50title For you(可憐な王子/ルイ・リノル)

君には敵わない

 リノルアースを取り囲む紳士たちを掻き分けて、ルイはその足元で跪く。
 これが今夜の最後のダンス。婚約者にだけ許される、特別な、特別な、一曲。

「踊っていただけますか? リノルアース様」

 乞うように手を差し出すと、リノルアースはその青い瞳でルイを見下ろし、そして艶やかに微笑んだ。身に纏うドレスは胸元から裾にかけて濃い紅色から薄紅色へとグラデーションになっている、花のようなドレスだった。まさしく、今夜咲き誇る大輪の花だ。
「随分と迎えが遅いんじゃなくて?」
 待ちくたびれたわ、と告げながら、リノルアースはその細い指先をルイの手の上に乗せた。
 流れ出した音楽に合わせて、ルイがリードする。腰に回るその腕が、少したくましくなったな、とか。背が以前よりも高くなっていて、目を合わせるのがさらに辛くなったな、なんてリノルアースは思う。
 同じなのに、別人のように感じるのは、それだけ彼の中でさまざまなことがあって、それをすべて飲み込んで、自分のものにして、ここに戻ってきたからなのだろう、と。
「……視線がすごいですね」
 苦笑しながらルイが呟く。
 リノルアースにとっては日常のものだが、それでもやはり、今日は一段と注目を浴びている。それもそうだ、今日この場で、アドルバードとリノルアースの婚約者が決まったのだから。視界の端ではアドルバードとレイがダンスしている。
 夜会の前から婚約者は誰なのか周知の事実ではあったものの、やはり国の後継者と噂の姫君の相手ともなれば皆気になるのだろう。
「しれっとしてなさいよ。何も貴公子のように微笑んでいろとは言わないから」
「そうします」
 もともとダンスが得意というわけではないルイは、緊張しているようだった。
 視線を投げかけてくるのは物好きだけではなく、リノルアースに未練のある者もいるし――ルイに愛想を振りまいている令嬢もいる。
 アヴィランテの皇子という玉の輿が目の前にやってきたものだから、ご令嬢たちにしてみればどうしてもっと前に、ルイが騎士であった頃にアプローチしていなかったのだろうと悔しくて仕方ないのだろう。
 馬鹿ね、とリノルアースは笑う。
 ルイがアヴィランテの皇子なんてものになったのは、私が欲しかったからなのよ?
 そんな事実を知らない令嬢たちは、リノルアースを嫉妬に溢れた目で見てくるが、そんなもの気にもならない。ただの騎士だったルイは気にもかけなかったくせに、大国の皇子となった途端手のひらを返す女などにくれてやるものか。
 あんな女たちを気にするほど、リノルアースは焦りなど感じない。けれど。
「……鬱陶しいわね」
 ぽつり、と零したリノルアースの言葉にルイは「はい?」と顔色を変える。リノルアースの機嫌の低下を感じ取ったようだ。
 ダンスはもうすぐ終わる。夜会も終了だ。
 手を打つなら早いほうがいい。

「――そういえば、三倍にして返してやるって言ったわね」

 にっこりと微笑んだリノルアースが、音楽が終わるとともに、お辞儀をするのではなくルイの首に腕を回す。
「リ、ノル様!?」
 背の高いルイが身をかがめるような形になって、リノルアースはヒールを履いた状態からさらに背伸びをして、キスをした。
 さすがに人前ということもあり、触れるだけのキスだ。けれど――長い。
 きゃあという声やらざわりとざわめく周囲の声が聞こえる。一番うるさいのはアドルバードの「なにしてんだおまえらあああああああ」という絶叫だったが途切れたので、おそらくレイあたりに止められたのだろう。
 たっぷり長く、二十秒近く。
 ゆっくりと離れたリノルアースは、ルイの唇についた自分の口紅の色を見て満足げに笑う。

「私のものになりなさい、ルイ・バウアー」

 艶然と微笑むリノルアースに、顔を真っ赤に染め上げたルイは白旗を上げる。
「もうとっくに、あなたのものでしょう……」
 完全に不意打ちの奇襲に、さすがにルイも応戦できない。というよりも、周囲の目が多すぎて羞恥心で死ねる。
 ルイの降参宣言に、リノルアースはふふ、と微笑む。
 その嬉しそうな笑顔に、ああもう一生負けたままでいいか、とルイが思っているなんて、さすがのリノルアースも知らない。















 晴れて婚約者となった、記念すべき夜だ。
 たくさんの目撃者がいる前で熱いキスまでしたというのに、夜会終了と同時にリノルアースとルイはアドルバードから説教されていた。
「リノル、俺はおまえをあんなはしたない女の子に育てた覚えはありません」
「私はアドルに育てられた覚えがないんだけど」
「反論すんな。さすがにあの場であれはないだろ! おまえもう少し慎みをもて! 慎みを!!」
 レイも同席していたがアドルバードを止めないあたりで、リノルアースの暴挙を少しは怒っている……のかもしれない。心底怒っているのであればもっと怖いので、まぁ呆れられているくらいかもしれない。
「うっさいわね、ルイに愛想振りまいてる女の視線が鬱陶しかったんだもの。あの場で堂々と私のもんだって主張しておかないと」
「もうちょっと穏便な方法はないのか!」
「やるからには徹底的に叩き潰さないと、あとから湧いて出てきたら嫌じゃない?」
「おまえらは半年も待てば結婚だろうが! 婚約期間長いのはこっちなんだよ!! レイを狙う野郎どもの多さを考えただけで俺も腹立つわ!」
「アドル様、私情が漏れ出てますよ」
 溜め息を吐き出しながらレイがアドルバードに口を挟む。ルイは双子の口論を聞きながら小さくなっていた。懐かしいやり取りではあるが――なんだろうか、この変わらない肩身の狭さは。
「だってレイ!」
「アドル様?」
 いいかげんにしろ、とレイが微笑むと、アドルバードは口を閉ざした。
「リノル様もお気持ちは分かりますが、立場をお考えくださいね。これでもルイはアヴィランテの皇子という立場なんですから」
 それと、とレイがルイを正座するルイを見下ろす。
「ルイ、おまえは明日から父上のところで稽古を受けるように」
 微笑みながら下された宣告は、騎士団の間では最も過酷とされる罰だった。
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