太陽の消えた国、君の額の赤い花 拍手御礼SS
君を迎えに行く
――泣いてる。
ゲイルは重たい手を持ち上げて、窓の向こうのどんよりとした空へと手を伸ばす。
空から降る雨粒は、彼女が流している。そう心のどこかで感じていた。
――そばに、いかなければ。
そう気持ちばかりが焦る。身体は思うように動かない。実際、ゲイルが意識を取り戻してからまだ三日だ。彼は丸二日、意識を失っていた。
全身に矢を受けてその程度で回復したのだから、もはや奇跡の類だろう。死んでもおかしくない――むしろ死んで当然の怪我だった。
耳の奥には、意識を失う直前の悲鳴だけが鮮やかに残る。
泣かせたくない、どうしても泣くのであれば、涙を拭うのは自分の役目であって欲しい。
「……ノーア」
今は、まだこの国に戻すわけにはいかない。
ゲイルが怪我をしたことで、あの場にいた反イシュヴィリアナ派はすべて捕えることができたとロハムから報告されているが――国内にも、まだ残っているはずだ。それらを片づけない限り、ノーアをオルヴィスには呼べない。同じことを繰り返すだけだ。
「おい国王陛下。動くな。寝てろ。安静にしてろ……俺が言ったことをもうお忘れになられやがりました
かね?」
上体を起こして挙句寝台から降りようとしているゲイルを見つけたロハムは眉をひそめてそう低く言う。
「寝て、られるか」
しかし身体は正直だ。安静にという言葉のとおりに、動き回ることを許してくれない。
「その状態で迎えに行ったって余計に心配させるだけだろうが。大人しくしてろ。掃除くらいなら俺でもできるさ」
掃除、という一言は反イシュヴィリアナの一掃であることを指すのは、二人の間の暗号のようなもんだ。ゲイルはロハムに無理やり寝台に寝かせられ、痛む身体を恨んだ。
「――ノーアは」
「だから大丈夫だって。あのオアシスの君主邸にいるんだ。あそこにはイシュヴィリアナの王子だっているんだろ?」
「……怪我は」
ロハムははぁ、とため息を零して律儀に答える。
「このやり取り何回目だ? 俺が見えた限りではない。あんたは重傷だけどな」
何度聞いても、わずかしか安心できない。この目で確かめるまでは、たぶんずっと。
痛みを堪えながら、何度も何度も祈る。
会いたい。
触れたい。
声が聞きたい。
抱きしめたい。
――だから、どうか無事で。
ゲイルはそれから恐るべきスピードで回復していった。
思いの力とでも言うべきか。負った怪我を考えればそれは異常すぎるくらいだ。
「……国王陛下? あんたはまだ絶対安静だったと思うんですけどねぇ?」
刺々しい言葉にはもう慣れた。ロハムはけっこう過保護で、ゲイルが自分の足で歩けるようになっても執務に戻る許可をなかなか出さなかった。
それでもやはり身体中には包帯が巻かれている。時折傷口が開いて血がにじんでいることもある。
「そんなのんびりしていられるか。――集めたか?」
「国王陛下からのご命令ですからねぇ」
頑張らせていただきましたよ、とロハムが笑う。
謁見の間――普段はあまり使わないそこに、人を集めさせた。反イシュヴィリアナの人間を。
「行くぞ」
ゲイルはまだ痛む身体を冷徹な笑顔の仮面の下に隠して、颯爽を歩く。
大掃除の後始末は、やはり自分の役目だろう。
「陛下、よくぞご無事で――――」
白々しいそのセリフに、ゲイルは思わず笑う。
その次の瞬間に浮かぶのは、非情な王の顔だ。
「お前達が、それを言うか」
その場にいた貴族達の顔が凍りつく。
そんな光景がおかしくて、ゲイルはやはり笑みを浮かべていた。
ノーアは知らない、冷たい微笑を。
「――――――悪い」
掃除が終わると、ゲイルは大仰な上着をロハムに預けて、早足で進む。
「ああ、もう。分かってますよ。どうせそんなんだと思ってましたよ」
ロハムはため息を吐きだしながらゲイルの背中を見送る。
二か月以上我慢したのだ。残された仕事くらい、片付けてやろう。
赤い赤い世界の中。
いとおしい姿を見つけた。
銀色の長い髪は夕日で赤く染められている。華奢な背中をじっと見つめた。
「クシャナ? それともアジム?」
鈴の音のような声。記憶に残っていたよりも鮮やかで、ゲイルは嬉しいのに少し泣きたくなった。
いったいいつから、こんなにもいとおしく思うようになったんだろう。
ゆっくりと振り返る。
あの青い瞳が歓喜に揺れる。
ああ――――
今ここに、神にでも誓おう。
もう、二度と離さないと。