50title For you(ひみつの森に降るアリア)

君の声は透明で

――歌が、聞こえる。

 城の庭から続く森にひとたび足を踏み入れると、奥へ奥へと誘うような歌声が響いている。まるでその歌声がひかりを集めるかのように、森の中は燦々と木漏れ日が落ちている。
 神殿の前に広がる、王花たちは色づいて、誇らしげに咲いている。
 黒く真っ直ぐに伸びた彼女の髪が、歌い、くるりとまわるたびに広がっていた。歌声に、その姿に、しばし見惚れて聞き惚れていると、ぷつりと声が止んだ。

「陛下」

 紺碧の瞳が、こちらを見ている。
 ああ、やめてしまったのか。もっと、もっと聞いていたかったのに。
 即位からひとつきほどが経った。慌ただしい日々もどうにか落ち着きを取り戻し、今はこちらの様子を伺っている狸の化けの皮をどうはがしてやろうかと考えている頃合いだ。正直な話、疲れていた。
「顔色が、悪いですよ」
 あまり休まれていないんでしょう、と彼女は心配そうにこちらの顔を覗き込んだ。
「城の中では気が休まらない」
 信頼できるものは数人だけ。貴族の大半はまだ信用ならない。幼き王よと侮られることだけは、許せない。子どもだからとあいつらの掌で踊るつもりは初めから欠片も持ち合わせていない。
「だから、ここへ来たんでしょう?」
 くすりと微笑みながら、彼女は王花に囲まれて腰を下ろす。まだ蕾のままの王花は、彼女の歌声を今か今かと待ち望んで、その花弁を広げることを夢見ている。
 この森の空気はどこまでも澄んでいる。彼女が歌うたびにひかりに満ちて、風がそよぎ、何度も何度も生まれ変わっているようだ。
「エル」
 こちらへ、と手招きする彼女の傍へ歩み寄る。
 誘われるがままに隣に腰を下ろし、そして彼女の膝に頭を預ける。木々の合間から見える高い空を見上げながら「リーズ」と名を呼んだ。
「歌を」
 歌ってほしい、と。
 乞うとリーズは微笑んで、やわらかな旋律を紡ぎだす。歌声を待ち望んでいた花は、ふわりふわりと綻んで咲き始めた。周囲に咲き誇るのは、安寧の緑。くすりと笑って、零れ落ちる彼女の黒髪に触れた。
 驚いた彼女が一瞬歌を途切れさせるが、その紺碧の瞳を見上げて「続けて」と告げる。
「歌ってくれ、もっと」

 ――私の歌姫。

 響き渡るアリア。彼女の歌声は、花に色を与えるというのに透き通るような清純さで満ちている。
 
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