50title For you(金の姫/キリル・フラン)

君より勝る想いがある

 ある日、フランディールが思い詰めるような顔で兄夫婦のもとを訪ねてきた。

「恥を忍んで、おふたりにお聞きしたいことがあります」

 事前に話がしたいと言われていたので、セオルナードもカーネリアも当然そろっている。ソファに座って、フランディールは顔を赤くしたり青くしたりしてようやく口を開いた。
「あの、その…………普通の夫婦って、………………あんなに…………す、するものなんですか?」
「は?」
「……はい?」
 思わずセオルナードもカーネリアも言葉を失った。
「まて。そういう話は少なくとも女同士で」
「お兄様もいなくちゃ夫側の意見がわからないじゃないですか!!」
 涙目の妹に、セオルナードもう、と言葉に詰まる。そもそも夫婦生活でいえば、そちらの方が長いだろう。
「お父様たちに相談したらお父様が泣くか怒るかその両方かで相談にならないだろうし、かといってお義母さまに言ったら最後、キリルが生きて帰ってこないような気もするし、おふたりにしか相談できなかったんです……!」
 フランディールが泣き崩れるように叫ぶので、セオルナードも強く言えなかった。それは、その、とても容易に想像できる。
「よ、夜のこともですけど、なんか、その、キリルがいつまでたっても甘い……!甘すぎるんだものなんなのあれは別人じゃないの!?」
 フランディールの言いたいことも分からなくはない。キリルの妻の溺愛っぷりは城でも有名だった。
「新婚の間だけよなんて皆に言われたんですけど、もう新婚とも呼べないですよね!?」
 結婚して一年以上経ったのだから、確かに新婚とは言い難いかもしれない。
「あ、愛されているのならよいことでは?」
 カーネリアが困ったように微笑みながら告げるが、フランディールは顔を赤くしてまた青くして、ため息を零した。
「……日常生活に、支障が……」
 曰く、朝に起きれない。曰く、日中も動けない。曰く、動ける日でもキリルがいると隙あらばフランディールを捕まえて膝に乗せたり抱きしめていたりと実に甘ったるい。
 ――セオルナードは頭痛を噛み殺しながら今度会ったときに従兄弟を殴ろう、と決意した。
「嫌というわけではないですけど、でも、その、普通じゃないですよね……?」
「そ、うね……」
 苦笑いを零したカーネリアは、ふと思ったことを告げる。
「彼は独占欲の強い人には見えなかったのだけど、そうでもなかったということかしら」
「……独占欲?」
「ええ、フランが自分のものだって声高に主張しているように見えるのだけど」
 カーネリアの妙に的を射たたとえに、セオルナードは「ああ」と納得した。そうか、そういうことか。
「まだ、夢見心地なんだろうな」
 夢見心地?とフランディールは首を傾げた。たぶんこの感覚は、彼女にはわからないだろう。
「長いことおまえに恋い焦がれて、ようやく手に入れて、まだ現実と思えていないのかもしれない。あいつは、おまえと結婚するつもりはなかっただろうし、できるとも思っていなかっただろうから」
 セオルナードが告げると、フランディールは刺されたような、そんな痛い顔をした。
 ――きっと、キリルはまだ信じられないのかもしれない。自分の腕の中に、フランディールがいるというその現実を。だから確かめたくなるのだろう、行き過ぎた愛情表現で。
「おまえは知らなかったかもしれないが、キリルにとっての一番も特別も、ずっと前からおまえだけだったよ」
 少なくともセオルナードの目にはそれが明らかだった。
 フランディールは泣きそうな困ったような顔のまま、静かにうつむいていた。




 こういう夜に限って、キリルの帰りは遅い。
 今朝に先に寝てろよ、と言われたことを思い出したが、フランディールは寝台に腰掛けたままカチコチという時計の音を聞いていた。
 ――まだ、夢見心地なんだろうな。
 セオルナードから告げられた言葉が頭の中で反響する。ああそうか、とフランディールにもキリルの溺愛の理由が分かった。
 どれほどぼんやりしていたのかわからないが、がちゃりと扉があいたときには夜も更けていた。蝋燭の灯りが、帰ってきた夫を照らしている。
「フラン。おまえまだ起きてたのか」
 寝てろって言ったじゃん、とキリルは笑う。その顔は、昔から変わらない愛嬌のある笑顔だ。ただいま、と少し熱を帯びた声が落ちてくると同時に眦に、頬に、キスが落ちてくる。
「……ねぇ、キリル」
 いつもならキスの嵐にたちまち赤くなるフランディールだったが、今日は冷静だった。キリルの頬を両手で包み込んで逃がさないと言わんばかりにまっすぐに見つめる。

「何を、そんなに怯えているの?」

 夢見心地で、浮かれている。それだけなら、よかったのかもしれない。けれどこの青年は、それほどまでに愚かではない。
 この苦しいほどまでの愛情表現は、逃避なのだ。
 緑色の瞳が驚いたように見開かれた。
「……確かに、片思いの長さで言えばキリルの方が長いのかもしれないけど、けど私、キリルの奥さんなの。結婚したの。死が二人をわかつまで一緒にいるって、誓ったの」
「うん?」
 キリルが困ったように笑いながらも、フランディールの言葉に耳を傾ける。
「だから、そんなに不安にならなくても私はキリルの傍にいるし、キリルを嫌いになったりしないわ」
「……遅くまで起きてて何を言い出すと思えば、おまえどうしたの」
「お兄様が、キリルはきっとまだ夢見心地なんだろうなって」
 それだけ白状すると、キリルは「あー……」と苦笑した。
「間違ってない。今もこれが夢なんじゃないかな、とは思ってる」
「夢じゃないから」
 フランディールがキリルの頬をひっぱると、「いて」とキリルは思わず声を上げた。
「……男の人も痛い思いをすればいいんだわ。そうすれば嫌でも現実だってわかるでしょ」
 むすっと頬を膨らませてフランディールが呟くと、キリルが「へ?」と声を零す。
「痛い思いはそんなにさせた覚えないけど……て、いてててててフランさん痛い痛い」
 そりゃ今はそうかもしれないが初めての時はもちろん痛かったし――ってそういうことを話しているんじゃないのだ今は、とフランディールは頬を赤くしながらまたキリルの頬をつねる。
 もういいか、と満足したところで手をはなすと、キリルの頬は赤くなっていた。
「愛の深さなんて計り知れないけど、それでもねキリル。私は神様にだってあげたくないしあげるつもりはないの。それくらいは、あなたが好きなのよ」
 きょとん、とキリルは目を丸くして、そしてやがて照れたように「あー」「うー」と唸る。
「…………おまえさ、そういう殺し文句どこで覚えてくんの……?」
 頭を抱えたまましゃがみこんで、キリルは小さく呟いた。
 殺し文句? と首を傾げるフランディールに、キリルは「無自覚かよ」と笑った。
「惚れたほうが負けってのは真実だよなぁ……」
 キリルは髪を書き上げながら苦々しく呟いて、フランディールを抱きしめる。薄い夜着にガウンを羽織っただけの身体は少し冷えていた。
「俺無しで生きていけなくなればいいのにって、わりと本気で思ってる」
「……とっくにそうなっているつもりなんだけど」
「…………フランさん。とりあえず俺の心臓持たないから黙ろうか」
 どういうことだ、と抗議しようとしたフランディールの唇を塞いで、キリルはその甘さに酔いしれる。今まで何度も交わしたキスよりもずっと、身近にいとしい人のぬくもりを感じた。


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