50title For you(エルンガルド/ライナス・アリア)

君より愚かな僕がいる


 吹き抜ける風に、潮の香りがしない。
 そのことに違和感を覚えながら、目を覚ました。開け放ったままの窓からは森の匂いがする。窓の向こうに見える景色は生まれ育った町とはかけ離れていて、けれどその風景に慣れてきている自分もいる。

 ――旅に出て、かれこれ半年以上が経った。

 最初の三ヶ月くらいは、別れるときの今にも泣きだしそうなアリアの目が脳裏に焼き付いていて、恐れるようにひたすら遠くへと足を進めた。
 遠くといってもこの程度ならまだ近隣国と言えるだろう。アリアとカイルを見つけたときのような長旅ではない。目的地がないぶん、あちらこちらをふらふらとしていた。今は、祖国から二つほど離れただけの国にいる。
 半年程度では、きっとアリアは諦めない。あの子は儚げな見かけとは裏腹に意外に頑固だ。そして自分自身も、まだ非情になりきれていないし、心の整理もできていない。
「俺はアリアをどうしたかったんだろうな」
 苦笑して零す。
 ただ、かわいそうな子どもたちに未来があると伝えただけだ。そして彼らは共に行きたいと手を伸ばしてきた、その手を取った。この先に続く道もまた彼らの選択で、きっとその先には幸福があるだろうと。

 誤算があったとすれば、アリアのあこがれのような恋が冷めなかったことくらいだ。



 ふぁ、とあくびを噛み殺しながら町を歩く。
「――ライナス?」
 驚きを孕んだ声で、自分を呼ぶ声にライナスは立ち止まり振り返った。
「ロビンさん……!?」
 そこにいたのは、故郷の町で宿屋を切り盛りしているロビンさんだ。父さんや母さんがお世話になった人でもあるし、俺も子どもの頃散々かまってもらっていた。
「おー。まさかここで会うとはなぁ。どうだ、元気にやってるか?」
「こっちのセリフですよ。どうしてこの国に?」
「まぁなんだ、知り合いが住んでいてね。そいつに会いに来たんだ」
 店は嫁さんと息子夫婦がいれば十分だからなぁ、とロビンさんは豪快に笑った。
「せっかく運命の女神様が引き合わせてくれたんだ、飯でもどうだ?」
「ぜひ」
 食堂は昼の稼ぎ時までまだ少しあるからか、空いている。今日は寝過ごしたな、と苦笑しながら定食を注文した。
「マリーが心配してたぞ。もう少しマメに手紙書いてやれ」
 先に出てきた飲み物をぐっと煽り喉を潤しながらロビンさんは諭すように笑った。皺の刻まれた顔に、俺も大人になったんだよなぁ、と思う。
「書いているつもりなんですけどね」
「大事な一人息子だ、そりゃ心配するもんさ」
 そうですね、と相槌を打ちながら今日にでもまた手紙を書こう、と思う。本当は、あまりアリアにこちらの近況が伝わるようなことはしたくない。俺の欠片が彼女の目に触れれば、断ち切るものも断ち切れないだろう。
「うちの嫁さんもそりゃあもう怒っている」
「……あー……」
 ロビンさんの奥さんは――エミリアさんにもそれはそれは小さな頃にたくさん叱られたものだ。その記憶がしっかりと刻み込まれているので今も逆らえない。
 苦々しく天を仰ぐと、ロビンさんはけらけらと笑って「覚悟しておけ」と死刑宣告にも思える発言をする。
「アリアからは、逃げなきゃダメだったのか?」
 ふと落ちてきた真剣な声に、俺はロビンさんを見た。もう一人の父親みたいな顔をして、実際にそれだけの影響力をもって、俺に諭してくる。
 ――どうして誰も彼も、俺とアリアを結びつけたがるのだろう。
「アリアは」
「あの子はきっと、一年でも十年でも待つぞ。おまえが思っているほどあの子は弱くないからな」
 あの子は、ただあこがれているだけですよ。あこがれを、恋と錯覚しているだけですよ。そうアリアの想いを否定しようとした俺の声を遮るように、ロビンさんは告げる。
「おまえは、なんだってそんなに臆病なんだ?」
 臆病。
 ああ、なるほど、と。自分でもすとんと納得できる的確な言葉だった。
 言葉を飲み込んでいると、食事が運ばれてくる。ロビンさんは顔をほころばせて「うまそうだなぁ」と言っていた。本当に、間を読むのがうまい人だ。
「……ロビンさんは、うちの親の馴れ初め知ってますか?」
 トマトスープを一口飲んで、静かに問いかけた。あたたかいスープはどこかほっとさせる味で、喉を潤すためにももう一口飲む。
「ある程度は」
 ある程度でも、知っているということはそれだけ父さんも母さんもロビンさんを信頼しているということの現れだ。
 災厄の乙女来たり――そう託宣された災厄の乙女であった母さんは、幽閉されていた森から父さんと共に脱出した。実際には偽られた託宣であり、母さんはただの少女だったのだけれど、王国を覆い尽くした『災厄の乙女』は拭い去ることができないままだ。
「俺は、父さんみたいなヒーローには、なれないんですよ」
 幼い頃から強い父を誇りに思っていたし、あこがれていた。父の真似をして剣を握り、今ではそれなりの腕前になっている。
「一人の人の人生を背負う度胸も覚悟もないくせに、何も考えずアリアとカイルに手を差し伸べてしまった。それで、アリアに間違ったあこがれを抱かせてしまった。俺は、あの子のヒーローにも王子様にも、なれる器じゃないのに」
 料理を見下ろして、何もかもを吐き出す。
 ロビンさんは肩を落として「はー……」と長いため息を吐き出していた。
「おまえ、馬鹿だろ」
 清々しいくらいに一刀両断する発言に、目を丸くした。
「確かにおまえの親父はすげぇよ。男前だよ。男の中の男だよ。だけどな、完全無欠ってわけじゃねぇんだよ。ライナスだってわかるだろ、あれでたくさんマリーに支えられているんだって」
 あいつ尻に敷かれているじゃねぇか、とロビンさんは苦笑した。あれ、そういう話だっただろうか。
「おまえは、父親のすごさを理由にしてびびっているだけだろ。本当は、ヒーローにも王子様にもなりたいくせに」
 誰の、と言わないところはやさしさなのだろうか。
 ほら、冷めるぞ、とロビンさんに急かされて慌てて食べる。まだあたたかい料理はどれも絶品だ。けれど、やはり母さんの料理が――アリアの料理が、なつかしくなる。
 にやり、とロビンさんが意地悪そうに笑った。

「アリア。相変わらずモテてるぞ?」

 わかりきったことなのに、改めて聞かされるともやもやと気分が悪くなる。





 ――じゃあな、と食事のあとにあっさりとロビンさんは手を振り去って行った。
「びびっている、ね」
 臆病といい、どうしてあんなに的を射たことを言ってくるんだろう、と苦笑するしかなかった。

 両親のような、唯一無二の愛にあこがれておきながら、俺は怯えている。
 そんな奇跡的な恋なんて、あるわけないんだって。
 だから逃げる。だから誤魔化す。だから、否定する。
 大人のフリをして、それは恋じゃないと。他の誰でもないおまえが、一番最初に自分の恋を見ないフリして。

「――馬鹿だなぁ、俺」

 そんな男に惚れている、アリアもたいがい馬鹿だと思うけれど。



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