。
 その人生は満ち足りていたのだろうか。孤独のままで一生を終えたのだろうか。分からないけれど、街で住めない私達二人にとって、この塔はまるで神様に与えられた終着点のように感じた。


 ふと、隣に寄り添うカイルの熱に眉を寄せた。
「……カイル?」
 ――熱かった。弱々しい息を吐きながら、カイルはぐったりとしている。
「カイル!」
 慌てて自分の被っていた毛布をカイルにかける。熱が高い。風邪をひいてしまったのか、それとも重い病気だろうか。非力な私達には、風邪ですら命取りなのに。
「……アリア」
 大丈夫だよとでも言いたげにカイルが微笑む。その弱り切った表情に涙腺が緩んだ。お母さんが死んだときとおんなじ顔をしていた。
 ぎゅ、と唇を噛みしめて外へ行く。外の井戸へ行って水を汲んで――そして暖炉に火を入れよう。先のことなんて考えている余裕はない。この先どんなに寒い夜が来たとしても我慢するから。

 だから神様。お願いです。もう何も奪わないで。

 涙を堪えて扉を開けると、緑と白だけの景色に違う色があった。
「――――?」
 雪で真っ白に染まる空き地の真ん中に、その人は立っていた。
「……驚いたな。こんなところに人が住んでるなんて」
 私やカイルよりもずっと年上の――たぶん二十代前半くらいの青年は、荷物を抱えながら私を見て笑った。その笑顔は今まで向けられたもののどれとも違っている。蔑むものでも、疎むものでも、馬鹿にするものでもない。
「こんにちは、かな」
 マントのフードを脱ぐと、彼の金色の綺麗な髪が日に照らされてきらきらしていた。深い――この森の緑よりもずっと深い緑色の瞳は、真っ直ぐに私を見ている。
 思わず見惚れたのは一瞬で、無視してすぐに井戸で水を汲んで塔の中に駆け込む。どんなに優しそうな人でも、信用することなんてできない。まして、こんな森の中にやってきた人を。私は暖炉の前でぐったりとしているカイルの額に濡れたタオル置いた。
 すぐに暖炉の火をつけようと、マッチを握る。急いでいるせいか、手がかじかんでいるせいか、うまく火がつかない。
 焦れば焦るほど上手くいかずに唇を噛みしめていると、私の手からマッチを奪って瞬く間に暖炉に火をつけてしまった人がいた。
「ごめんね。勝手にお邪魔した」
 そう言いながら私にマッチを返すのは、先ほどの塔の外で会った青年だ。その青年は床で毛布にくるまるカイルを見て「……風邪かな」と呟く。
「か、関係ないでしょう」
 何が目的だろう。カイルに近づこうとする青年の前に立ち塞がって見上げながら睨む。
「あなた、だれですか」
 声が震えてしまったことを情けなく思いながら、それでも気持ちだけは負けないようにと睨み続けた。
「……大丈夫、怖がらなくていいよ。怪しい人間じゃない。少なくとも、君達の容姿に偏見は持たない」
 やんわりと、優しく告げられた声。張りつめていた緊張が緩んだ。この人の目は、嘘を言っているようには見えない。綺麗な深い緑の瞳に、私は抵抗する気力も失せてしまった。
「とりあえず、そっちの子をベットまで運ぼうか。床じゃ冷えるからね」
 そう言ってから目線だけで「いい?」と問うているようだった。私の力ではカイルを運ぶことは出来ないから、大人しく頷く。
「一階の部屋でいいの?」
 またひとつ頷く。
 やけにこの塔の造りを知っているような口ぶりに首を傾げつつ、カイルを抱きかかえた青年の前を歩いて部屋まで案内した。
 この塔は広い。最上階はまるごと部屋になっていて、そして一階から三階までは小さな部屋が多くあった。予想でしかないけれど――たぶん最上階の部屋は「災厄の乙女」が使っていたのだろう。
 扉を開けると、青年は慎重にカイルをベッドに寝かせた。そしてすぐに暖炉に向かい火をつける。狭い部屋はすぐに暖かくなり始めた。

「君達は、いつからここにいるの?」
 突然の問いかけに、ベッドの傍に椅子を運んで看ていた私は振り返って青年を見た。青年は窓際に立ったままこちらを見ている。まだ少し警戒していることが伝わって、距離を置いてくれているのだろうか。
「冬になったばかりの頃から」
「……誰かに連れてこられたの?」
 さらに続いた問いに、無言で首を横に振った。すると青年はほっとしたように笑った。人売りか何かにでも連れてこられたかとでも思ったのだろう。
「自己紹介、まだだったね。俺はライナス。ずっと向こうの国から来た旅人ってとこかな」
「……旅人のわりには、詳しいのね」
 何に、とは言わなかった。
 ライナスというこの青年は、この国にも、災厄の乙女にも、この塔にも――詳しい気がした。遠い国からやって来た旅人というのが、嘘なのかは判断できない。
「そりゃあね、俺の両親はこの国出身だから」
 あまりにもさらりと答えられて、疑うことも馬鹿らしくなってきた。ただ黙ってライナスを見ていると、彼は優しく笑う。
「薬は、ないの?」
 ちらりと苦しそうなカイルを見てライナスは問う。
「……あると思う?」
 悔しさでライナスの顔を見ることが出来ずに呟く。
「君達が買い物するのは、大変だろうね。……ちょっと待って。荷物の中にあったかもしれない」
 そう言いながら広間に置いてきてしまった荷物を取りにライナスは出ていく。
 やっぱり、彼は知っているんだ。
 白い髪も、緑色の瞳も――この国では疎まれるものだったことを。


 薬を飲ませて、温かい部屋で寝かせるとカイルはすぐに良くなった。ただの風邪だったらしい。
 カイル自身、熱でうなされている間の曖昧な記憶があったらしい。看病してくれたライナスのことも覚えていたようだけど、最初は少し警戒していた。それも時間を重ねるごとに、ライナスに懐いた。もともとカイルは人懐っこいのだ。
 人々の視線に敏感な私達は、ライナスが向ける視線に敵意も嫌悪もないことに気づいた。そうして、ライナスが来てから十日ほどが経っていた。
「ライナス?」
 外でじっと向こうを見ている背中に声をかける。
「ああ、アリアか」
 振り返った彼は優しく微笑んだ。
「どうしたの? 寒いでしょう?」
 風邪ひくよ、と言うと「大丈夫」と笑う。白く染まっていく塔の前の空き地を見ながらライナスは黙りこんだ。
 彼の向ける視線は――地面に突き刺さった剣に注がれていた。
 それは私達がここに来た時から、否、たぶんもっとずっと前からあったのだろう。錆びついてボロボロになったその剣は、それでも何かを訴えるように雪を積もらせていく。
「あれはね、墓標なんだよ」
「……墓標?」
 あの下に、誰か眠ってるの? 問うと、ライナスはただ笑う。
「災厄の乙女が死んだ証。俺はそう聞いてる」
 誰に、とは何故か聞けなかった。ただライナスの深い緑色の瞳はどこか眩しそうに、切なそうに、その剣を見つめている。
 雪に閉ざされた森の中で剣はしっかりとその存在を主張するように、広い空き地に影を落とす。
「本当は、春になってからくる予定だったんだけど、予想外に早く着いたんだよ」
 雪に埋もれる森を見ながらライナスは微笑む。
「でも、それでアリアとカイルに出会えたんだから、これも運命だったのかな」
 じっと彼の話を聞いていた私をみて、彼は微笑む。目が合った瞬間に頬が熱くなった気がして、思わず俯いた。
「アリア、ライナス? 何してんの?」
 窓を開けてカイルが顔を出す。風邪ひくよ? と私がついさっき言ったものとまるで変わらない問いを繰り返す。
「少しぼんやりしてただけだよ。ね、アリア」
 そう言いながら微笑みかけられて、何故かまた頬が赤くなった。優しい笑顔が目に焼きつく。心臓がどくどくといつもより大きく鳴っていた。
「……ライナスは、もしかして災厄の乙女と知り合いなの?」
 じっと剣を見つめる彼に問いかけると「どうなのかな」という答えが返ってきた。あの剣が災厄の乙女の墓標だというのなら、その墓標を懐かしげに悲しげに――そしてどこか安堵したように見つめる彼は死を悼んでいるように見える。
「どうなのかなって……はっきりしないな。意味分からない」
 窓から顔を出したカイルが眉を顰めて呟く。ライナスに懐いているものの、素性の知れない彼に全てを許していないのは警戒心の強さ故だろうか。本当は全部預けてしまえるくらいに、甘えたいくせに。弟をそう評価してから、私もカイルと同じなのだと気づく。
「災厄の乙女については知ってる。あの剣がこの森にある理由も、災厄の乙女の真実も。……そうだな。春一番に花が咲いたら、二人にも教えてあげるよ」
 たぶんそれほど遠い話じゃないから。
 まだ雪の降り積もる外を見ながらライナスはひとつ、約束をした。


「アリア」
 夜も更けて部屋で休もうとする私の背を、カイルが呼びとめた。
 振り返れば身長差のないカイルの顔はすぐ傍にある。真っ白な髪は私と同じもの。真剣に私を見てくる瞳も形は違うけれど、生き写しのようにそっくりだ。
「どうしたの?」
 寝坊しても知らないよ、と姉らしい言葉をかけてもカイルの表情は緩まない。
「なぁ、ライナスのこと信じてもいいのかな?」
 ぐっと両肩を強く掴まれて、力だけは私と同じでなくなってしまったと思った。
「カイル?」
「俺達はまるでライナスのことを知らないんだ。何一つ。俺達信じていいのかな? 頼っていいのかな? ――信じて、頼った後に裏切られたりしないかな?」
 カイルの緑色の瞳が揺れていた。
 ああ、やっぱり私達は双子だね。いつだって思うことは一緒なんだ。
 不安で不安で仕方ない。ライナスの与えてくれる眼差しも、手のぬくもりも、本当に心地良いものだから子供のように縋りついて甘えてしまいたくなる。
 けれど私達は変貌する人々を知っている。
 人はいつでも悪魔になれる。
 汚物でも見るような眼差し。罵られる言葉。

 私達の故郷は、何十年も前の「災厄の乙女」の話なんてもう忘れ去られてしまうくらい、小さな小さな田舎の村だった。
 けれどある日。私達が五歳くらいのある日。村を訪れた都の人が、私達を指差して叫んだ。
 ――――災厄を呼ぶ子供、と。
 それから今まで優しかった村の人達は急変した。その言葉で、そしてその後に訪れた突然の嵐のせいで。私達は災いを呼ぶ双子なのだと蔑まれた。
 私達は、人と言う名の化け物を知っている。その化け物は簡単に手のひらを返す。
 だから人を信じなくなった。
 カイルとお母さんと私――たった三人だけの世界を、お母さんを失ってからはカイルと私の二人だけの世界を守っていれば良かった。私達の世界に私達以外は必要なくて、二人だけでいれば傷つくことも傷つけられることもなかった。
 だから怖い。
 ライナスが、いつか私達を突き放すようなことがあったら。そう不安に思うことはあるけれど。
「……私は、信じたいよ」
 カイルの緑色の瞳を見つめて、ただ正直な気持ちを言うしかなかった。
「…………俺だって、そう思うよ」
 カイルが泣きそうな顔でそうぽつりと呟いて、私の肩からそっと手を放す。そしてしばしの間黙り込んで――ふと何か気持ちを固めたように「おやすみ」と呟いて部屋へと戻って行った。


 私も今度こそ部屋に行こうとして――そして小さな歌声に気づいた。
 この塔にいる人間なんて私達以外にはライナスしかいない。
 歌声はこの塔の上から聞こえた。小さな小さな、そして優しい歌声だった。その声に導かれるように、私は階段を上り始めた。上に行けば行くほどその声は近付いていって――やがて最上階まで辿り着いて、その人を見つける。
 寒いのに窓を開けて、外に広がる星空を見ながらライナスは歌っていた。金色の髪がまるで星の光みたいにきらきら光っていた。眩しくて茫然と見つめていると、歌声が止んで深い緑色の瞳がこちらを見ていた。
「起こしちゃった?」
 そう言いながら微笑むライナスはやっぱり優しい目をしている。
 首を横に振ってから、おずおずと彼の傍に行く。隣に並ぶと「風邪ひくよ」と言って自分の着ていた上着を肩にかけてくれる。
「なに、してるの?」
 ぬくもりの残った上着にどきどきしながら、見上げて問う。
「歌ってた」
 くすくすと笑いながらライナスは答える。そうだけど、と言ってからそれに続く言葉がなくて困り果てる。
「母さんがよく歌ってた子守唄なんだ。もう身体に染み込むくらいね、歌ってたもんだから」
 無意識に覚えてるんだよね、と苦笑しながらライナスは窓を閉めた。
 部屋の主のいなくなった最上階の部屋にあるのは簡素な家具だけで、かつてここにいた人を思い起こさせるものは何一つない。埃をかぶったベットにライナスは躊躇いなく腰を下ろした。埃がつくのは嫌だなぁ、と躊躇して私はライナスの向かいに立つ。
「ライナスは、お母さん似?」
 優しい雰囲気のある人だからという単純な理由で問う。ライナスのお母さんなら、きっととっても優しい人なんだろうなと。
「いや、ほとんど父さん似」
 外見も中身もね、とライナスは否定する。予想外のことにへぇ、という曖昧な相槌しか出なかった。
「じゃあ、その金色の髪も?」
「うん、父譲り。見た目も良く似てるって言われるよ。母さんからもらったのは、目だけかな」
 そう言ってライナスは目を細める。
 深い深い、森の緑色。カイルの緑とも違う。
「綺麗だなって、思ってた」
 宝石みたいだよね、と言うと、ライナスは嬉しそうに笑う。
「母さんは残念がってたけどね」
「どうして?」
 自分に一つくらい似たところがある方が嬉しいんじゃないだろうか、と首を傾げる。
「父さんは紫色の目をしててね。母さんはそれがいたくお気に入りだから。他はそっくりなのにどうして目だけ違うの! なんて理不尽に怒られたこともあるくらいだ」
 肩を竦めながらライナスは笑って語る。
 つられてくすくす笑うと、ライナスがじっと見上げてくる。真っ直ぐな眼差しに心臓が大きく跳ねてどうすればいいのか分からなくなった。
「そろそろ寝た方がいい。子供は寝る時間だよ」
 優しい目でそう言われてしまっては逆らうことなんて出来ない。
 火照る頬の熱を意識しながらも俯いて、聞こえるか聞こえないか分からない小さな声で「おやすみ」と呟いた。
「……おやすみ、アリア」
 静かに呟かれたライナスの言葉はどこか儚げで、夜の闇に飲み込まれてしまいそうなほどに危うい。何かあったの、と問おうとして振り返るけど、そこにある優しい微笑みに何も言えなくなった。




 その夜夢を見た。
 私がいて、カイルがいて、そしてライナスがいた。
 当然のように一緒だった私達二人のところに突然訪れた彼は、当たり前みたいに私達に溶け込んでいた。
 日の光の下で、三人が幸せそうに笑う。
 それは、とても贅沢な夢だった。

 そして朝、目が覚めると。
 金色の髪の青年は、いなくなっていた。






「アリア」
 茫然とする私をカイルが優しく抱きしめる。
 夜の間に降り積もった雪は、彼がつけたであろう足跡もすべて消し去っていて。彼の荷物はもちろんなかった。まるでその存在が最初からなかったもののような感覚に、私は夢だったんじゃないかと思う。
「アリア」
 心配そうに名を呼ぶカイルに応えることも出来ない。
 ただ――ただ、彼がいたという証が欲しくて階段を駆け上った。私が夢見ていた幻なんかじゃないという証拠を見つけたかった。
 アリア! と叫ぶカイルを振り切って、最上階まで一息に駆け上がる。
 厚い埃を被ったその部屋の中で、ただ一か所――昨晩彼が腰を下ろしたベットの一部分だけが古さを忘れたように埃がなくなっている。
「…………ライナス?」
 彼は確かにここにいた。
 だけど、今はいない。

 これは裏切りなんだろうか。





 再びカイルと二人きりになった塔の中は、びっくりするほどに広かった。
 たった一人欠けただけなのに、その一人はたぶん私達の中で間違いなく大きな存在になりつつあったんだろう。
 雪は何度も降り積もり、そして徐々にその量を減らしていった。もうすぐ春になるんだな、と思いながら一つ約束を思い出す。
「ライナス」
 ぽつりと呟くと、同じ部屋の中で一人本を読んでいたカイルが顔を上げる。
「約束、したのにね」
 話してくれると。災厄の乙女の話――私達の知らない真実を。
 うっすらと降り積もった雪を見つめながら、その白さの中に毅然として地面に突き刺さる錆びた剣を眺める。
「……アリアは、信じてないんだ」
 ぱたん、と本を閉じる音がして、カイルの方を見るとカイルはどこか厳しい表情で私を見ていた。
「カイル?」
 首を傾げると、カイルはまるで睨むみたいな顔で私に詰め寄る。
「信じたいって、あの日言っていたのに。アリアは信じたいと願うばかりで信じていないんだ。信じて裏切られることに、怯えてるんだ」
 弱虫な私を咎めるようなカイルの声に怯えた。だって、という言い訳のような言葉が漏れて、カイルはますます眉間に皺を寄せる。
「約束したんだ。ライナスと。それが今では、何もかも全てだろ? 帰ってくるって、春一番の花が咲いた頃には戻ってくるって、どうして信じてやれないんだよ」
 カイルの緑色の瞳がライナスの瞳の深い緑を思い出させて心が揺れる。
「だって」
 揺れて揺れて――揺らぎ続けた胸の内が弾けた。
「だって! 信じても意味ないかもしれないじゃない! 約束を守ってくれるなんて保障はないかもしれないじゃない!」
 不安は言葉にしてしまうと重みを増した。苦しくて切なくて胸が痛い。
「強くなろうよ」
 カイルが私に手を差し伸べる。
 私の掌よりも大きくなったその手を見つめて、双子なのにいつまでも同じじゃないんだな、なんて当たり前のことを思った。
「信じないと、信じてもらえない。だから信じよう、アリア」
 もう俺達は二人きりの世界に閉じこもることは出来ないんだよ、と弟に諭されて涙が流れた。
 他人に傷つけられることを恐れて、私達はこの迷いの森に閉じこもった。
 アリア、ともう一度私の名前を呼ぶカイルを見つめて、不器用に笑いながら私は頷く。ほっとしたようにカイルが微笑むのを見て、私も何故かとても安堵した。

 穏やかな空気が部屋の中を包み込んだその時だった。

「…………に、……が……!」
 私とカイルは身を寄せ合って静かに息を潜めた。
 外から――塔の外から、人の声がした。しかも一人や二人じゃない。十数人はいそうな話し声と、足音。
「カイル」
 嫌な予感がした。
 不安になってカイルに寄り添うと、まるでカイルは私を守ろうとするみたいに支えて「大丈夫」と呟いてくれる。

 ここはグリンワーズの森。災厄の乙女の森。こんな場所に足を踏み入れる人間はいない。ましてこんな大勢がやってくるなんておかしい。
「隠れよう、アリア」
 そう言ってカイルは扉のすぐ傍に身を潜めた。
 声は徐々に近づいてきて、その集団が大人の男ばかりだということも感じさせる。私達がこの塔に住み始めたのは冬になったばかりの頃だ。バレたにしても早すぎる。
 もしかして――……ライナスが。
 想像したくない予想に、自然と気持ちは沈み込んだ。そんな私の空気を感じ取ったのだろうか、カイルが励ますように私の手を握り締めてくる。
「……だいじょうぶだよ」
 小声でそう囁いて微笑むと、カイルは満足気に頷く。

 ――次の瞬間には扉が大きな音をたてて開かれた。

「探せ! ここに災いを呼ぶ子供が――」
 塔になだれ込んできた男の人が叫ぶ。私達は開いたままの入口から息つく間もなく駆けだした。
「おい! あれだ!」
 背後で飛び交う大きな声に怯えながら、私とカイルは手を繋いで走った。上着も着ていない状態はすぐに身体が冷えていく。けれど足を止めることはできない。
「くそ! ちょこまかと!」
 すぐ後ろに差し迫った声に身を縮める。冷えた身体は上手く動かなくて、足がもつれ私は雪の積もった地面に向かって転んだ。
「アリア!」
「捕まえた――!」
 カイルの叫びと追っ手の男の声が重なった。もうダメだ、そう諦めかけた瞬間だった。

「誰の命令で動いてるんですか?」

 低い声が私と男の間に割って入った。抜き身の剣を片手に私を背にかばうように立つ青年は、日の光の下で彼の髪がきらきらと金色に輝いている。
「……ライナス?」
 目の前に立つ青年の名前を呟く。アリア、と言ってカイルが駆けよって来た。
「大神官ですか? それとも国王陛下ですか? 一市民からの通報ですか?」
 剣を構えるライナスはどこから見ても隙がない。突然の彼の登場に、私を捕えようとした男も戸惑うような顔をしていた。
 そして私達を追ってさらに人が集まる。その中で少し年をとった壮年の男性が人を割って前に歩み出た。
「おまえ、は……」
 男性は訝しげにライナスを見るけれど、ライナスはただ微笑み返すだけだ。
「あなたが騎士団長殿ですか」
 ライナスは微笑みながらも隙のない姿で、大勢の騎士を前にしてもまるで怯えずに続けた。
「その騎士団長がこんな小さな子供達相手に、そんなに大勢でどうしたというんですか」
 ライナスの問いに、騎士団長と呼ばれた男性は言葉に詰まった。迷いが瞳に表れている。
「なんの罪もない子供を捕えてどうするつもりだったんですか? ……過ちを、繰り返すおつもりですか」
 重たい沈黙が流れた。私達を捕まえようとした人達は一様に唇を噛みしめて俯いていた。その様子に、この人達も本意ではなかったのだと知る。
 その様子を見て、ライナスがため息を吐き出す。
「――この国はまるで変わっていない。間違いを間違いのままにして進んでしまった」
 そう言いながら剣を鞘にしまい、振りむいて私に微笑みかける。差し出された手に、私は迷うことなく手を重ねていた。

「災厄の乙女はいない。そして、これからも作りだしてはいけない」

 意味深な言葉を残してライナスは私の腕を引く。カイルは私の隣に並んで歩いた。
 騎士団の人達は、一人も私達を追って来なかった。




「ねぇ、今のなんだったの?」
 前を歩くライナスに問うと「うん?」と優しい声が返ってきた。
「たぶん、二人のことがどこからか伝わったんだろうね。その容姿であの塔にいるものだから、国のお偉いさんとかは気が気じゃなかったんだよ。だから捕まえてどうにかしようとしたんだろうね」
 災厄の乙女と呼ばれた少女のいた塔に、似た容姿の双子が住みついている。それは新たな推測を生むには充分な材料だったということだろうか。
「ライナスは、どこに行ってたの?」
「王都に行って、旅支度を整えてた」
 問うとすぐに答えが返ってきた。聞かれると彼も予想していたんだろう。よくよく見れば彼の手にはこの森にやってきた時よりも大きな荷物が握られていた。
「なぁ、これどこに向かってんの?」
「約束、したでしょ」
 カイルの問いにライナスは微笑みながら立ち止まった。しかしどこにも花なんて見つからない。そびえ立つ木はうっすらとした雪化粧を施している。
 このあたりかな、そう呟いてライナスは荷物を置き、少しだけ積もった雪をかき分ける。
「ほら、見える?」
 ライナスの手に包み込まれるように姿を現したその花は、本当に小さな白い花だった。白い花弁は雪に溶け込んでしまいそうにも見える。
「スノードロップ。雪の雫、だよ」
 その名のとおり雪の雫のような花は、雪の中、寒さにも負けずに凛として咲いていた。
「冬の終わりに、もうすぐ春だと告げる花だよ。こうして雪の合間に毅然として咲き誇る。まるで苦境にも負けずに、耐え続けてそれでも前を見る君達みたいに」
 厳しい冬を越えて、暖かな春はもうすぐそこだと希望を与えてくれるような。
 じっとその花を見つめる私達を見て、ライナスは少し寂しげに微笑む。
「――災厄の乙女なんて、初めからいなかったんだ」


 何もかもの始まりの託宣は、大神官が犯した偽りだった。白い髪だろうと緑色の瞳だろうと、人も国も不幸にする力はない。
 勘のいい大人はその真実に気づいているのだという。たぶん、あの騎士団長もその一人なのだろう。
 それでも「災厄の乙女」は国中に広がってしまった。たとえそれが嘘だったと宣言したところで、差別が消えることはない。
 だから真実に気づいた人々は気づかないふりを続けた。そうすることで不幸になる人々を見て見ぬふりをした。


 それは、呆気ないとさえ思う真実。
 私達が蔑まれる理由はない、なのにその差別は恐らく国から消えることはない。少なくとも私達が生きている間は。
「……『災厄の乙女』はね、一人の青年に連れ出されて、とうの昔にこの国を出て行ったよ。遠い遠い国でその人と結ばれて、子供まで出来て、それまでの生い立ちなんて感じさせないくらい元気でやってる」
 ライナスが苦笑しながら優しく呟く。
 す、と立ちあがってライナスは変わらない笑顔を私達に向ける。
「だから、君達ももっとちゃんと前を見てみるといい。選択肢は無限にあるんだ」
 たぶんライナスは、この国を出ることも出来るんだと私とカイルに教えてくれているんだろう。

 でも、選択肢があるというなら。

「――私、ライナスと一緒に行きたい」

 気がつけば私の唇は自分の願望を吐き出していた。
 そのことに私自身驚いて口を塞ぐ。カイルは隣で一瞬だけ目を丸くした後、くすくすと笑った。
「そうだな、俺もライナスと一緒に旅がしたい」
 カイルまで同じことを言い出すと、ライナスが困ったなぁ、と笑う。
「俺の目的はこの国に来ることだったからね、あとは故郷に戻るだけなんだけど」
 それでもいいの? とライナスは問いかけてくる。カイルと私は一度顔を見合せて、それから迷いなく頷いた。
「一緒に行く! 連れて行って!」
 ライナスはしかたないな、とでも言いたげに私達に手を差し出す。
「……親子二代で何やってんだか」
 ぽつりと呟かれた言葉に首を傾げると、ライナスは意味ありげに微笑む。
「何か言った?」
「いや、別に。たぶんうちの両親とも歓迎すると思うよ。特に母さんは娘を欲しがってたから喜ぶだろうし。……俺の母さんもね、それは綺麗な白い髪なんだ」
 ライナスの言葉に私とカイルは顔を見合わせる。
「……ライナスの目ってお母さん譲りって言ってたよね?」
「ていうか『災厄の乙女』が結婚して子供まで出来てって……それってつまり」
 そういうことなの? と二人同時に問うと、ライナスはくすくすと笑いながら答える。
「さぁ、どうだろうね?」
 会えば分かると思うよ? そんな言葉でさらりとかわして、結局答えてはくれなかった。



 私達は深い森の奥から旅に出る。
 この国は変わっていないし、これからも変わらないかもしれない。
 災厄の乙女はこれからも在り続けるのかもしれない。
 けれど、確かに変わっていくものもこの世界にはあるから。変わっていける強さを私達は知ることができたから。
 確かな希望を胸に、私は真っ直ぐに前を見る。

 そしてどうかこの希望が、グリンワーズの森を満たす花の種となりますように。




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