親から落ちた爆弾発言に開いた口が塞がらない。
「それでね、翠くんをウチで預かることにしたの」
にっこりと微笑む母。預かることにしようと思うの、でも預かりたいんだけど、でもない。したの。断定だ。つまりもはやあたしに拒否権はないということだ。
翠くん、とは両親の友人の息子さんの名前だ。
なんでも翠くんの御両親、つまりうちの親の友人である彦坂さんの海外転勤が決まったらしい。まだ高校二年生の翠くんは日本の高校を卒業したい、ということで残ることになったのだが。
「お兄さんの蒼くんは東京で働いているじゃない？ そっちの高校に転入って手もあるけど、面倒だし。一年とちょっとくらいならウチで預かるわよって」
大学が決まればもともと一人暮らしをする予定だったらしい。ならその予定を繰り上げて一人暮らしでいいんじゃないの、というあたしの意見は無視だ。ガン無視だ。
「預かるって、犬や猫じゃあるまいし、勝手に決めないでよ」
「あら、だってこの家はお母さんの家だもの。あきはちゃんはもう立派に成人しているんだから、嫌なら出てもいいのよ？」
ぐ、と言葉に詰まる。
郊外に建てられた一軒家小さいけれど庭付き、駅まで徒歩十五分という素晴らしい我が家から出るつもりはこれっぽっちもなかった。だからこそ大学だって首都圏ではなく地元の大学にしたのに。
「家はお母さんのものでも、家事をしているのはあたしなんだけど」
「働かざるもの食うべからず、でしょ。お母さんが働いてこの家のローンを払いあなたを大学に通わせてあげてるのよ。忙しいお母さんに代わってそれくらいしてくれてもいいでしょ」
「それは納得してるよ、でもお母さんは忙しくてほとんど家にいないじゃない！ 若い男女がふたりっきりで一つ屋根の下って常識的に考えてやばくない？」
芸能関係の事務所に勤めているお母さんは出張や寝泊まりやらでほとんど家にいない。今日だって二週間ぶりくらいに顔を合わせる。最高記録だと半年顔を合わせなかった。
「別に避妊さえちゃあんとしてくれればお母さんかたいことは言わないわよ？」
あきはちゃんも学生だけど大人だし？ とあけすけな母の言い分に肩を落とす。そうだ、この人になにを言っても無駄だった。
「一応あきはちゃんの部屋には鍵だってついているし、気をつければ夜這いの心配なんてないわよ」
からからと笑って「じゃあよろしくね」とウィンクして母は出て行く。自由すぎるだろう、いくらなんでも！
抵抗は無駄だと判断したあたしは平穏かつ平和に一年ちょっとのドキドキ☆高校生男子との同居生活を乗り切ることに決めた。相手は一応は知った人間というだけでもありがたい。見知らぬ他人相手はさすがに嫌だ。
「どうも」
というあたしの考えは木っ端みじんに砕け散る。
同居開始一日目の土曜日、我が家にやってきた翠くんには昔の面影などなかった。
真っ黒な黒髪は今時の高校生にしてはめずらしく染めた形跡がない。白い肌はまるで日に焼けていなくて、すらりと背の高い、美男子になっていた。
あのちっこい翠くんはどこへいった！！
「ひ、ひさしぶり」
女は化粧で化けるけど、男の子の成長期をなめていた。１６０センチを越えてるあたしも女としては背の高めの部類だけど、翠くんは当然あたしよりも背が高い。ざっと見て１７５センチってところかな。高校二年だから、もしかしたらこれからもっと伸びるかも。
「部屋はここを使って。疲れただろうから休んでいていいよ」
「ん」
口数も少なくなったなぁ。昔はどちらかというとぎゃあぎゃあうるさいタイプの男の子だったんだけど。
「お昼食べた？」
「まだ」
「じゃあ何か作るよ。できたら呼ぶね」
冷蔵庫になにが残っていたかな、と思い出しながら考える。このあたりはもちろん慣れている。我が家のキッチンはあたしの城だからね！
「いらない。ほっといて」
ぷいっと翠くんはそっぽを向いて、部屋に籠もる。ううーん、あれか、反抗期ってやつなのか？ 一人っ子だったからここらへんどうにも対応できない。
まぁ子どもじゃないんだし、お腹が空けば部屋から出てくるだろう。コンビニだってあるしわざわざあたしが作ってあげることもないかな、と結論づける。
なんとなく自分の部屋でくつろぐ気分にもなれずにリビングでだらだらとテレビを観ることにした。だってあたしの部屋翠くんの部屋の隣なんだもん。気になるでしょ、いろいろ。
にしても土曜日の昼間はおもしろい番組がない。これなら平日昼間のサスペンスのほうがまだ暇をつぶせるよ、とぼけっとしていたところで携帯が鳴った。
蒼くん、という文字を確認して電話に出た。
「もしもし？」
『もしもし、あきはちゃん？』
向こう側から聞こえるのは人懐っこそうな青年の声だ。あたしより二歳年上、今年社会人になったばかりの翠くんのお兄さんだ。
『翠はどう？ あいつ人見知りっていうか神経質なところあるから』
「あはは。今は部屋に籠もってるよ。そっとしたままがいいかなぁと思って」
『ごめんねー。懐いたら懐いたで面倒な奴なんだけどさ。たぶん新しい環境に緊張しているだけだと思うから、数日すればけろっとしてるよ』
それはなにか、野生動物か何かですか。
「気にしてないから大丈夫。蒼くんも仕事たいへんでしょ、がんばってね」
『うわー。あきはちゃんやさしいー』
お兄さんがんばっちゃうよ、と笑いながらその後は雑談をして電話を切った。ふむ、翠くんは蒼くんの人懐っこい性格を分けてもらうべきだと思う。
翠くんはあれだな、野生動物っていうか野良猫に近いな。人に警戒してなかなか近寄ってこない感じ。
そんなことを考えていると、とんとん、と階段を下りてくる音が聞こえた。時計を見ると午後三時過ぎだ。昼抜きで耐えるには限界だったかな。
そろりとリビングに顔を出した翠くんに、にっこりと微笑みかける。
「お腹空いた？ お昼に作ったピラフが残ってるけど、あたためようか？」
翠くんは図星をつかれたように頬を少し赤らめて、こくりと頷く。
ふふん、動物には餌付けが一番だよね！
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