50title For you(犬系男子)

君が好きなものを知らなくて

 キーンと冷える外から戻って、慌てて部屋の暖房を入れる。小さなこたつは魔性の兵器だけど冬には最強の暖房具でもある。
 コートを脱いで一息ついた頃、まだ部屋のなかは温まっていない。
 ピンポーン、と犬がやってくる。
「……こんばんは、蒼さん」
 玄関を開けると、にっこりと尻尾を振っている大型犬がわたしの帰りを待ち望んでいたかのように立っていた。

「部屋、あったかくないですよ」
 ごはんを待つならきっと蒼さんが自分の部屋で待つ方が温かいと思う。
「俺、体温高いから平気だよ? バイトお疲れ様」
 今日は日曜日だ。たぶん蒼さんは普通にお休みだったのだろうけれど、わたしはバイトがある。というか、あまり出歩かないから、土日で出かけるなんて基本的にはバイトだけだ。言っておくけど、友達がいないわけではない。
「何か手伝おうか?」
 小首を傾げて台所に立つわたしに問いかけてくる大型犬。年上の男の人なのにかわいいと思わされるしぐさだ。
「大丈夫ですよ」
 というか、一人暮らし用の台所じゃあ二人並ぶと狭い。まして蒼さんみたいに長身の男の人だと余計に。
 今日はハンバーグがいいなと思っていたところだ。焼くだけの状態にして冷凍していたからすぐできる。ついでだからコンソメスープでも作ろう。
 あれ、そういえば蒼さんにごはんを作るようになってだいぶなるけど、嫌いなものって聞いたことない。
「……蒼さん、嫌いなものあります?」
 ひょこっと顔を出して問いかけると、蒼さんは顔だけ振り向いて「ないよー」と笑う。
 そりゃあそうか。今まで苦手だって食べ残したこととかないもんなぁ。偉いなぁ。わたしは嫌いなものとか普通にあるんだけど。
「――ん?」
 あれ、そういえば?
「どうかした? 怪我でもした?」
 わたしが変な声を出したからだろう。蒼さんが顔を出して問いかけてくる。
「あ、いえいえ大丈夫です。もうすぐできますから」
「ん、ありがとう」
 慌てなくていいからね? と微笑んで蒼さんはコタツに潜り込む。

 ――もしかして、わたし蒼さんの好きなものも知らないんじゃないか?

 ハンバーグを皿に盛りつけながら冷や汗が流れる。まてまてまて、わたし蒼さんとこうしてごはんを一緒に食べるようになって半年以上経つのに?
 さすがにそれってどうよ……?
「おお、デミグラスソースだ」
 おろしハンバーグもおいしいけど今日は洋風な気分だったんですよ。中にチーズも潜んでいますよ。っていやいやそうじゃなくて。
 蒼さんの好きなものかぁ。洋風、でも別によく食べているし、ごはんでもパンでもなんでもいける。中華も和風もわりとなんでも作ったけど、残されたことは皆無だ。甘いもの――も食べているっていうか蒼さんたまに買ってくるよねお土産に。なんでもおいしく食べるから、どれが一番好きかってわからない……!
「……蒼さんって、好きな食べものあるんですか?」
 駄目だ、ギブアップだ、と質問してみる。
 蒼さんはコンソメスープを飲みながら「うん?」と首を傾げた。
「なんでも好きだけど、なんで?」
 なんでもかよ。
 ――っていうつっこみは心の中に留めておく。顔には出たかもしれない。
「そういえば知らないなって思って」
「知ってたら作ってくれる?」
 うれしそうに笑いながら問いかけてくる蒼さんの、その目だけはじっとわたしを見ている。どき、と心臓が怯えた。
 かわいいだけの飼い犬は、ときどき猟犬の目を見せる。しかしそれ以上は起きたことがない。ただ狩られる前の獲物になったように気分にさせられるだけ、で。
「作り、ますよ。そりゃ」
 あ、口籠ってしまった。
「ふぅん?」
 な、なんだよその顔は。じりじりと胸の内を焦がされるような感覚に逃げたくなる。逃げるってどこにだ。ここわたしの家じゃないか。
 くすくすと笑った途端に、蒼さんがただの人懐っこい大型犬に戻る。
 じゃあ教えてあげる、と蒼さんはささやくように告げた。

「楓ちゃんの手料理」

 にっこりとうれしそうに、蒼さんは言った。
「……はい?」
「楓ちゃんの手料理、が俺の一番好きな食べものかな」
 聞き間違いじゃなかった!
 うわああなにそれ恥ずかしい! よく言えますねそんなセリフ!!
「……つ、次、何食べたいですか」
「お鍋がいいなぁ」
「ふ、二人で鍋ですか?」
「小さいお鍋売ってるでしょ。買ってくるよ」
 いやいやそう言って蒼さん数か月前に圧力鍋買ってきましたよね。蒼さんは使わないのにね!
「たのしみだね」
 にこにこ、と笑うたびにあるはずもない尻尾がぶんぶんと振っているように見える。

 まぁいいか、と思ってしまうあたり、わたしはこの犬にほだされてる。



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