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もう一度君に会えるなら、その時は


 恋をしたことに後悔はなかった。
 何も言えなかったことには未練が残った。
 胸に思いを秘め続けて約七年と少し。

 この恋もようやく私の中から消え去ろうとしている。



 奴に会わなくなって、二年になる。
 視界に入ればイライラするし、落ち着かないし、心のどこかで一目見れたことに浮かれてたりもするから腹立たしい。奴の記憶にはきっと私という存在はないのだから。

 最初に会ったのはたぶん小学校四年生くらいの時。二歳年上の奴はかろうじて小学生だったと思う。第一印象の記憶は私にもない。だって大勢いる兄の友達の一人だったんだから。
 その他大勢と奴が分離されたのは、たぶん冬のある日だったと思う。

『何してんの?』
 奴は公園のベンチに座っている私に話しかけてきた。
『雪、見てるの』
『何で?』
『好きだから。積もるの待ってようと思って』
 学校が終わる頃から降りだした雪はゆっくりと舞い落ちてくる。地面に触れては溶け、跡形
もなく消え去る。
『自分の名前、好きなんだ?』
 そう聞かれて、たぶん私は奴を不審者でも見るかのように奴を観察したんだと思う。そんな私を見て苦笑して、私の名前を呟いた。
『芙雪、だろ』
 ああたぶんお兄ちゃんの友達なんだろうな――その時になって初めてそう考えた。
 だから私の名前を知っているんだろうと。
『気持ちは分かるよ。俺も春とか海とか好きだし』
 そう言って隣に座る少しだけ年上の、それでも同い年の男子よりも親しみやすい奴に私はあまり警戒しなかった。首を傾げて見つめると、そこらへんに落ちていた棒で、淡く積もった雪の上に文字を書いた。
『春の海、でハルミ。女みたいな名前だろ?』
『…………ハル?』
 兄との話題で時々出てきた名前だった。愛称を呟けば『うん、それ』と答える。
 笑った顔は確かに春の日だまりみたいで、温かかった。
 その瞬間に私の脳には『ハル』という存在が焼き付けられて、その他大勢のお兄ちゃんの友達とは別になった。
 それが別の意味で分けられるようになったのは、自然の成り行きだったのかもしれない。



「フラれた」
 泣き崩れる友人に慰めの言葉をかけるのも慣れたもので、ぽんぽんと優しく肩を叩く。
 高校もあと一年で終わり。というかすでに季節は冬なのでもう残り数ヶ月。一応は受験生という名目があるので本来は勉強すべきなのだろうが、私は手堅く推薦でほぼ決まりそうだ。
 クリスマスを目前に控え、友人・千夏は恋人探しに夢中だった。
「くそぉ、これじゃあ今年も家族仲良くクリスマス!? ありえない!! もう十八歳なんだから恋人と甘い一夜を過ごしたい!!」
「別にいいんじゃない、家族仲良くて」
 適当なファーストフード店に入って、泣き始める千夏を放置してオレンジジュースとポテトを運んでくる。一応二人分。
 オレンジジュースを啜りながら何度目かの愚痴に付き合う。
「良くない! 芙雪はそれでいいわけ!? 十代もあと二年なんだよ!? 彼氏イナイ歴が年齢とイコールでいいの!?」
「んー……特に支障はないかな」
「おまえそれでも女子高生か!!」
 性別が女で高校に通ってるんだから女子高生だよ、これでも。



 気がつけば始まっていた私の初恋は、未消化のまま消えるのか消えないのか、中途半端な状態のまま胸の奥で燻っている。
 冬のあの日をきっかけに私と奴は会えばそれなりに話すようになった。その場に兄がいなくても。
 小学生の間は年齢の差をさほど気にすることなく敬語も何も関係なく同等に話していたし、喧嘩もした。あの頃は友人といっても間違いではなかったのかもしれない。
 先に奴が中学生になっても、特に変化はなかった。
 決定打は私も追いついて中学生になった時。
 学年ごとに異なる階。そこは一歩足を踏み入ればまるで違う別世界で、下級生には息苦しい空間だった。一年生と三年生。それは明らかに権力が異なり、気軽に話しかけるのは気が引けた。小学生の頃のように、廊下ですれ違うなんてこともそうそうあることじゃなかった。
 奴から話しかけてきてくれれば。
 そうすれば、私も変わらず話せたのかもしれない。
 しかし結局、奴が卒業するまで一度も言葉を交わすことなく、ただ何度か目が合うだけで終わった。それすら私の気のせいだったのかもしれない。
 中学に入ってからは兄との交流も薄くなり、家に来ることもなかった。それぞれに気の会う友人を見つけ、新たな友人との関係は非難できることじゃない。
 友人ともいえない私と奴との薄い繋がりは消え去り、あるのかないのか分からない関係に私はますます怯えた。
 諦めるにはまだ近すぎて、告白するには遠すぎた。


「芙雪ってさぁ、誰とも付き合う気ないの? その年で恋愛に見切りつけちゃってるわけ?
 年頃なんだからあんなことやこんなことにも興味あるでしょ?」
 一通り鬱憤を晴らした千夏は矛先をこちらに向けてきた。相変わらず切り替え早いなぁ、と感心する。その性格を少しでいいから分けて欲しい。
「まぁ、ないわけじゃないけど。本当に好きな人じゃない限りどうでもいいかな。女の幸せは恋愛に限らないし」
「惚れた男がいると? そういうわけだね芙雪君。だったらのんびりしてないでさっさとアタックあるのみ!! あんた顔は悪くないんだからそうそう失敗しないって!」
 いや、まぁ惚れてるのかと言われると怪しいものがあるのかも。
 でもまぁ、たまにはこっちの鬱憤も晴らさせてもらおう。一度全部吐き出すのも、頭の整理にはいいのかもしれない。
「――失敗がどうのは置いといてさ。あんたもたぶん知ってるよ。広瀬春海。うちの高校の卒業生の……文化祭とかでやたら目立ってた」
「広瀬先輩!? あんたなんて高嶺の花をっ……あの人狙ってる奴まだいっぱいいるのよ!?」
 ああ、驚かれた。まぁそうか。
 小、中と学校は一緒なのは当然だ。普通の公立に通っていたんだから。そして高校は故意にというわけではなく――まぁ偶然志望校が奴の通ってる高校だったというだけで。いや、言い訳かもしれない。奴がいるから、そこに確定した。そう言っても間違いではなかった。
「今も惚れてるのかって言われたらちょっと微妙」
「何それ」
 食い寄る千夏を無視してオレンジジュースを啜る。
 中学で先に奴が卒業した時、何度が会うこともあった。言葉は交わさなかったけど、近所の夏祭りとか、初詣とか、ちょっとした買い物とか。まだ世界が今ほど広くなかったから、私と奴の世界が重なり合うこともあったというだけだけど。
 大勢の中に奴がいても、憎いことに発見できてしまう自分に嫌でも気づかされる。
 まだ好きなのだと突きつけられる。だって姿を見ただけで嬉しい。心臓が可笑しなくらいに早く脈打つのだ。
「奴に惚れていた期間なんと約七年。今も記録更新しているかどうかは定かじゃない。だって二年近く会ってないもの」
「なっ……ななねん!?」
 そうよ一応学校できゃあきゃあ騒いでいたあの子達とは違うのよ。あの子らが知らないことを知っていたんだから。――昔は。
 お調子者で目立ちたがり。いつもいろんなことに首突っ込んで、いつも皆の先頭に立っている。真面目か不真面目かと言われれば間違いなく不真面目だと思う。なのに頭は悪くないのだ。高校も一応は進学校。なのに髪は茶色に染めて、耳にはピアスの穴が何個も開いている。そして私はたぶん真面目に分類されてしまうのだ。
「卒業してから会ってないってこと? まぁあの人東京の大学にいったらしいもんね。それなりに名のある」
「そう。だからムカつく。こっちは真面目にこつこつと勉強してるのにどうしてああいう人間は少しの努力でこっちの遥か上を行くのかなぁ。ああ、殴りたい」
「惚れた男殴るか、普通」
「だからまだ惚れてるのかどうか分かんないって」
 二年だ。
 二年も会ってない。
 話をしていないのはもう何年になるんだろう。数えたくない。
 高校でも廊下で会うたび、視線を感じた――気がする。目が合うこともあった。その度に、奴の頭の中で私という人間はまだ完全に消え去っていないのかもしれないなんて淡い期待をする。
 でも二年、会うこともない人間を覚えているだろうか? 
 もう何年も話したことがない、遥か昔の友人の妹を。楽しい大学生活の中で忘れずにいるだろうか?
「なんで分かんないのよ。自分のことでしょ?」
「……だって」
 中学生の間、奴が先に高校生になった二年の間はまともに会えなくて、姿を見ることができるのも数ヶ月に一回で、その間寂しくて悲しくて惨めで、何度も隠れて泣いた。人に泣き顔を見られるのは嫌いだから一人部屋で声を殺して泣いた。
 言えば良かったと。
 こんな風に話せなくなるのなら、気持ちに気づいた時に伝えておけば良かったと。
 そうすればきっぱり終わることが出来たのに。
 それでも高校でもう一度あの姿を見つけた時に、嬉しかったのだ。まだ好きなんだと実感できた。
 でも。
「泣いてないもの。あいつを思い出しても。未練はあるけど、好きとはもう違う気がする。……でもきっとまたあいつに会ったら」
 好きに、なるかもしれない。
 恋に落ちるのかもしれない。
 そうすると簡単に終わった恋なんて片付けられなかった。
「難しいこと考えるのねぇ、あんた。恋愛は感覚でしょうが」
「超感覚派のあんたに言われても。フラれたその日には諦めつくあんたが時々羨ましい」
「羨め羨め。あんたそのままじゃ一生恋愛できないぞ?」
「いいよ、それは別に」
 この七年の切ないような、想いが私の一生分の恋だったということだろう。
 そんなに長い間片思いできたということ自体が凄いと自分でも思うくらいだ。
「良くない! 人生これからだぞ!」


 だって、子供の恋愛だっていうかもしれないけど。
 会えれば嬉しかったし、名前を呼ばれると胸が高鳴った。自分の名前がもっと好きになれた。新たな一面を知ることができると浮かれて、些細なことで騒いでた。
 会えなくて泣いた。隣にいる知らない女に嫉妬することもあった。

 確かに馬鹿な恋愛だったかもしれないけど、私にとっては本当に本気の恋だったんだ。


 騒ぐ千夏と別れを告げ、マフラーを首に巻いて家に帰る。
 もうそろそろ雪が降るんだろうな。吐く息が白くてもう冬なんだと実感する。
 雪と同じように気持ちも溶ければいいのに。跡形もなく消えてくれれば未練なんて残らないのに。
 もう一度、会いたい。
 会えばきっとはっきりする。私がまだ奴に惚れてるのか、惚れていないのか。

 会えたら言いたい。

 好きだと、ずっと好きだったと。





「彼女、一人?」
 ぼんやりと町中を歩いて最寄の駅に向かっていると、二人の男に話しかけられた。
 もうあたりはすっかり暗い。クリスマス近いからイルミネーションがきらきらと輝いていた。
「一人ならさ、遊ばない?」
「……悪いけど、もう帰るとこなの」
 一人でいるときにナンパされるのは初めてだった。友達と歩いている時になら何度か経験がある。どうせ追い払うのはいつも自分だった。
「いいじゃん、まだそんなに遅くないしさ」
 遅くなかろうが遅かろうが見知らぬ男にのこのこついて行くほど軽くはない。
「どいてよ、邪魔なんだけど」
 自分より背の高い男二人に立ち塞がられていると、異常なほど圧迫感がある。
 思わず一歩後退ると、面白げに一歩男達は近寄る。しまった、劣勢になったと気づいた時にはもう遅い。
「ね、どこ行く?」
 どこも行かない。もう家に帰るんだと何度言えば分かるんだこの馬鹿男どもは。
 腕を捕まえれて私は声を上げる。
「放してよ!」
 そんな状況すら喜んでいるんじゃないかと思うほど笑って私を見てくる男に吐き気がした。なんて馬鹿で、なんて汚いんだろう。どうせこいつら女なんて非力で泣き叫んで周りに助けを求めるしかできないんだと思ってるんだ。自分達の腕力で言うことをきかせて支配欲を満たすような愚かで脳みその足りない男なんだ。
 そうやって頭の中で思うことでしか抵抗できない。
 いくら私が叫んでも助けてくれるような人なんていないんだろうな。世の中所詮そんなもの。腕力がこいつらより劣るのは明白なんだから。
 ああやだな。女なんかに生まれてこなければ良かった。
 そうすれば、たぶんあんな初恋もなくて、私という個人で奴と友情を築いて、今頃ももしかしたら連絡を取り合っていたのかもしれない。
 情けなくて涙が出てきそう。でも泣きたくない。こんな汚い男の前で泣きたくない。

「芙雪」

 低い、聞いたことのない声。
 でもどこか懐かしかった。温かい春の日だまりのような、そんな優しい響き。
 ゆっくりと、顔だけ振り返る。
 見間違えるはずがない。だって私はどんなに大勢の中に奴がいても見つけられた。こうして私を見てくる奴を、間違えるなんてありえない。
 でもどうして、こんな、正義の味方とかヒーローとかみたいに登場するの? ずるくない?
「…………ハル」
 久しぶりに、その名前を呟いた。中学高校とどう呼べば良いのか分からなかった。
「悪いけどこの子先約済み」
 ぐいっ、とびっくりするほどの力で引き寄せられた。とん、と胸に押し付けられて顔が紅潮する。
 ずっと遠目に見ていただけだから、そんなに身長差があるとは思わなかった。
 ナンパ男は彼氏(では決してないけどそう見えているのだと思う)の登場にすごすごと立ち去る。ああいう男は大抵相手が来ると簡単に引き下がるから不思議だ。
「行くぞ」
 どこに、と聞く前に手を引かれて歩き出す。
 行く先に明るい駅が見えたので納得した。
 どうしてここにいるの? どうしてあんなタイミングで会うの? どうして今まで話しかけてこなかったくせに助けてくれたの? 私のこと覚えてたの?
 いろんな質問が頭の中で浮かんだけれど、それも聞けなかった。
 歩くペースが速いので自然と私は小走りだ。
 だからだろうか、心臓が今にも破裂しそうなほどに脈打っている。――言い訳だ。
 会えて嬉しい。嬉しくて嬉しくて浮かれてる。ああ、私はまだハルが好きだったんだ。またハルを好きになったんだ。
「――ハル」
 先を歩くハルの顔が見えない。
 繋いでいる手に少し力が込められたから、聞こえているのは確かみたいだ。
「ハル。ねぇ、ちょっと! 速いってば! 手もっ」
 少し、痛い。
 聞きたいことも言いたいことも山ほどある。
 ぎゅ、と手を握る力がまた強くなる。骨が軋んだ気がする。折れないといいけどなんて冗談が浮かんだ。
「……痛い」
 ぽつりと呟くと、突然ハルも歩みが止まる。そのまま勢いが止まらずに私はハルにぶつかった。止まるなら止まると言ってくれ。
「――――おまえな、夜にふらふら一人で歩くなよ」
 怒ったような声に、身体を縮めた。
「一人って……さっきまで友達が一緒だったのよ。でもあいつ地下鉄だから」
 千夏とは店で別れた。どうせ駅なんて目と鼻の先だし。
「誘ってくれって言ってるようなもんだって。おまえ昔っからそういうとこ鈍い……もういい。たく、少しは気をつけろよ」
「……ものすごく都合のいいタイミングだったけど。いつからこっちに戻ってたの? 大学東京なんでしょ?」
「たまたまだよ、全部。法事でこっちに戻ってて」
 ああ、どうして今までこんな風に話せなかったんだろう。馬鹿みたいだ。
 実に話したのは何年ぶりか。最低でも中学高校の六年は話していない。実質こいつに惚れてからはほとんど話してないのか。
「…………芙雪?」
 なんて温かい響きなんだろう。空から降る冷たい氷の結晶しか想像させない名前のはずなのに、ハルが声にすると甘くて心地良い。もっと呼んで欲しい。
 なんて不器用な私。
 長い長い初恋を終わらせることが出来ないまま、まだこの目の前の男に恋してる。
 でももう終わりにしたい。
 苦しいのも切ないのも、嬉しいと思うことすら、全部。

「…………好き」

 きゅ、とハルの手を握る。
 温かいぬくもり。優しい春の温度。
 もう未練なんて残したくない。もうこれで二度と会えないかもしれない。なら今言うしかなかった。無意識にそう呟いていた。
 なぜか無性に泣けてきて、恥ずかしくなる。
 泣き顔なんて見られたくないのに、涙が溢れた。


「……なんで今更言うかな」

 ハルが苦笑しながら呟く。
 今更なんだろうか? 言う機会が今までずっと無かったのに、今更?
「ずっとそうじゃないかななんて思ってたけど、聞く機会がなかった。俺卒業してからもう二年も経つしいいかげん他の男に移ってるだろうと思ったのに」
 移れるなら移りたかった。けど結局恋が出来ないまま、今に至る。
「私、意外と一途だから」
「意外ととか自分で言うか? でもまぁ、人のこと言えないか俺も」
 そっとハルが手で涙を拭ってくれる。その仕草があんまりにも自然だったから、やっぱり女慣れしてやがると内心ムカついた。
「どこが。あんた高校だけでも彼女何人いたの? 知らないとでも思う? あんた目立ってるんだから嫌でも情報が耳に入るのよ?」
 最低でも七人は固い。それで一途とかどの口がほざく。
 私が睨みつけるとハルは苦笑する。
「本命はずっと別にいたって言ったら信じる?」
「信じない」
 好きでもない人となんて付き合えない。それが私の持論だ。
「ここまで鈍いとさすがに腹立つんだけど。誰のこと言ってるのか分かんないわけ?」
 なんでおまえが腹立つんだよ。怒りたいのはこっちだよ。告白の答えはどうなった!?
 むす、と涙目で睨みつけるとハルはまた優しく涙を拭ってくれる。その優しい手がなおさら泣かせてるなんて気づかないんだろう、この男は。
「俺的にこの再会はかなり運命的だと思うんだけどなぁ」
 くすくすと笑いながら、ハルが頬に触れてくる。自然と顔を持ち上げられて、背の高いハルを見上げる形になった。
 ああ、意外と睫が長いんだ。知ってたけどムカつくくらいに整った顔をしてる。
 次第に近づいてくるハルの顔を見つめながらそんなこと考えていた。
 目の色が薄い。黒というより茶色っぽかった。その瞳に映ってる自分を見てなんて情けない顔してるんだろうと思う。
 その目が閉じられて、気がつけば冷えた唇に柔らかい何かが触れていた。
 あれ、何これ。

「―――――――――っ!!!!!」

 咄嗟に逃げようと身体が動く。
 しかしいつの間にか背中にハルの腕が回されていて、動けない。頬に添えられた手が顔を逸らすことすら許さなかった。
 何これ何これ何これ何これ!!
 ちょっと待て。町中だぞ。ていうか何しやがるこの女たらし。自分に惚れてる女には何してもいいっていうのか。悪いがこちとらファーストキスなんだよ!! 乙女が夢に夢見るあの伝説の!!
 やっと唇からぬくもりが去り、ハルが意地悪そうに微笑む。
「目くらい閉じろよ。色気ない」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
 声にならない声でハルを罵る。
 ひどく長く感じる一瞬だった。
「……嫌いだ、あんたなんか」
「数分前に好きだと言ったその口が言うか」
 言わなきゃ良かった。
 今のキスは何? どういう意味? 告白の返事は?
 好きだという前よりも頭の中には悩みが溢れてる。
「いいよ別に嫌いでも。俺気は長い方だし、一途だから」
「だからあんたがそれを言う!?」
「好きでなくても付き合うことはできるよ、特に俺みたいな男はね。でも本気で好きな奴がいたことも事実だし」
「だとしたら最低!」
 好きでもないのにキスできるわけ? と睨むとハルは笑う。何がそんなに可笑しいの。
「俺、自分からは好きな奴にしかしないけど? 今さっき生まれて初めて」
 自分からじゃなければ出来るんじゃない、と文句を言って、思考が止まる。
 壊れたラジオみたいにハルのセリフが頭の中でリピートしていた。
「……………………はい?」
 空耳だろうかと聞き返す。空耳だとしたらなんて都合のいい。
 ハルは呆れたようにため息を吐き出し、もう一度私の頬に触れてきた。反射的に逃げようとする私の腕を掴み、笑う。
「もう一度しなきゃ分からない?」
「や、ちょっ……」
 抗議の言葉は飲み込まれ、もう一度温かい唇が触れ合う。
 柔らかく温かいそのぬくもりに抵抗する意思すら奪われる。

 ――ああ、なんて遠回りをしてきたんだろう、私たち。
 



 もう一度会えたら、その時は。

 好きだと言ってこの恋を終わらせようと思ったのに。
 もう未練なんて残さず、淡い初恋だったと終わらせようと思ったのに。


 私の初恋は、まだ終わらない。

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