叶わない恋だとしても
わずかに唇に残るぬくもりに、ただ苦笑した。
いっそ口にしてやれば良かった。そうだ、今日はあの邪魔な従兄弟はいなかったのだから。
そっと唇に触れて、ため息を吐いた。
そんなことをいくら考えても、あれ以上なんて出来ないくせに、と心の中で呟く。
他人のものにこれほど惚れこむなんて、自分はどれだけ愚かなんだろう。
出会った時から、彼女はもうあいつのものだったのに。
久し振りに会った従兄弟は七歳という年齢のせいなのか、相変わらずどちらがアドルバードでどちらがリノルアースなのか分からない顔をしている。服装を見れば、なんて簡単な解決はなかった。こいつらは時折入れ替わっている。そうやって幼い頃から遊んでいた。
「……リノルはどこに行った、大人しく居場所を教えろ」
兄のハドルスはそんなこと言いながらアドルバードに詰め寄っている。
意外と口の堅いこいつが簡単に吐くわけがないだろ、と思いながらため息を吐きだした。
どれほど兄が従兄弟に詰め寄っていただろう。それは相当長い時間だったはずだ。そこで俺はようやく違和感を覚えた。
ただ兄を睨む従兄弟。
「……おまえ……?」
いつもなら――いつものアドルバードならば言い返しているはずだ。素直に怒りと抵抗を顔に出しながら。こんなふうに、兄をただ睨むなんてない。しかもその瞳には明らかに侮蔑の感情があった。
純真なアドルバードには、そんな色はない。
「リノルアース様」
そこに、凛とした声が割って入って来た。
少年の格好をした銀髪の見習い騎士が、少女であることは知っている。噂で耳にしていた程度だが、長い髪を一つに結っている姿は綺麗な少年に見える。
すらりと背が高く、兄のハドルスよりも身長がある。思わず圧倒されてハドルスも黙り込んでいた。
「いつまでふざけておられるんですか。アドルバード様はとうの昔に捕まえましたよ」
「お、おまえ、何を言って――」
兄が口ごもりながら言いかける。まだ気づいていないのか、と兄の鈍感さに呆れた。
あんたが掴みかかっているのは、あんたが探してたリノルアースだよ。
そう教えてやるのが優しさだったのだろうか。しかしそれほど親しくもない兄にそう助言してやるほど俺は優しくない。
「ハドルス様ですね? 申し訳ありませんが、その手をどけていただけませんか。女性に対しては適切なものではないと思いますが」
「え、いや、これは――!!」
兄はまだこれがアドルバードだと思っているらしい。
そこで可憐な声が割りこんできた。
「飽きたわ。帰りましょ、レイ」
ふぅ、とわざとらしいため息を吐き出して『リノルアース』は兄の手を振り払う。
目を丸くしたままの兄は二人が並んで去っていくのを眺めているだけだった。
それが、彼女――レイ・バウアーを一番最初に間近で見た瞬間だった。
彼女は一度だって、あの双子を見間違えたことがない。
いつかそんな冗談を、信じるしかなかった。
それから数年後、もう子供と呼ぶことも出来なくなり始めていた十四歳の彼女には縁談がいくつも舞い込んでいた。
少し聞き耳を立てればそれこそ両手で足りないほどの縁談――彼女の美しい容姿と、彼女の父親の特異な立場を考えれば当然だったのだろう。
弱小貴族である彼女は追い込まれて追い込まれて――その末に、俺は彼女の父であるディークに会いに行った。
「……大変そうだな。ディーク」
少し疲れているように見える彼に話しかける。どれほど長い間剣を振るっていたとしても、彼はここまで疲労しないだろうに。
「これはこれは、ルザード様。何か御用でしたかね」
大柄なディークは見下ろすように問いかけてくる。それに少しむっとしながら、単刀直入に言った。
「レイを俺にくれ」
その後に流れた沈黙はどれほど長かっただろうか。
ディークは一度咳払いをし、「それは」と口を開く。
「つまり、そうだと思ってよろしいので?」
「ああ。正式なのものは追って渡す」
すぐに結婚とはならないだろう。彼女よりも年下であるのは事実で――少なくとも数年の婚約期間を持つことになるだろうと。
そうですか、とディークが静かに呟く。
その時だった。
「父上!!」
慌てた様子で駆けつけてきたのは、ディークのもう一人の子であるルイだった。手には銀色の糸のようなものが握られている。
「父上! 姉さんが、姉さんが……! どうして、こんな……!」
駆けよったルイをディークは大きな手で支えながら「落ち着け」と囁く。
「何があった。落ち着いて説明しろ」
「ね、姉さんが……!」
そう言いながらルイは手に握っていたものを差し出す。それは――銀色の。
「…………髪?」
思わず呟いた。彼が姉さんと言いながら動揺し、その上で銀髪を握り締めているということは。
「レイに何かあったのか!」
勢いでそう詰め寄ると、驚いたルイは動揺したままの瞳で俺を見た。
「ね、姉さんが、誓いを……」
「――誓い?」
ディークが低く呟く。
ルイは未だに信じられないと言った顔で、声で、心の底から叫ぶように言った。
「剣の、誓いを……!」
ああ、そうか。
彼女は、彼女の心は。
――やはりあいつのものなのか。
その後見かけた彼女のあの綺麗な銀の髪はばっさりと切り捨てられ短くなっていた。
そんな彼女に周囲が好奇の目を向けたことには間違いない。それでも彼女の瞳はただまっすぐに前を見たまま。背筋はぴんとしたまま。
いつまでも変わらぬ凛とした彼女だった。
他人のものだから、欲しかった。
――なんて損な性分だろう。
心を奪われた時には、もう他人のもので。それでも諦めきれなくて。茶化すような言葉で自分の言葉をひた隠しにして。
それでも聡い彼女にはすべてバレバレだったというのに。
ぬくもりの去った唇にまた触れる。
結局、確かに口にしたのは今の一度だけ。
ずっと想いは仮面の下に隠したままだったけれど。それでも俺は。
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王子シリーズ「君と肩を並べるまで」のルザードの話。
彼は彼なりにレイのことを愛していたんです。
青柳朔