50title For you(さくらしべふる/有仁・白妙)

君の笑顔が何より嬉しい


 ひらりひらり、と桜が舞う。
 春のあたたかな陽射しの下で咲き誇る桜の花は、白妙ととてもよく似ていると、有仁は思う。
 満開の桜の下で、白妙に求婚したのは一年前のことになる。四季がひとたびめぐり、また桜の季節がやってきた。
 有仁は十六歳、白妙は十七歳となった。

 今日、この晴れやかな春の日に、有仁と白妙は祝言を挙げる。
 薫子などは求婚を済ませた昨年のうちに祝言を挙げてしまえばいい、と言ったのだが、有仁はやはり春がいい、と唯一の希望を告げた。白妙も同じく頷いたので、結局準備の期間も考えて一年後の今日、ようやくのはこびとなった。
 武の里ではこれといった形式も決まっていない。ではさてどうしようか、という段階で当の本人たちはいっそ盛大な式などいらないから親代わりである薫子たちに認めてもらえばよいのでは、などと言い出したものだ。しかしそこは薫子が頑なに頷かなかった。大事な姪御に、どうして白無垢も着せずに済ませられるか、と説教されたのも懐かしい。
 白妙の白無垢姿。
 どんな姿であっても白妙はかわいらしいしきれいだと思うけれど、きっと格別に違いない、とだけ確信できる。きっと桜の花がよく似合う花嫁になっているだろう。
 朝から忙しい花嫁と違って、有仁の準備はたいしたことがなかった。着替える前にと山桜の大樹のもとへやってきたのは、里の中では浮かれた里人に囲まれて落ち着くこともできなかったからだ。
 ここで白妙と出会った。それだけで思い出深い場所となるのだから、不思議なものである。

「おー、いたいた! 有仁!」

 ひらりと落ちてきた桜の花びらに手を伸ばすと、名を呼ばれる。有仁より少し年上の、定明だ。有仁の師のようなものでもある。
「里にいないと言ったら白妙がここだろって。当たっていたな。おまえもそろそろ準備しろよ、族長に叱られんぞ」
「わかった」
 落ちてきた花びらを掴みそこね、有仁は苦笑した。
 この桜の木の下で、武の里の人間にと決意した頃よりも有仁はすらりと背が高くなり、筋肉もついた。今では白妙よりも背が高いし、剣では武の里の中でもかなりの腕前のなかに割り込めるようになった。
 けれど有仁は、うつくしい少年であったように、うつくしい青年になりつつあった。艶やかな黒髪は短く切りそろえているものの、漆黒と呼ぶに相応しく、鍛練に明け暮れている肌は日に焼けているものの染みはひとつもない。長い睫毛は影を落とし、唇は女のそれと同じように赤い。
「覚悟しておけよ? 里の女たちがおまえも着飾るって気合入れていたぞ」
「……どうしてそうなる。白妙がきれいならそれでいいのに」
 花婿なんておまけ程度の装いで十分だ。けれど祝言の日取りが決まってからというもの、里の女たちは有仁の衣装にもあれやこれやと口を出していた。
 白妙なんて真顔で
『有仁も白無垢が似合うと思う』
 なんて言い出したものだからそのときはさすがに眩暈がした。似合うはずもないし似合いたくもない。そもそも白無垢は花嫁の衣装だ。
 あの時の白妙の発言に全力で同意していた女たちもどうかしていると思う。
 里に戻り「白妙は?」と開口一番に問うた有仁に誰もが呆れた。
「花嫁には今は会えないよ。祝言の場まで待つんだね」
 ……俺の花嫁なのに、その姿を堪能できないというのはどうにも解せない。と有仁はいささか不服ではあるが、まぁ仕方ない、と大人しく部屋に放り込まれて衣を着せられた。いじるほどの髪もないのに櫛をとおされ、有仁は祝言に力を入れる里の女たちにすっかり気圧されていた。


 花嫁行列、といえるほどの距離はない。族長の家から、白妙と有仁が暮らす家までの少しの道を歩いて白妙はやってくる。
 はらり、はらり、と里の山桜が舞い落ちる。
 ああ、やっぱり、白妙には桜が似合う。
 花嫁姿の彼女を彩る花は、桜の花以外にはありえない。有仁は目を細めてそのうつくしい花嫁に微笑みかけた。
 この世の誰よりもきれいだ。
「有仁」
 有仁はずっと、白妙のことを触れてはいけない、手を伸ばしてはいけない、神聖なものだと思っていた。そう、白妙は有仁の小さな世界の、絶対的な神様だった。
 けれど、思い返せばわかる。白妙はひとりでただただ泣きじゃくる小さな女の子だったではないか。神様でもなんでもない、ただの女の子なのだ。
 今このとき、自分の手をとる、有仁にとっては特別な。
「白妙」
 家の中に入って、祝言をあげる。それだというのに、有仁は白妙の手をとり、口を開いた。
 今このときに告げるのが相応しいと思った。
「あいしてるよ」

 白妙はただ、うれしそうに咲った。


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