50title For you(グリンワーズ/レギオン・ライナス)

君もいつかは知るだろう


 逃れられない、と気づくのはいつだろうか。


 潮風の匂いに懐かしさを感じるくらいに、この港町での暮らしは長くなった。俺も老け込むものだ、と苦笑する。息子は俺がこの町に着た頃と同じくらいの年齢にまで成長した。
 親子だな、と思わざるを得ないほどに自分によく似た息子は、性格まで似てしまったらしい。小さな頃は、どちらかというと妻に似た性格をしていたような気がするのだが。
「アリア、洗濯物取り込んでくれる?」
 夕食の準備を始めた妻が、居候の少女に声をかける。白い髪は肩に触れない長さで揃えられている。彼女の髪を切るのはいつも自分の仕事だ。
「はい」
 答える少女も白い髪。一見すると母娘のようだ。瞳の色だけが違う。この町にやってきた頃は妻と同じくらいだった髪は、伸ばしているのだろう。背中を覆うほどに長くなっていて、今はひとつに束ねている。
 アリアが玄関に向かい外へ出ようとすると――がちゃり、と扉が開いた。
「っと、ただいま」
 ちょうど帰ってきた息子が、ぶつかりそうになったアリアへと微笑む。
「おかえりなさい」
 ふわりと微笑み返す少女の顔は、恋する乙女そのものだ。誰が見てもわかるくらいに。
 その眩しい眼差しに息子は――ライナスは一瞬苦い顔をする。受け止めきれない純粋な想いに、自分の醜さを思い知らされるような。受け止めたら最後、逃げられないその罠のような恋心に怯えるような。
 見ているこちらも苦々しくなる。
「……レギオン、眉間に皺よってるよ」
 つん、と人の眉間を指さす妻に「わかってる」と返す。誰のせいだ誰の。


 息子の苦悩には、俺も覚えがある。




「おまえ、アリアをどうするつもりだ?」
 夜更けにひとり、家の外で素振りをしているライナスに気付き声をかける。息子は深緑の瞳を揺らして、不機嫌そうに呟いた。
「どうするって……」
「気づいていないほど馬鹿でもないだろ」
 容赦なく叩きつけると、ライナスも言葉に詰まる。実の親相手に嘘をつこうなんて愚かだ。ライナスの誤魔化しかたはマリーツィアのそれによく似ているから、なおさら。
「カイルは独り立ちして、これからもしっかり生きていけるだろうな。だがアリアはどうなる。いつまでこの家にいる。おまえは、いつまで中途半端なまま放置するんだ」
 例えば、ライナスがアリアの恋心に応えることができないとすれば。
 彼女はこの家に居続けようとは思わないだろう。この町で独り暮らしをするか、それとも、良い人を見つけて――。
「アリアのあれは、あこがれみたいなものだろう? いつかきっと、目が覚める」
「あこがれの対象が目の前に居続ける限り、それは無理だろ。それにおまえがあこがれだと言い切るのはおかしい」
 恋かあこがれか。
 そんなものは本人すらそう簡単には分からないというのに。
「それをマリーツィアに言ってみろ。叱られるぞ」
 アリアがこの家に来て以来、実の娘のようにかわいがっている妻は、確実にあちらの味方をする。男の人って自分勝手なんだから! と俺にまで飛び火しそうだ。
「たとえあこがれだったとしても、もうアリアも十七歳になる。マリーツィアはおまえを産んでいた年だぞ。このまま目が覚めるまで待っているわけにもいかないだろう」
「それは、母さんが早いんであって……」
 もごもごと反論するけれど、強くは言ってこない。
 おそらく頭の中では何度も何度も繰り返された言い訳が渦巻いているに違いない。身に覚えがありすぎる。

 災厄の乙女と呼ばれ、人々から疎まれ続けてきた少女が、ひとりの青年によって外界へと連れ出される。新しい世界を与えられる。守られる。それで、恋に落ちるなというほうが間違っている。それは、俺自身もよく分かっていた。
 けれどそれは、世界が広がることでいつか消えるものだと言い聞かせた。彼女のなかの想いは幻のようなものだ、と。
 そんなこちらの言い分をすべてねじ伏せるだけの力をもって、彼女は俺を掴まえたのだけれど。


「俺はもう口出ししないが、おまえもいいかげんに向き合えよ」
 逃げるな、と念を押して家に入る。残されたライナスは、月明かりの下で小さな子どものような顔をしていた。
 男にはこれくらいでちょうどいい。悩んで自力で答えを見つけなければ成長もない。
 寝室で先に眠っているマリーツィアの隣に潜り込もうとすると、目が合う。息子と同じ深緑の瞳が、こちらを見上げていた。
「……起きてたのか」
「隣からレギオンが抜け出したあたりからね」
 つまりは最初からってことだろ。
「アリアの部屋からじゃ聞こえないだろうから大丈夫だよ」
 くすくすと笑いながら、マリーツィアがすり寄ってくる。人にくっついて眠るのはそれこそライナスが生まれる前からの癖のようなものだ。
「レギオンが息子にあんなこと言うとは思わなかったなぁ」
 もっと放任主義だと思っていた、とマリーツィアは呟く。どちらかというと放任主義なのはマリーツィアのほうだと思うが。
「……まぁ、なんだ。見ているこっちが痛々しいからな」
 過去の自分の苦悩を目の当たりにしているようで。
「そっくりなのはうれしいんだけど、似なくていいところまで似ちゃったねぇ」
 ……どういう意味だそれは。
 自分でも、まぁ不器用なところが似たものだとは思うが。
「我が息子ながら、さっさと諦めればいいと思うんだけどな」
 ふぅ、と息を吐き出しながら呟くと、マリーツィアは不思議そうな目で「諦める?」と問うてくる。
 ああ、言葉が悪かったかな、と思いながら白い髪を梳いた。
 あこがれであって恋じゃない。刷り込みのようなもので、愛じゃない。そう言い聞かせて何を守ろうとしているのか、今の年になればさすがに分かる。
 どうしようもなく惹かれて、一歩踏み出してしまえば手放せなくなる自分を、寸前のところで留めている。そうすることで、万が一のときに自分が傷つくのを防いでいるのだ。
 足掻いても無駄だ。
 誤魔化しても意味がない。
 運命は、そう、これを運命と言うのなら。

 俺が、マリーツィアに手を差し出したときに。
 ライナスが、アリアに手を差し伸べたときに。

 すべては決まっていたんだよ、きっと。


 恋に落ちると。



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