50title For you(グリンワーズ/レギオン・マリーツィア)

君の寂しさが伝わる

 幼いライナスは、この頃「もしも」ごっこに夢中だった。もしも明日雨だったらどうする?もしも夜におばけがきたらどうする?最初はそんな他愛ないもので、マリーツィアもレギオンも苦笑しながら付き合ってやっていた。
 しかし子どもは時に無邪気で残酷だ。


 ライナスはまず父親を捕まえた。あのねあのね、と楽しげな瞳に妻を思い起こしながらレギオンもやってくるであろう面倒な問いに苦笑した。
「もしも、おとうさんとおかあさんが会っていなかったらどうする?」
 父なら良い答えを出すだろう、とライナスの目は期待に輝いていた。
 どんなものにも、仮定は生み出せる。ライナスが問うように、レギオンとマリーツィアが出会わない道も、確かにあったのだろう。
 たとえば、レギオンが騎士団に入らなければ。
 たとえば、レギオンが目を負傷しなければ。
 あの森へ、行くことがなければ。
 けれどそれらの「もしも」は、思い浮かべてみたとしても欠片も想像できない。
「………そのもしも、は絶対にないもしもだよ、ライナス」
 レギオンが穏やかな笑みを浮かべ、しかしはっきりと告げるとライナスは首を傾げた。
「どうして?」
「どうしても、だ。お父さんとお母さんは、絶対に出会う運命だったんだよ」
 ――運命という言葉は、好きではないけれど。
 しかし、この言葉はこういうものにこそ使うものなのだろう。レギオンとマリーツィアは出会うべくして出会った。そして出会えばどんな道をたどったところで、行き着く先は同じであったように思える。
「絶対なの?」
「絶対だよ」
 くしゃり、とライナスの頭を撫でてレギオンは言い切った。
「お母さんには秘密な」
 なんでも母親に話してしまうライナスに釘をさす。さすがにこれは、気恥ずかしい。今さらこんな熱烈な告白を、しかも息子経由で伝わったりしたら。
「ひみつなの?」
「男と男の秘密だ、約束な」
 こういうときの男心の掴み方はわかっている。案の定ライナスは使命感を刺激されて力強く頷いていた。


 マリーツィアが家の裏で洗濯物を干しているときだった。おかあさん、とライナスが何かたくらんでいるような顔で駆け寄ってくる。ああきっとまたもしもがくるな、とマリーツィアは苦笑した。簡単な答えが返ってくる問いではつまらなくなったのか、ライナスは答えに悩むようなもしもを投げかけてくるようになっていた。
「どうしたの、ライナス」
 あのね、と見上げてくる瞳は見下ろすマリーツィアと同じ色をしている。
「もしも、おとうさんとおかあさんが会っていなかったらどうする?」
 笑顔でその仮定を投げかけてくる息子に、マリーツィアは言葉を失った。ライナスは父親と同じ答えを出すのだろう、と期待していたのだ。それこそ運命みたいじゃないか、と。
 ――もし、あの森で、レギオンと出会っていなかったら?
「………どう、なっていたんだろうね」
 マリーツィアにはその仮定の答えは導き出せない。レギオンと出会っていなかったら。きっと、そう、マリーツィアはマリーツィアですらなかった。
 母親の泣きそうな顔に、ライナスのほうが今にも泣き出したくなった。ただ、そう。マリーツィアの口からも運命だったのよ、なんて言ってもらえたらそれこそすごいことじゃないだろうかと、そう思っただけなのだ。悲しませたかったわけではないのだ。
「だ、だいじょうぶだよ!」
 ライナスは慌ててマリーツィアの服の裾を掴んで口を開いた。
「おとうさんが、おかあさんとおとうさんは出会う運命だったんだよっていってたから! だから、だいじょうぶだよ!」
 ライナスの言葉に、マリーツィアは目を丸くする。ああそうか、同じもしもをレギオンにも投げかけていたのか、とその時知った。
 そしてレギオンは答えたのだという。お父さんとお母さんは、レギオンとマリーツィアは、出会う運命だったのだと。必ず出会っていたのだと。
 その答えが正しいかどうかなんて、マリーツィアにはわからない。けれど、この胸の奥から溢れるいとしさは、間違いなくレギオンとライナスに向けられたものだ。
「……ありがとう、ライナス」
 母親を必死に慰めようとがんばった息子に微笑みかけると、ライナスはほっと安堵したあとで、しまった、という顔をした。
「…………今の、ひみつなんだった」
 約束やぶっちゃった、とライナスはしょんぼりうなだれる。
 くすくすと笑いながらマリーツィアは内緒話をするようにしゃがんで、息子と目線を合わせた。
「じゃあ、これも秘密にしちゃおうか。お母さん、なんにも聞かなかったよ?」
 こういう裏技は、あんまり使わないほうがいいんだろうけれど、とマリーツィアは笑う。
「これもひみつ?」
「そう、秘密。だからこれは、もう誰にも話しちゃダメだよ」
 ライナスはにんまりと笑って「わかった!」と答えた。


 洗濯物を全て干し終えて、家に入る。ちょうどレギオンが家にいて、座って本を読んでいるようだった。座っていても、その背中は広い。
 マリーツィアはそっと歩み寄って、レギオンに後ろから抱きついた。マリーツィアが入ってきたことには気づいていたのだろう、レギオンは驚いた様子もなくどうした、と問う。
「だいすきよ、レギオン」
 どうした、の問いに対する答えなど持っていなかった。だからマリーツィアはレギオンの肩に頬を埋めて囁いた。
 ああ男の約束は破られたかな、とレギオンは苦笑して、そっとマリーツィアの髪を撫でた。
「……だいすきよ」
 再度繰り返すマリーツィアの言葉に、彼女が「もしも」になんと返したのか想像する。きっと彼女は、答えられなかったに違いない。寂しさの滲む妻の声は、遠いあのグリンワーズを思い出させた。
『願ったら、殺してくれる?』
 無邪気に残酷に、死を乞う少女の面影がふと蘇る。
「もしもは、どうあってももしもだろ」
 振り返ってマリーツィアを見上げると、彼女は苦笑を零す。わかっていても、染みついた記憶が不安にさせるのだろうか。
 マリーツィアの手を引いて、膝に乗せる。小柄な彼女は包み込めるくらいに華奢だ。
「おまえが俺の運命だった、そういうことだよ」
 マリーツィアはくしゃりと笑って、レギオンの首に抱きついた。



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