50title For you(エルンガルド/ライナス・アリア)

君は変わらずにいて


 ライナスが旅に出て、もうすぐで一年が経とうとしている。

「マリーさん、買い物行ってきます。何かいるものありますか?」
 町はずれのこの家に、他人の私がいつまでいていいのだろう、という考えが浮かぶくらいには、私も大人になった。カイルはとっくに独り立ちして、本当の息子であるライナスもいないのに。けれどマリーさんもレギオンさんも、気にすることはないと笑う。
「うーんと、ハーブがいくつかなくなりそうだから、お願いしていい?」
「はい、もちろん」
 ストールを羽織って買い物籠を持つ。レギオンさんは自警団のほうへ行っている。ライナスが旅に出てからというもの、家を留守にするような依頼は断ってくれているそうだ。女二人にするのは危ないから、と。本当に頭が上がらない。
 市場には活気が溢れていて、今朝水揚げされたばかりの魚が並んでいる。
「アリア! 寄って行かない?」
 たくさんの野菜に囲まれて、一人の青年が声をかけてきた。今日野菜を買う予定にない。実のところ、小さな家庭菜園すらあるあの家にはあまり用のない店なのだ。
 そして、彼が向けてくれている好意にも気づいている身としては、あまり期待を持たせるつもりはない。人の目を恐れ生きてきたからか、他人から向けられる感情には聡いほうだ。好意も悪意も。幸い、この町で悪意を向けられるなんてことはないけれど。
「ごめんなさい。今日は特に用はないし、他に買い物があるから」
 一度話し始めると彼は長くなってなかなか帰るタイミングを逃してしまう。足早に去ろうとする私に「あっ」と彼は名残惜しげに声を漏らした。ライナスも、こんな気持ちだったのだろうか、と胸が少し痛くなる。
「アリア! 今年の花祭りは――」
 叫ぶ彼の声を聞こえないふりをして、人混みに紛れた。

 あと少しで、エルンガルドの花祭り。恋の季節がやってくる。




母さんが死んだとき、双子の弟と、手に手を取り合い支え合って生きていくしかないと思った。
 それがどうだろう。ある日突然現れたヒーローは、いともたやすく私たちを外へと連れ出して、想像もしていなかった平穏な暮らしを与えてくれた。守られてやさしくされて、それで好きになるな、なんて無理がある。
 けれど、私はライナスが思っているほど子どもじゃない。
 彼以外の何人からか愛を告げられたこともある。そのたびに私は首を横に振り続けた。なかにはなんてもったいないことを、なんて言われる人も、いなかったわけじゃない。
 どんなに好条件の人が集まっても、それは私の王子様じゃない。
 私の王子様は、ただ一人。
 お人好しで臆病者で、ずるくてやさしい、ライナス・オールディスという、ただ一人なのだ。

「アリアは男の趣味が悪い」

 一通り買い物を終えると、ちょうど休憩に入っていた双子の弟は呆れた顔でそんなことを言い出した。
「……恩人に向かってその評価はどうかと思う」
「男としてはこの上なくいい男だと思うよ。ああレギオンさんには負けるけどね。でも恋人にする男という点ではどうかと思う」
 なんせ逃げ癖がついているしね、とカイルは零した。
 弟の現実的で厳しい評価に、私は小さく笑った。そうだろう、彼はやさしいというより、優柔不断というほうが合っている。
「どこがいいの?」
「全部」
「はー……恋は盲目だな」
 救いようがない、とカイルは天を仰いだ。そういうカイルは、最近親しい女の子がいるとかで休みの日は予定が埋まっていることが多い。まったく、ちゃっかりしている。
「盲目じゃないわ。そこまで馬鹿じゃない」
 恋に恋して、何もかもが素敵に見えたのはそれこそ最初の頃だけだ。
 人間なんだもの、弱いところも欠点があるのも知っている。私はライナスを信仰しているんじゃない、ただ人として愛しているだけだ。
「かっこいいところも、かっこ悪いところも、全部含めてライナスだもの」
 白馬の王子様に恋しているんじゃない。生身の彼を愛しているのだ。
 それが、本人には伝わっていないのだろうけれど。
「のろけか」
「のろけたいのはそっちなんじゃないの」
 知っているんだからね、と睨むと、カイルは誤魔化すように笑った。立ち上がりながら私の肩をぽんぽん、と叩いた。昔は同じだった身長は、今では随分と差が出ている。
「大丈夫だよ、アリア」
 慰めているのか、励ましているのか――きっとどちらの意味も含んでいるその声は、少し楽しげだった。

「彼、臆病者だからさ。たぶんそろそろ限界だよ」

 彼、という言葉が指し示すのはライナスで間違いないのだろうけれど、言葉の意味はさっぱりわからない。首を傾げても休憩を終えたカイルは手をひらひらと振って行ってしまった。


 潮の香りと一緒に、甘い花の匂いがした。
 エルンガルドの恋の季節。毎年この時期が来るたびに、期待しては裏切られる。ライナスが私に花をくれたことは、一度だってない。
 ――この分だと今年も、欲しい花はもらえないのだろう。

 かっこよくなんかなくていい。
 臆病者でいい。

 私が好きなのは、たった一人のライナスなのに。



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