3:安心できるスペースを作ってあげよう





 一夜が明けた。
 日曜日というとあたしは惰眠を貪るためのすばらしき一日なので、もちろん日アサのアニメもなんたらライダーも鑑賞いたしません。その時間は夢の中です。
 しかしコンコン、という鳴り止まないノックの音が目覚まし時計となってあたしは朝八時に目覚めましたとも。それでも遅いくらいだ? 女子大生なめんなよ、一限目はスルーして講義を組んでますからね! と現実逃避しているあたしを叱るようにまたノックが。
「……翠くん?」
「あきは、腹減った」
 おいこら呼び捨てか年下。
 あたしは君より三つ上なんですけどねって文句を言いたくなったけども、仕方ない。翠くんは昔から呼び捨てだった。
 ノックで起こそうという行動はおそらく鍵をかけているからだろう。だってほら、血迷った高校男子に襲われないとも限らないからさ。自意識過剰だって分かってるけども。翠くんの容姿ならこんなちんちくりんを相手にしなくてもよりどりみどりですよねー。
「……あきは?」
 低音ボイスで名前を呼ばれるとちょっとぞくっとしますね、はい。それは寝起きで寝ぼけているからだということにしておきます。
「ごめん、今起きた。着替えたらすぐ作るから待ってて?」
 さすがに髪はぼさぼさだしパジャマだしこのまますぐに顔を出すのは抵抗ある。まぁそんなのも最初のうちだけかもしれませんけどね。パジャマ姿は昨日寝る前に見られてますしね。すっぴんなんかは同居生活が決まったときに諦めてます。家の中でまでがっつりメイクして生活なんてめんどいって。
 ノック攻撃は止んだので翠くんは一階に下りたのだろう。さっと櫛で髪を整えて着替える。あとは顔だけ洗ってごはんにしよう。あー、何を作ろうかなぁ、と考えながらドアを開ける。
「おはよ」
 真横からかけられた言葉に、あたしは驚いた。いたのか!
「おはよう、ごめんね、すぐ作るね」
 翠くんはこくりと頷いてあたしのあとをついてくる。こらこら、あたしはキッチンより先に洗面所に行くんだよ。


 腹を空かせた翠くんのために手早く作れる朝食を準備せねばなるまい。結果あたしが選んだのは王道の目玉焼きだった。手抜きだなんて文句は受け付けない。
「翠くん、ごはんとパンどっちがいい?」
 ちなみにあたしは朝はパン派なんだけど、育ち盛りにパンは物足りないかな? と思ってごはんは炊いてある。
「どっちでも。あきはは?」
「あたしはいつもパン」
「じゃあパンでいいよ」
 はいはいそうですか、とあたしはトースターにパンをセットする。とりあえずマーガリンとジャムをテーブルに置いておきますよ。
 作っている間、翠くんはただ待つだけかと思いきやうろうろとあたしの周りとうろついている。落ち着きがないなぁ、と思いながらも邪魔にならない程度の範囲なのでほっておくことにした。
 いただきます、と翠くんはもぐもぐと食べ始める。随分待たせてしまったのか、それとももともとなのか、食べるペースが早い。二枚目も焼いているけど、その前に一枚目のトーストを食べ終わっちゃうんじゃないかしら。
「レモンのジャムおすすめだよ」
 ジャムは何種類かを常備している。けれどあたしがいくら勧めても翠くんは頑ななまでにマーガリン一択だ。保守派というか食わず嫌いなだけかな。
「ごちそうさまでした」
 翠くんは食べ終わったときの挨拶は欠かさない。真面目なのかなとも思うけれど掴めない。少なくとも、昔の翠くんはそんなに真面目くんではなかったはず。
 遊びに没頭すると周りが見えなくなって怪我をするような、そんなやんちゃ坊主だった。たとえばそう、木登りでどこまで上れるだろうなんてどんどん上まで行って、気づけばびっくりするくらい上に行っていて。竦む足でおそるおそる下りながら滑って落っこちたことがあったっけ。あのときはあちこち打撲して擦り傷だらけになっただけだったけど、運が悪いと骨折してるよ。
 しかし我が家にやってきた翠くんは、まぁひきこもりなのを抜かせば実にいい子ちゃんだ。こんな奴だったっけ? と首を傾げるけれど、まぁ数年会っていなかったあたしには判断できるわけないのよねぇ。
 朝食を食べ終わると翠くんは何も言わずに部屋に戻る。ううむ、家に居づらくて一日中外を出歩いているというよりはいいのかな? 少なくとも部屋ではくつろいでいるってことでいいんだよね?
 日曜の午前中のつまらない番組をぼんやりと見ていると、睡魔がやってくる。ああ、ねむい。そりゃそうだ、いつの一人の休日なら昼まで寝てるもの。そのうえ真面目にごはんを食べたから胃が満たされてて余計に眠気を増幅させる。
 ソファにもたれながらあたしは素直に目を閉じた。人間欲望には忠実であるべきだよ、うん。



 んぐぐ、なんか左肩というか左側が重くてあったかい。
 やわらかな眠りからじわりじわりと覚醒していくなかで、なんだか左半分からの圧力で身動きとれない。
「ふへ?」
 ようやく目を開けたところで、あたしは現状を把握できずに何度も瞬きを繰り返した。
 とりあえず、あたしにはなぜか毛布がかけられていた。おそらくというか絶対、寝ているあたしを見つけた翠くんがかけてくれたんだろう。この家にはあたしと彼しかいないんだから。
 そしてそのあたしの左肩にもたれて、翠くんが寝ている。翠くん、お部屋に戻らなくていいの? なんでここで寝てるの? うわ、近くて見るとやっぱり綺麗な顔してるわ。髪は綺麗な黒、緑の黒髪ってやつですね。翠くんだけにね。うん、あたし混乱してる。
「――ん」
 薄い唇から色っぽい声が漏れる。おいなんだこの色気。高校生男子、それあたしに分けてください。
 長い睫がふるりと震えて、翠くんが目を覚ます。
「えと、おはよう?」
 寝ぼけた目があたしをとらえる。うん、おはようだよ翠くん。時間的にはこんにちはで、お昼の準備をする感じですけど。
 しかし翠くんはゆるゆると開いたはずの目をまたゆっくり閉じて、今度はあたしの膝にころんと寝てしまった。ちょい、ちょい待ってくれ。寝るんかい!
 すやすやと気持ちよさそうに寝始めた翠くんを見下ろして、あたしはため息を吐き出す。つんつん、と頬をつついても起きる気配はない。

 うん、あれだ。
 たぶん懐かれたんじゃないかな、これ。







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